「天竺画ショップ」はじまりました。

パルバティ・バウルについて

師匠、パルバティ・バウルについて。

パルバティ・バウルは現在、世界的に最も知られているバウルの一人。二人の師、故ショナトン・ダス・バウルと故ショシャンコ・ゴシャイの許で厳しい修行を終え、バウルの音楽と精神の次世代への継承を託されました。現在は世界各国を旅してバウルの伝統を世界へと伝え、次世代へとつないでいます。

バウルになるまで

パルバティ・バウルは
アッサム州のベンガル人家庭に生まれ、
西ベンガル州北部クチビハール市で
芸術に造詣の深い父の意向で
幼い時分より古典舞踊や古典音楽を
学んで育ちました。

西ベンガル州シャンティニケタンの
ビシュワ・バラティ大学
(詩聖タゴールの創立した大学)の
画学生となるも、

入学に向かう列車の中で出会った
バウルに深く鮮烈な感銘を受け、
やがて大学を辞して
バウルの修行の道へと入っていく事になります。

15歳の時の事、シャンティニケタンの芸術学校に入学するために乗った列車で、ひとりの盲目のバウルに出会いました。彼の歌は光と彩りに満ちていて、わたしは全く未知の感覚にさらわれました。列車の中が別の世界に作り替えられたように感じたのです。

シャンティニケタンに着いてからも、「バウル」という生き方への想いは育つばかりでした。芸術学校のキャンパスで行われる冬の祭典ポウシュ・メラには、バウルも多く参加します。すっかり魅せられたわたしは、女性バウル歌手として名を馳せていた、ビルブム地区アモドプルのフルマラ・ダシに教えを乞うようになりました。

およそ1年間は、バウルの歌を習っただけでした。一絃琴エクタラと共に歌うことも、この時に学びました。

ある時、フルマラ・ダシに「バウルとは何を意味するのですか」と尋ねると、返って来た答えは「根無し草」というものでした。その答えに刺激され考え込んだわたしは、結果として大学を去ることになりました。わたしはもっともっと知りたかったのです。その欲求がわたしを、バンクラ地区ショナムキのショナトン・ダス・バウルのアシュラムへと導きました。バウル行者の世界への扉は、このようにして開かれたのです。

わたしは問い続けました。「バウルとは何を意味するのですか」

パルバティ・バウル「大いなる魂のうた」より
訳者:パロミタ

(動画中で歌っている女性がフルマラ・ダシ)

最も有名なバウルのひとりとして

現在のパルバティ・バウルは
最も有名なバウルのひとりとして
世界中を公演して回っています。
(2020年現在は、Covid19の影響で
オンラインコンサートがメインと
なっております)

そもそも、全てを捨てるように
バウルの道に入った彼女は
けして初めから、このような
賞賛されるアーティスト(的な存在)
を目指していた訳ではありません。

現在からは想像もつきませんが
ひとりの年若い女性行者として、
ただ貪欲に修行に集中し、取り組みつつ
男性優位の社会の中で
辛酸を舐めるような年月を
長く過ごしたそうです。

(修行に入った年齢が若いので
今でも長老としては非常に若いのですが)

見出され、海外公演や
インド国内の公演に
徐々に呼ばれるようになると、

修行という確かな基盤の上に
音楽性の高さや舞踊の技量もあり
すぐに高い評価を得て、
アーティストとして忙しい日々を
過ごす事になります。

ニューヨークのワールド・ミュージック・センターや
モロッコの聖なる音楽祭、
日本の能楽堂など
名だたる世界の舞台で
公演を重ねます。
(本当は、今年の5月には
大英博物館での公演も
あるはずでした)

そんな日々に、
いち修行者として疑問を持っていた時、
師匠であるショナトン・ダス・バウル
「本当のバウルと世界の架け橋になれ」
と言われ、
それを使命として休む事なく
邁進していく事になります。

今では、バウルの長老たちにも
類稀なバウル行者として認められ、
尊敬を受けています

ふたりの師匠

パルバティ・バウルの第一の師匠は
ショナトン・ダス・バウル
行者としても、芸能者としても
一級であると広く尊敬を受けていた
バウルの長老のひとりです。
(2017年逝去)

少し、バウルの歌舞の説明をすると
バウルと言っても、
皆が皆、ものすごく歌がうまく、
踊りがうまい……という訳では無く
むしろ、古典音楽家などからも
高い評価を受ける
パルバティ・バウルのような存在は
稀な方で、多い訳ではありません。

更に、うたは知っていても、
口ずさむ程度の
「歌い踊らないバウル」
も存在します。
彼らは、行者として尊敬を受けます。

バウルの舞踊も、
流派や個人によって
かなり違い、
技巧的な(という表現が間違っていなければ)
舞踊ができるバウルとなると
また限られます。

バウルの師匠は、それぞれの弟子に
その天分に見合った役割と
教えや修行を授けます
ですから、同じ師匠に就いても
少しずつ違う教えを受け、
異なる役割を受け継ぎます

パルバティ・バウルの第2の師匠は
ショシャンコ・ゴシャイです。
ショシャンコ・ゴシャイは
ショナトン・ダス・バウルの
更に一回り上の世代にあたり
伝説的なバウルとして知られていました。
(2007年逝去)

100歳で亡くなるまでの
最期の3年間に、パルバティ・バウルに
300あまりのうたを伝授し、
舞踊の厳しい訓練を施しました

このふたりの師匠から
パルバティ・バウルは
バウルの歌舞だけでなく
修行の伝統と智慧を
次世代に繋いでいくための
後継者として指名を受けます

ちなみに、ショナトン・ダス・バウルの
アシュラムを守るのは、
ショナトン・ダスの息子であり
パルバティ・バウルの兄弟子にあたる
ビシュワナート・ダス・バウル

そして、ショシャンコ・ゴシャイの
アシュラムを守るのは、
ショシャンコ・ゴシャイの息子であり
やはりパルバティ・バウルの兄弟子にあたる
モドン・ダス・ボイラッゴ(ヴァイラギャ)。
彼は、儀礼的な知識を全て受け継いでもいます。

また、同じくショシャンコ・ゴシャイの弟子で
歌舞の名手として名高い行者
シャームシュンドル・ダス・バウル
儀礼の歌などを完璧に受け継いでいます。

数少ない、完全な継承を受けた女性バウルとして

バウルの中で、
女性の存在感は大きく
女性バウル自体は、
実はたくさんおられます。

ただし、修行だけで無く
歌舞の完全な訓練を受け、
継承を受ける女性となると
かなり数が限られます。

多くの女性行者は、
男性行者のパートナーや
アシュラムのグル(師)の
サポートや、
炊事洗濯掃除などの、
アシュラムの雑事の奉仕を
本分とします。

(もっともバウルの場合、
一般的なインドと違うところは
男性行者も、こうした事は
奉仕に必要な技能として
一通り、というか完璧に
できる事です)

パルバティ・バウルは
完全な継承を受けた女性行者として
多くのベンガル人女性の希望ともなり
また、ベンガル人やインド人のみならず
外国人でも、女性が
自分と同じようなバウルの修行に
取り組める環境を整えました。

女性の弟子の多さは、
パルバティ・バウル一家の
大きな特徴ともなっています。

余談ですが、ドレッドヘアーは
バウルだから……という訳ではありません。

ベンガルを含めた、インドの
ある種の修行の伝統において
ドレッドヘアーは象徴的であり
その修行の一部なので
行く所に行けば、
ドレッドヘアーの行者をたくさん
見かける事ができます。

パルバティ・バウルの場合は
彼女が様々な道程の中で
ドレッド・ヘアーを切らないという誓いを
立てるようになりました。

ただ、これは
「バウルだから」という訳ではなく
バウルの中では、
珍しい方だと言えると思います。

ケーララとの縁

ある時、パルバティ・バウルは
インドじゅうを旅して、
ついに南インドのケーララに
辿り着きます

そこで、夫となる
ラヴィ・ゴーパーラン・ナーヤル
彼の師に出会い
20年以上、拠点をケーララに
構える事になります。

ラヴィ・ゴーパーラン・ナーヤルは
グロトフスキ演劇理論の専門家でもあり
ケーララの伝統芸能カタカリ
武術武術カラリパヤット、
ヨーガなどにも習熟

テイヤムやクーリヤッタムなど、
ケーララの伝統芸能の
本質を失わない形での
芸能としての表現をプロデュースしてきた
ひとりの天才であり、行者であり
ケーララの伝統芸能界隈のみならず
様々な場所で、
非常に尊敬され、愛されている人物です。

また、カタカリ人形劇
(パーヴァカタカリ)にも習熟
その人形を作れる数少ない
彫刻家という一面も持っています。
彫刻家は、宮大工であった
名彫刻家に師事しました。

そのラヴィ氏の指導も受けながら
ケーララとベンガルの師匠の許を行き来し続け
パルバティ・バウルは
自身の歌い舞いのスタイルを
確立させていきます

ラヴィ氏と共に様々な旅をし、
テイヤムなど、ケーララ伝統芸能の
人々とも親交が深く

国際女性芸能フェスティバル
ターンティダートリ祭
(これまで2012年、2016年、2019年に開催)
を主催した際には
必ずケーララの民俗芸能を
招聘しています。

ちなみに、パルバティ・バウルの
「パルバティ」という名は
(南インドではパールワティー、
ベンガルではパルボティ)
ケーララで頂いたものだそうです。

バウルとして
師匠からいただいている名は
また別にあり、
ヴィーナーとハンサという名を
作歌で使っています。

(バウルのうたは、
「[詩人]が語る」…という形で
いわば署名が入る事が多いです)

国際女性芸能祭「ターンティ・ダートリ」

パルバティ・バウルは
インドにおける
国際女性芸能祭「ターンティ・ダートリ」
をこれまで3回、主催して来ました。

2012年にポンディチェリーで、
2016年にバンガロールで、
そして2019年にコルカタで。

これは、ヨーロッパにおいて
男性優位の演劇界への
対抗と、新たな基準の創出のために起こった
「マグダレナ・プロジェクト」
の姉妹企画です。

「マグダレナ・プロジェクト」は
様々な国で行われていますが、
その一つ、「トランジット」に
招聘されたパルバティ・バウルは
まだ行者としても若い時に
非常に刺激を受け、
たくさんの学びを得たそうです。

そして、こうした女性による
表現の祭典を、機会を、
連帯を

インドの女性にも
体験してほしい、と
自ら、インドでの国際芸能祭を
企画するようになりました。

「ターンティ・ダートリ」は
パーリ語から来ていて、
「糸を持ち繋ぐ女性」という意味です。

犬の事

幼い時は、自分が犬の一員だと思っていた
という程の犬好きです。

ケーララでも常に
数匹の犬と暮らしていましたし、

現在、ベンガルのアシュラムでも
二頭の犬が住み着いていて、

彼らはアシュラムの誰にでも
懐きますが、
パルバティ・バウルがいる時は
特にその傍を離れません

(動画は2018年ツアーのために
収録したもの。
膝の犬はたまたまいた知らない犬)

あれほど犬に慕われる人を、
私は他に知りません

動物だからこそ余計に
分かる事があるのだろうと、
感じ入ってしまうところがあります。

忙しい人だから、いつも、
常にいる訳ではないのに、
本当の愛情をかけてくれる人が誰か
彼らには分かるのでしょう。

とは言え、バウルは
犬好きな人が多いです。
人間の子どもを気にかけるように、
我が身の事のように、
犬を気にかける人は、
パルバティ・バウルだけでなく
他のバウルにもいます。

師の願いと使命を受けて

ショナトン・ダス・バウルが
予期し、現実となっている未来は
これまでバウル行者を
支え続けてきた農村共同体が
資本主義経済社会の台頭と共に
もはや、バウルの修行と伝統を
支える事ができない、というものでした。

そのために、
様々にあるバウルの伝統、流派、支流を
集めて、
継承していくために
センターを作りなさい
という使命
パルバティ・バウルに託しました

世界中を公演で飛び回っている
パルバティ・バウルですが
それは「人々に伝える」という奉仕であると同時に
このセンター(アシュラム)の
土地と、建設のための資金集めです。

一見すると華やかなアーティストに
見えるかもしれませんが

彼女の目的はハッキリしていて、
バウルの伝統と、
それを必要とする人類への奉仕
のために
行者として全てを捧げています。

バウルとベンガルの伝統への貢献

バウルの文化を教え伝えていく機会

年に一度、熟練のバウル行者たちを呼んで、
一般の興味ある人が
1週間に渡りバウルを学べる機会
バウル・リトリートとして企画しています。

この時には、インド国内外から
30名ほど(定員)が集まります。

これは、外部の人間が
何かしらの学びを得る機会であると同時に
バウル行者にとっても、
自らの担う伝統の価値と誇りを
改めて再認識する機会でもあり

古くからのバウルの儀礼なども
ここで行う事もあります。

この時には、バウルの家に生まれた
子どもも無料で参加して
学ぶ事ができます。

また、アシュラムのある
周辺の村の子どもたちに
無料でヨーガや
バウルの歌などを学べる
機会を定期的に作っています。

現在、村の子供達のほとんどは
普通にしていると、
こうした伝統に触れる機会は
ほとんどありません。

あとは、インド国内外からの
多くの弟子がいて、
バウルを学んでいます。
また、この弟子たちが
様々な企画の事務などの
担い手ともなっています。

バウルのサポート

元々、
バウルの名行者を
世間に紹介したり、

常にふたりの師匠の
アシュラムを経済的にサポートしたり
縁のある行者が
医療などで支援が必要な時は
寄付を募ったりしてきました。

今回、Covid19による
ロックダウンに入ってからは、
まずはバウル行者たちへの
寄付を企画し、

ロックダウンが長引いてからは、
1週間のオンライン・バウル祭
を企画し、
出演者だけでなく
やはり縁のあるバウルたちに
分配されるように、
喜捨を募りました。

また、このバウル・メラは
滅多に聞けない、バウル行者たちの
本質的な話に触れられる
という事で、
非常に感動を呼び、
思わずというように
喜捨をして下さる方も多く

インドだけでなく、バングラデシュの
縁のあるバウルたちに
喜捨をお渡しする事ができました。

マドゥコリ<托鉢>とアンナダーナ<食事の振る舞い>

元々バウルは、托鉢の生活
する遊行の行者でしたが
現代の資本主義経済の煽りを受け
その生活はもはや成り立たなくなりつつあります

パルバティ・バウルは
その中で、どのように
伝統の本質を見失わず
この現代に適応しながら
伝統を次代へと繋いでいけるか
という事に非常に心を砕き
自身の存在で証明し続けていますが

それでも、バウルの托鉢
マドゥコリ(蜜集め)」は、
全てのバウルに必須の経験である
と言います。

パルバティ・バウルのアシュラムでは
毎日の托鉢はしませんが
年に一度、周辺の村を回り
師の命日を記念する祭礼
アンナダーナの知らせを告げながら
マドゥコリをします

この時に集まった米や野菜は、
全て、アンナダーナ「食事の奉仕」
の日に使い

一日に3000人以上の村人や、
祭礼のために訪れるバウルなどの
行者たちに食事を振る舞います。


バウル行者にとって、
このアンナダーナは
全ての人の中にある神への
奉仕であると同時に

土地の人々との
大切な結びつきの機会でもあります。

マドゥコリの詳しい様子は
こちらに書いています。

ベンガルのアーユルヴェーダの復興

インド伝統医学として有名な
アーユルヴェーダですが、
ベンガルではこの伝統は
あまり強く残ってはいません。

パルバティ・バウルは
アーユルヴェーダの盛んな
ケーララに長年住み、
伝統医の知己も多い事もあり

ベンガルに再び
アーユルヴェーダを呼び戻そうと
しています。

村への奉仕として
2ヶ月に一度の
アーユルヴェーダ医による
無料の診察と薬の提供
をしながら

アーユルヴェーダ薬草の
植物園を作るための
準備を進めています。

ベンガルの伝統音楽のより古い層の研究

パルバティ・バウルは常に
より古いうたの形や伝統の
研究をしていますが

時に、ベンガルの異なる伝統音楽を
縒り合わせ、
新たな表現とするような
プロデュースをする事もあります。

上の動画は、おそらく
ここでは再生できないと思うので
ぜひyoutubeの方で
ご覧いただきたいのですが
(ちょっと隠し撮りっぽいですが
感じがよく分かるかと思いますので)

私が「バウルの共演」
で思い浮かべるのは、
このようなものです。

ここで両面太鼓シュリーコール
を演奏しているのは、
伝統キールタンのピジュシュさん。
擦弦楽器サリンダは二ロンジョンさんです。

この、シュリーコールの
ピジュシュさんとのエピソードで
とても印象深い事があって、

ある時リハーサルで、
パルバティ・バウルが
ある古いリズムについて
ピジュシュさんに尋ねました

ピジュシュさんは、
伝統キールタンの
家系の担い手です。

その時、ピジュシュさんは
すぐに思い出す事ができず、
父か祖父のノートにはあるはずだから
確認してまた教える
と答えられました。

村や町での演奏では、
人々の喜ぶもの、
映画音楽も含めた
いわゆる大衆受けするものが
求められるため、

伝統的なものの中でも
古くから伝わってきたものが
その伝統の担い手でさえ
パッとは出て来なくなっていたのです。

その時、パルバティ・バウルが
言った言葉が
とても印象に残っています。

私はよく、新しい事を
やっていると言われる。
でも、私はいつも、より古いものを
追求している。
皆、古い伝統は村にあると言う。
でも、現実には
村では古い伝統は好まれない。
そういう時に私は、
新しいって何? 古いって何?
と、よく分からなくなる。

上の動画ではほぼ写っていませんが
下の動画のように、
こうしたベンガルの伝統音楽を
再編成する企画では
土に紋様を描く「アルポナ
(「ラクシュミーの足」とも呼ばれる
ベンガルの民俗文化)
とのコラボレーションもしています。

チャリャー・ギーティ仏教歌の研究

バウルは、一般的には
15世紀の聖人チャイタニャ
に始まる、と言われていますが

そこで急に、雨後の筍のように
バウルたちが湧き出てくる訳が無い
と、いつも思っていたそうです。

そんな時、バスを待っている時に
屋台でおやつを買ったら
そのおやつの包み紙になっていた
新聞紙の切れ端に載っていた
詩が目に留まりました。

その内容は、まるでバウルの詩のよう。
チャリャー・ギーティ
<遊行者のうた>というそれは
8世紀〜12世紀の
東インド一帯を旅した
放浪の仏道行者たちによる詩
編纂した詩集から
紹介されているという事が分かりました。

その当時(おそらく15年以上前)、
バウルのルーツが仏教にもあると言っても
誰も取り合わなかったそうですが
今では、そうした遊行の
歌う仏道行者たちが、
バウルの源流のひとつだという事は
ほぼ定説になっています。

バウルの系譜についてはこちら

バウルという風景〜ダルリンプルNine Livesより

パルバティ・バウルは
このチャリャー・ギーティを
バウルのうたとして歌う、という
こころみにずっと取り組んでいます。

チャリャー・ギーティには
詩のそれぞれに
歌われるべきラーガ(旋律系)
が記されていますが、
実際にどのような旋律であったかは
今となっては分かりません。

現存するラーガなどを参考に
何年もかけてインスピレーションを育てて
節を付けるそうです。

パルバティ・バウルの歌舞について

パルバティ・バウルの歌声は
豊穣です。

公演では、
言葉が分からずとも涙する人
大勢います。

私の場合は、
あまり耳もよく無く
感動するような感受性も
かなり乏しいのですが

彼女の歌声を聴くと、
そこから動けなくなってしまう
誰もが、手を止めて
そこに吸い寄せられてしまう

その源泉は何だろうと
考えると
ひたすらに、修行の果実
であろうとしか、言えません。

彼女がこれほどに
世界中で評価が高い所以は
もちろん、
精確で高い音楽性や
舞踊の技量の高度さ
もありますが、
それだけの人ならば、
世界にはいくらでもいます。

古典音楽の素養がある彼女は
ショナトン・ダス・バウルの元で
修行する中で、
「正確に音符を取る事」を学び落とし、
むしろ「音符を超えた音」を
取る事を学ばなければ
ならなかった、と言います。

その芸術性の高さを通して
修行により到達した
魂の深淵
振動となり、音となり
聴衆に届くのです。

関連書籍・CD・映像

■書籍「大いなる魂のうた

パルバティ・バウルによる著書をパロミタが邦訳。
当時25歳だったパルバティ・バウルの
バウルへと導かれた体験をベースに
バウルについて語り、
27篇のバウルの詩の訳も収録。
行者自身によるバウルの本は貴重で、
英語で書かれたものとしては当時初めてのものだった。

■CD「チャリャー・ギーティ

8世紀〜12世紀の仏教歌集より、
パルバティ・バウルが旋律をつけたもののうち
4篇を収録。
カバーアートは武田尋善

ドキュメンタリー「The Path」

パルバティ・バウルの20年来の親友、
阿部櫻子が日本ツアーを中心に取材。
「なぜ彼女はバウルになったのか?」

オンラインでで有料配信中。
DVDはティラキタで取り扱いがあります。

「おまえのうたに耳を澄ませ」音の行とは何か

エクタラ【バウルの楽器紹介①】

ドゥギ小鼓:バウルの楽器紹介②

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