「昼間でも、あるいは夜空が曇っている時でも、
星は存在して輝き、瞬いている。
そういう事を想うとき、僕は本当に幸せだと思うんだ」
緑に溢れるアシュラムで、虫の声がむせる程にあふれる、ある夜
ヨセフはこう語りました。
ヨセフは旅の行者[パリヴラジャク]で、
もう20年も家を持たずに旅を続けています。
私が彼と初めて会ったのは、もう5年程前にもなるでしょうか。
まだ弟子入りして間もなかった頃に、師匠の家にふらりとやって来ました。
それから、ヨセフによると3度、私達は会っているそうです。
(細かい回数はさっぱり覚えていない私です)
その度に、興味深いお話をしてくれましたが、今回は殊の外たくさん話す機会がありました。
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ヨセフには師匠がいました。ケーララ州では高名な行者でした。
初めて師匠を目にした時、彼の存在に感動して
側で仕えたいとその場で願い出ました。
そして、その場で職場に電話をして、仕事を辞めたそうです。
それからヨセフが師匠の側にいられたのは、2年にも満たない間でした。
師匠が身罷られてから、悲しみに暮れていたヨセフでしたが、
ある時、インドを見て回ろうと思い立ちます。
世界中から多くの人がインドを訪れるのに、
自分はインドの事を全然知らない。
それからすぐに旅立って、インドじゅうを回りました。
旅立つ時に手にしていたのは1500ルピー。
旅から戻ってきた時、同じ1500ルピーがまだ手元にありました。
その時、信頼して進めば必ず道はひらけるのだと確信したのだそうです。
「多くの人は、聖典をありがたがっても
そこに書かれている事を本当には信じていないんだ。
バガヴァッド・ギーターでクリシュナは言っている。
『私を愛し、信頼して全てを捧げる人を、私は必ず面倒を見る』」
ヨセフは携帯電話を持っていません。
各地に友人がいて、彼らの家の近くに来る用事があれば、
誰かの電話を借りて電話をします。
ですから、今はやりのインターネットを駆使して旅をする、
という形とは全く違います。
彼の持ち物は、リュックと鞄に入っている僅かな物だけ。
両親の土地の一部を相続するという話があった時も、
考えた末に断ってしまいました。
断わった時、本当に自由になったと感じたそうです。
それではどのようにして、20年以上も旅の身空で生きているのか?
それは、この道を選んだ人にしか示されない、この世の秘密なのでしょう。
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「師につくのは、火に触れるようなものだ」
ヨセフは語ります。
「師が僕や君を必要としている訳ではないんだから。
そして、誰もかけがえがないという事が無い」
「私がいないと回らない。他の誰でも変えがきかない」
そんな幻想はすぐに打ち砕かれるのだから。
ヨセフは英語やヒンディー語、タミル語などもできましたので、
手紙の代筆係としてすぐに重要な立場になりました。
そのことで嫉妬などもされましたが、正直、鼻が高くなっていたそうです。
けれどもある日、突然師匠に出て行けと怒鳴られます。
混乱しながら荷物をまとめて出てきたものの、
最後に一度だけと、数日後に電話をしたら、今度は
「どこにいるんだ! 責任感というものが無いのか、すぐに戻って来い」
とまた怒られたそうです。
また混乱しながら戻って、その後、その事について表立って話す事はありませんでした。
「でも、それを通して師が何を伝えているのかを理解するって事なんだよ」
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面と向かって尋ねた事はありませんが、
ヨセフという名前から、彼はおそらくキリスト教コミュニティの出身だと思います。
インドには、ポルトガル伝来のキリスト教だけでなく、
もっと昔からのシリア教会や、
イエスもしくはイエスの弟子の聖トーマが直接インドに宣教に来たとも伝えられており、
古くからのキリスト教徒が多くいます。
とはいえ、ヨセフの師匠はヒンドゥー教の伝統の人ですし、
彼は仏教施設にも多く出入りして、ダライ・ラマ法皇や
ベトナム人僧侶のティック・ナット・ハンの書籍などもよく読んでいるようです。
時々、このように魔法のような人に出会います。
実際に会うと、彼はおしゃべり好きで、特に環境問題や教育、健康などについては
話題が尽きる事がありません。
特に偉ぶるわけでも、賢ぶる訳でもないし、何も知らずに彼と会うと、
面白い文化人だな、
というぐらいにか思わないかもしれません。
しかしその人生を知ると、この世の秘密に触れたような感動があるのです。
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余談ですが、健康に関心の高いヨセフは味噌に興味津々でした。
どうも、インドの一部ではスーパーフードとしての味噌が注目されているようで、
バンガロールでは物凄い高値で売られている、そうです。
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