わたし自身の声でうたう
日本語のうたが できるようになって、 ベンガル語でうたう という体験も変わってきた、 という話は、 何度かあちこちで してきたのですが 最近は、また一周?半周?回って ベンガル語の方が、 語るように歌えるように なってき…
日本語のうたが できるようになって、 ベンガル語でうたう という体験も変わってきた、 という話は、 何度かあちこちで してきたのですが 最近は、また一周?半周?回って ベンガル語の方が、 語るように歌えるように なってき…
バウルのうたの勉強会 【予約:https://baulsongjp.peatix.com/】 というのを始めることにしました。 原則として第4金曜日19-21時(パロミタが日本にいるときの)に行います。 勉強会、としてい…
言葉は聞く人や読む人のもの、 と言われることについて というのはつまり、 一度作者の手を離れた作品は それを受け取る人のもの どのように受け取られても、 それはその受け取る人のもの ……ということで、 それはその通りだと…
ある晩、何だか動けなくなって寝っ転がっていたら、急にうたが降りてきたということがありました。 ここ数年、「自分のバウルの、日本語のうたが作れるようになるのは一生の野望」的なことを言ったり、 「次のソロ公演の前にはまずは日…
以前から書くと言って書かずじまいだった、バウルについて日本語で書かれた本のご紹介です。実はけっこうあります。 少し名前が出てくるだけ、とかだともっとありますがここでは比較的手に入りやすくまたひとりの実践者である私から見て…
「おどろおどろしい」「妖しさ」という言葉を、先日の公演の感想で見かけて、驚いたと言うのも変ですが、意外でした。 マーダヴァ、どうか私の、内なる扉へおいでくださいマーダヴァこのいのちの友 あなたの笛の音をどうか甘やかにずっ…
行者は怒りもや悲しみも 人にぶつけず、 すべて「あの方」に捧げる。 よろこびも、悲しみも、 すべての感情を。 これはかなり初期に 師匠に言われた言葉で、 深く印象に残っているものです。 また別の時には、 どんなことも、 …
Ami kangal doyal guru amar mon to kangal noi わたしは貧しいけれども 心は貧しくない 大悲の師よ ハリの名の甘露を呑んで いつでもその名に狂っている 何でも本当に願ったことは …
昔のビクターのCDに、 「バウル族」と書いてありました。 残念、違います。 バウルは、カーストのような 血の繋がりに基づいた 集団では無いのです。 「カーストなんて……」 皆が言う、 ラロンはこの世で 何の…
鈴を連ねた足飾り 基本的には、 舞踊に使うための、 鈴を連ねた足飾りを グングルと呼びます。 (普通の鈴を グングルと呼ぶ例は、 私は今のところ、 行き合った事がありません。) 鈴の数や、鈴を付けるのが 紐であるのか、 …