🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

聖地ヴリンダーヴァンのこと、ラーダー信仰の発見

クリシュナの遊戯の舞台となった
楽園の代名詞、牛飼いたちのヴリンダーヴァナ

ヴリンダーヴァンという土地が
実在するということ自体、
少なくとも数年間は知らなかったのですが

今回師匠の周辺の割と少人数で訪れる機会を得ました。

その名前の土地が実在するとは言っても、
あくまで名前が残っているのと
多少寺院が集中しているぐらいだろう、
と思っているところがあったのですが

どっこいそのままヴリンダーヴァンで
街全体どころか、その周囲のすべて
お隣のクリシュナが王として治めたマトゥラーも含め

神話の舞台であると同時に、
数々の聖者や行者、巡礼者たちが
祈りや行を何世紀にも渡って重ね続けてきた土地でした。

ここの住人たちは、
ごく自然に神話と地続きの
現代の日常を生きています。

特筆すべきことのひとつは、
いわゆる「観光客」が基本的にいないことです、
ほんとに全く見なかった
外国人でもインド人でも

みんな巡礼者か住人だと
一見して分かります。

世界どころかインドにおいても
なかなか類を見ないことなのではないか
と思いました。

(様々なタイプの巡礼者がいるので
そのグラデーションはあります)

「ヒンドゥー教」と呼ばれるものについて
たぶんインド国内においてもとても繊細な時期になっていて
インド人と言っても当然、
皆それぞれに見解も違うのですが

ここは本当に全く、
クリシュナ……というよりは、
ラーダー信仰にこの土地の基盤が
全く根差していて

宗教と呼ぶ必要すら無いような気もすると同時に
疑いようなく純粋に宗教であるというか

まだうまく言葉にまとめられないのですが
本来の信仰や宗教のあり方を
見たような気がしています。

たとえばここの人たちや
ヒンドゥー系のインド人が
ゴーヴァルダナ山(元々は「牛を育てる」の意)の麓で
素朴で伝統的な牛舎を目にしたときの興奮などは
たぶん、私が共感できる日は来ないのではと思うのですが

「聖なる生き物」という現象が
本来どういうことなのか
を考えさせられました。

ぎりぎり近くて春日の鹿かと思ったけど
むしろヴリンダーヴァンに溢れる猿のほうがこちらは近く、

お猫様信仰とかを想像してもらったほうが
分かりやすいかもしれない、
と思います。

クリシュナが牛飼いであったことも含め
すべてが有機的に、
ヒンドゥーの深い心性、信仰に繋がっていて

信仰心というものが、
私は全く見えていなかったような気持ちすら
したのでした。

そして「ラーダー信仰」と書きましたが

クリシュナそのひとの名よりも
その恋人である牧女ラーダーの
名前の方がここでは唱えられる

「ラーデー ラーデー」
が標準の挨拶であり、
おみやげなどに書いてあるのも
一等はこれです。

クリシュナに縁ある土地は
マトゥラー含め他にもあれど
ここは強くラーダーの土地。

クリシュナを信奉するヴィシュヌ派の中でも、
ラーダーなどそもそも存在しない
という流派や学者もいる中

ここでは、
ラーダーは疑いようなく
クリシュナの恋人であり、
愛の師であり
クリシュナそのひとが、
「私を信仰する者よりもラーダーを信仰する者を私は愛す」
と言ったと言われる

クリシュナに一心に身を捧げる
女神であると同時にひとりの牧女だった
ラーダーをこそ讃え、身を捧げる

その強いラーダー信仰の発見と
そこにすっと馴染み安らいだ私自身が

特に最近、女神信仰の人間でないなと
痛感していた私にとっては
とても大きいものとなりました。

– – – – – –

ジョイグル
(バウルの挨拶
「あらゆる命が本来に輝きますように」)

今日も明日も良い日でありますように。

パロミタ

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