🌕6月30日高田馬場ときわ座、7月13日国立ギャラリービブリオ🌕


🟡 8月26日9月23日10月21日 (月)
世界が広がるインド音楽講座2024

🟡9月16日 音楽のあわい@祖師ヶ谷大蔵ムリウイ
Op16:30 st17:00 ¥3000+飲み物
With寺田亮平、寺原太郎。

村の家々をまわり歌うマドゥコリ(蜜集め)

行者が聖なる名を称えながら家々を巡り、
お米や野菜などの喜捨をいただく「マドゥコリ(蜜集め)」に
今年も師匠に付いて行っています。

インド・西ベンガル州の歌う行者バウルの伝統です。
その様子を少しお伝えします。

朝、集まって聖句を唱える。
それからアカラ(道場)を出て戻って来るまで、
けして聖句を絶やさない。

各々楽器を持つ。

うたう師匠に続いて、
裸足で村まで、そして村の中を、歩いていく。
師匠の称名に続いて称名を繰り返し、
また師匠がうたい…
を、繰り返す。

村に入って最初の家では、
予期していなかった事で
家の人も準備ができていない。

村に先導してくれる
村の事をよく知っている人が
家の人に説明する。
彼はアシュラムに常駐している
気の良い働き者で
マドゥコリの時は荷物持ちでもある。

荷物持ち?と思われるかもしれないが
一つの村の一部を
2−3時間かけてまわるだけで
20−30キロのお米や野菜をいただく。

毎日マドゥコリをするバウルなら
肩にかけている鞄だけで充分だが
師匠は年に数度だけ、
祝祭のためにやるという事もあり
この機会にすごい量が喜捨される。

だから一部を師匠の鞄にいただき、
あとは彼に担いでもらう形になっている。

ともかく、
家の人が準備をしている間も、
ずっと聖句を唱えている。
私はだいたい、小さなシンバルを叩きながら行く。

ベンガルの農村の家は、
だいたい中庭がある。
敷地は壁で囲われ、門があって
中に入ると、広めに平らな空間が取ってある。
牛糞と泥で平らにされた
きれいな白い地面。
牛糞には虫除けの効果もあり、清浄を意味する。
ここでご飯を食べる事もある。
その空間の脇では色々な野菜を育てている。

その中庭に立って、
家の人が出てくるのを待つ。

普段は師匠にしか取られないような
最上級の礼が
私たちにも取られ、
時には足を洗われたりする。

これを遠慮したりしてはいけない。

師匠だけがそのレベルの灌頂を受けた
托鉢をする資格のあるバウルだが
そこに付いていく、弟子であったり
支援者であったりする私たちも

この瞬間、聖句を唱えながら
その一員としてマドゥコリをしている間は
村人たちにとって、
神なるものと人との仲立ちになる存在。

その場にいる事、
それまでの修行、
私という存在の純粋性、
全てが問われている。

やがて家の人が
お皿いっぱいのお米に
ジャガイモや他の野菜を
ちょこんと乗せて出て来る。
時にお金も混ざっている。

その一部を師匠の鞄に捧げ、
残りを先導人の持つサックに入れてもらう。
お米が溢れ落ちたら、一粒一粒
全部拾う。
喜捨は一粒も無駄にしない。

この過程の間もずっと、
聖句は続いている。
一度も絶やさない。

私たちがうたい続けている間、先導人は
このお米で村人たちをもてなす
お祭りの日を家の人に伝えたり
喜捨のやり方が分からない人に
教えたりしている。

数軒回る頃には噂が回っていて
うちにも来てと呼ばれるようになる。

時に、お線香(と言っても
日本のお線香ではなくて、インドの
太くて、火が付いていても
手で持てるタイプ)
を手にした家の人が
前の家が終わるのを待っていて、
お線香を掲げながら先導される。

師匠がこの地に来てまだ3年目。
それでも、
昨年は拒否した家々が、
今年は招き入れてくれた。
そのように、どんどん変化して
受け入れられるようになって来ている。

昼時を過ぎて、
まだまだあっちの家にも、
こっちの家にも来てほしいという
視線を感じながら
アシュラムに戻る。

一つの村は、とても一日では回れない。

道場に戻るまで、聖句を絶やさない。
2−3時間の間、ずっと聖名を称え続けている。

道場に戻り、正式に称名を終えると
お米のひと粒も取りこぼさないように
その20−30キロを袋に詰めて、
お祭の日まで大事に取っておく。

私たちは今、これを
年に数回行っている。

そして年に一度、
大師匠(師匠の師匠)の誕生日に
集まったお米を使って
周囲の村人たち3000人に食事を振る舞う。

元々バウルは、そして比丘たちは
このように門付け・托鉢をする事で生きていた。
毎日の事だから
神のように扱われる事もある一方で
邪険にされたり、唾を吐かれたりもする。
その全てが修行であり
そのどれの間にも本当のところ差が無い事を学ぶ。

日々の糧を得るか得ないか、
全て天に委ねる。
だからマドゥコリは聖なる行いで
原点となる体験である。

この現代の貨幣社会では
全くの同じ形を維持するのは
難しくなっていて、
だからこそ師匠が行くのは
年に数度だけ。
この伝統の原点を見失わないために。

周辺は、どこも貧しい村ばかりだ。

昨年、ここで最初に行ったマドゥコリの時
訪れたある家では
お婆さんが感動にむせび泣いていた。

昔もきっと、このように
回って来る行者がいたのだろう。
その記憶のある世代だ。

大いなる魂のうた」で
村の古老の言葉として
「バウルがマドゥコリをして
村に聖名が響き渡っている事は
村の安寧を保証する」
というような事が書かれていて

訳している時は、ふんふんと
「そうなんだ」ぐらいの感じで
読んでいたが、
実際にマドゥコリで村を回ると
その言葉がとても、
実感として染み入って来る。

この、バウル行者と村人たちの関係を
たとえば単に「信者」や「檀家」と呼ぶと
その実像は失われてしまう。
昔の日本社会の中にあった
言葉の感覚なら、もしかしたら
もっと通じるものがあったのだろうと思うけど。

ごく現実的に、食べるために
托鉢をする人もいるだろう。
他の選択肢も無く。

世界には、寄付の結果として
腐敗が起こっている組織も
たくさんあるかもしれない。

けれどもこの行為は、少なくとも
ただそれだけ、では無い。

修行は慰めでも余暇でも逃避でも無いという
マドゥコリは、
その原点となる行いだと思う。

バウル「マドゥコリ大祭」ドキュメンタリー

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