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ある女性スーフィー行者の話

バングラデシュに住む、
ひとりのファキラニ(女性ファキール=ベンガル地方のイスラーム神秘主義のスーフィー行者)の話です。

コルタル(小さなシンバル)の超絶名手であり
魂からしか歌う事ができないような修行者です。

コルタルを学んだ時

コルタル(小さなシンバル)を学んだ時、
師が手本を見せてくれても、
若いファキラニはうまく習う事ができませんでした。

師はファキラニの耳を強く引っ張って罵りました。

千切れるほど引っ張られて、
痛みに苦しみながらも
コルタルを叩き続けます。

その時、師の奥様がやって来て、
「弟子になんて事をしているのか」
と師に怒鳴りました。

その時初めて、ファキラニは
引っ張られすぎた耳から
血が流れている事に気がついて
涙が出て来ました。

泣きながらも、
コルタルを叩き続けました。

師は、
「弟子に必要なものが何か
私には正確に分かっている。
お前が口を出すな」
と、奥様を罵りました。

その時ファキラニは、
師が弟子である自分のために
奥様を罵っているのだと
分かりました。

その時から、ファキラニは
常にコルタルを持ち歩き
機会があればいつでも、
ショールの下に隠して
コルタルを奏でる練習をしました。

ショールの下で稽古している限り、
誰にも聴こえません。

そして充分身に付いたある日、
ショールの外に出して演奏するようになりました。

一度聴いただけで学んだ

ファキラ二がうたを習う時は
一度聴いただけで覚えて、
同じ歌を二度と師に聴かせてもらう事は無かったそうです。

まず詩を語れるようになる事が先だ、
と言ってファキラニは、
詩を力強く語りながら
自然と、本当に自然に
歌に移行していく様を
見せてくれました。

だから彼女にとって、そして行者にとって
うたを習う事は、
「歌」を学ぶとか、メロディーを学ぶとか
そういう事ではなく

あくまで詩を、言葉をいただき
それを我がものとして、
魂から紡ぐ、そのやり方を学ぶ事
なのではないかと
強く感じ入りました。

波乱万丈の半生

ファキラニが若い頃、
伴侶と共に師匠の下で暮らしていた時
バングラデシュを飢饉が襲って

当時はマドゥコリ(托鉢)をしても
ほんの少しのお米しかいただく事ができなかったそうです。

そのほんの少しのお米を炊いて
師匠、師匠の奥様、伴侶に食べさせると
自分はそのお米を炊いた残りのお米汁
(湯取り法で炊くと、お米汁ができる)
だけで何ヶ月もしのぎました。

大変だったけれど、
多くを学び、歌った
幸せな時間でもあったそうです。

その後、師に続いて伴侶、
更には一人息子を亡くしたファキラニは
生まれ育った村に戻り
支援者に支えられつつ、
子供達と呼ぶヤギたちと共に
ひとりで生きて来ました。

しかし昨年病に倒れ
治療費のためにそのヤギたちも
手放さざるを得ませんでした。

現在は彼女を愛する多くの人の支援を受け
治療を受けながら生活しています。

私の師匠のアシュラムに滞在中のファキラニは
いつでもうたを歌いながら
誰に対しても愛情深く接します。

とても鋭く、強すぎるほどの瞳なのに
覗き込むと誰よりも柔らかく
時に無邪気な少女のようにかわいらしく
しかしその口は智慧を紡ぎ続ける。

野良犬の空腹や健康状態さえ
親身になって気にかけます。

幼い頃から身に纏い続けた白で包んだ
細い身体には
壮絶な人生と修行で深め続けた智慧が
本当にそのまま
体現されているのです。

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