🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

祈りの画と彫刻

目にすれば、自然と祈りを思い出す存在
日々の雑事の中で忘れてしまいそうな
純粋な何かを思い起こす媒介となるもの

「多摩川 Tama river」F10サイズ 銀潜色紙に顔彩とポスターカラー

私の祈りが形になる
形が祈りを助ける

忘れかけていた祝福を
思い出させてくれる

「牧女 Gopi」約10cm わらべ地蔵をベースにアレンジ

祈りでありたい気持ちがある
信じ続けていたい
時に倒れ込み目を塞いだとしても
ふと目にとまり思い出す

すべてが祝福である
私もまた

お不動クリシュナ
「お不動クリシュナ Ohudou(Achalanaatha)-Krishna」 127×178mm 木彫レリーフ、顔彩とポスターカラーで彩色 Woodcarving coloured with Japanese watercolour and poster colour.

はじめて木彫に色を乗せたとき、
私はこのために生まれてきたんじゃないか、
このためにずっと描いてきたんじゃないか
と思いました。

やっと、私は私の生きている表現を見つけた
求めていた形に出会えた

これほど、ただひとりで
寝食を忘れて取り組めることが
他にあっただろうか

己の表現を祈りだと言うだけなら
あまりにも簡単で、ありふれていて
だけど本当に胸を張って言い切るには
どこか、引け目を感じていました。

芸術としての表現という言葉も
あまり好きではなくて、
それでも、バウルの修行をすること
この人生、この世界に取り組むことの
その表現が、
形あるものという形をとることが
私には必然としてありました。

物心つく前から描いていた画は
私にとってはあまりにも自然で
だけど描き捨てるには
あまりにも大切で

世間の評価が気にならないぐらいの確信を
自分の作品に持っていながらも、
それを他人に差し出すときには
引け目があったのは

どこかで、何か、もっと、足りない
何か満たされないものを感知していたから。

それが、木彫と彩色という形を得たときに
純粋な確信に生まれ変わりました。

そしてそれによって、
画という表現も
そういう平面の表現として
ありのままに見て、
フラットに価値を見出せるようになりました。

私の画は、
幼少期を過ごしたオーストラリアの色で
(土地の風合いと、アボリジニアートの影響)
そして十代を過ごし、
今後生きる場所だと思っている日本の
風土を反映させながら

10年以上学びをいただいているインド
何よりもバウルの修行が
私にもたらした形を取っています。

「日本的色彩で
インドの宇宙観が表現されている」

というお言葉をいただいたこともあります。

画は、本当に内側から湧いてきた
体感やイメージからしか
描くことができず
全く再現や制御ができないもの
というところがあるのですが
木彫には、また少し違う感覚があります。

同じデザインであっても、
何度でも彫れるし、
一回一回、自然と違うものになる。
そのひとつひとつに
彫っている私自身が惚れ込んでしまう。

彫ること自体が、行であり
これもまた月並みな表現かもしれませんが
瞑想になっていく。
時間が溶け、時の経過を忘れてしまう。

ラーダークリシュナ(クリムトへのオマージュ)
「ラーダークリシュナ(クリムトへのオマージュ)RadhaKrishna in homage to Klimt」 100×148mm 木彫レリーフ、顔彩とポスターカラーで彩色 Woodcarving coloured with Japanese watercolour and poster colour.

 

「わたしのドゥルガー My Durga」F10サイズ 和紙色紙に顔彩とポスターカラー

ますます制作を日常とし、
作品の展示販売の機会も増やしていければと思います。

また、作品のご依頼も受け付けておりますので、
まずはお気軽にお問い合わせください。