10月23日(日)生演奏で民俗舞踊「ラージャスターンとブルガリア」

言葉の向こうの翻訳者

翻訳をすればするほど
私は言葉に自由になる

本質を観る目、
言葉に言葉以前を感得する神経
それを養っていかなければ
本当の翻訳はできない

翻訳の本質は、伝えること
媒介となることであって
その動機、あるいは愛(と敢えて呼ぶ)
なしには私の翻訳は成り立たない

それが、
ある言語から別の言語への翻訳でも
ある文化をまた別の文化に伝えることでも
あるいは、何か形にならないものを
形のあるものを媒介に伝えることでも

根っこは全部同じことだ、
少なくとも私にとっては。

翻訳をお仕事とさせていただくことが
多くなってまいりました。
書籍、字幕、通訳、その他。

元々幼少期からの帰国子女であり、
大学はオーストラリア国立大学にいて
言語学、特に意味論にとても関心があり学んでいました。

たぶん元々の性質もあって
翻訳というのは、
私が最も苦なくできることのひとつ
と言えると思います。

翻訳の命題

そもそも翻訳という行為自体、
可能であるのか、について
先に少し、書いてみます。

いくつかのレベルで、
日本の翻訳に関わってきて
世の中はこんなにいい加減な翻訳で回っているのか、
と驚くことが幾度となくありました。

バイリンガルやマルチリンガルの方であれば
共感していただけるかもしれませんが
どちらの言語もネイティブか、
それに近いレベルで分かる人間からすると
「え、このレベルで翻訳が成り立ってるの???」
とびっくりすることは、本当にあります。
翻訳された文章の質には関係なく。

そのこと自体は、置いておくとして

ではそもそも、言語による
完全な意思疎通は可能なのか?
を考えると

母語話者=ネイティブスピーカー同士であっても
あるひとつの言葉を
全く同じ意味で捉えているのか

ある文章を、
全く同じ感覚で読んでいるのか
というと、
そんな保証は無いわけです。

同じ言語の中でさえそうなのだから
そう考えると、完璧な翻訳、
正解の翻訳なんてありうるのか?
と言うと、

無いですね、
と私も思います。

それでも、それを身に沁みて承知の上で
ギリギリまで肉薄しようとするのが
翻訳者というものだと思っています。

この頃は、AI翻訳を見て
普通に中々凄いなと思うことが多いので
(SNS上の日英自動翻訳はちょっとまだまだ厳しい、
というか下手したら誤解製造機ですが)

大抵の翻訳はいま
機械で可能になる未来が
もう見えているように思える中

それでも代わりになりえないものがあるとしたら
言葉の魔法としか呼べないものであって、
翻訳者は本来、
その精妙な力を扱う人であろうとするべき
なのではないか、とか

青臭いようですが、
そのような気持ちでおります。

私と言葉の関係

そもそも私は、
言葉をうまく扱えない子どもでした。
両親や、他の子から
どう見えていたかは分かりませんが

私には、ずっと言葉の無い世界にいた
という感覚があって

だからこそ言葉への憧れが強く
それだけ言葉の持つ潜在能力への
期待値が高い、ところがあります。

分かりやすく言えば、
魔法のような、呪文のような、
つまるところ言霊と呼ばれる
言葉の力を、信じずにはいられません。

それはたぶん、私が今でも、
10代の途中までいた
言葉の無い内側の世界と
言葉の流通する外側の世界の
乖離と、
それを内側から見ていた憧れから
離れることができないからなのだと思います。

バウルを通して
うたと身体に取り組むことで
語る力、声にした言葉の力が
以前よりは身についてきた実感があり

(そしてこれはたぶん、
乱用できないという前提で初めて
私に許され始めたものです)

それは確実に、こうした文章や、
翻訳するときの
言語と言語の間の交渉/調整/やりとりに
反映されている、
と思います。

言葉とは、言葉以前を前提に
成り立っているもの
だと認識しています。

これまでの翻訳書

翻訳の実績としてまず挙げられるのは、こちら

ウィリアム・ダルリンプル著『9つの人生』です。
集英社新書より2022年1月に発売されました。
新書なのに400ページ越えでギッシリですが
とてつもなく良い本なので、
ぜひお手にお取りください。

『9つの人生〜現代インドの聖なるものを求めて』集英社新書より刊行されます。

それから、2018年に
「バウルの響き制作実行委員会」より
クラウドファンディングを通して制作されました
パルバティ・バウル著『大いなる魂のうた
もあります。

こちらはティラキタさんで
扱っていただいておりまして、
たまに品切れになっていますが、
その度にちゃんと納品しておりますので
ご予約いただければまず届くはずです。

書籍翻訳のお仕事は、
一応仮進行中みたいなものが
いくらかあります。
無事にお目にかけられる日が
来るのを心待ちしています。

このウェブサイト上でも
よく翻訳記事を上げていますが、
それは末尾に紹介しますね。

使用言語

基本的には、日本語と英語です。
和英、英和、どちらもできますが
英和の方が、より強いです。

英語は、私にとって外国語ではありませんが
母語は日本語です。

インドの古典語である
サンスクリット語の知識が多少あり
ベンガル語、マラヤーラム語という
現代インドの言葉も多少わかるので

これまで訳してきた書籍も、
また現在関わっているお話も
その知識や感覚を活かした翻訳のお仕事
となっています。

英語で書かれたものであっても、
インドの単語が出てくるものであれば
少しなりともインドの言語知識が無ければ
あるいはそういう専門家の監修や助けを得るのでなければ
訳すのはあまり奨励されたことではない、
と思います。

そうでなくても
インドの言語は少なくとも州の数だけ、
実際にはもっとたくさんありますし

インドの言葉の翻訳が
きちんとできていないことで、
本自体の価値が
識者の間で落ちてしまったりするので
関係者の皆さまはぜひその点ご留意いただけますと幸いです。

文化の翻訳者、媒介であること

私が翻訳するものの多くは
私がひとりの道の実践者として
その実感がある人間として
訳したいもの、であり
実践者だからこそ訳せるもの、
だと認識しています。
(一部例外もあります)

ある文化を他の文化に伝えること、
その媒介になる
ということは、それ自体が翻訳であり
たとえば日本の中の、
日本人同士の間でも起こりうるもの
だと思っています。

私の場合は、主にインドで
触れたり、関わってきた領域があり
その実感は日本でも有効なもの
きっと日本でもかつては当たり前にあったもの
誰でも恩恵を受けられるもの
だと深く信じているので

その実感がいつかは伝わるような
そういう企画や、翻訳出版や、
様々な仕事をしているつもりです。

間に立つミディアムになる、
媒介になること。
それ自体は様々な方向や側面に
はたらく作用で、仕事だと思っています。

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以前書いたこちらも参考にしつつ

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