🌕パロミタ友美ソロ公演5/27@カフェムリウイ🌕


🟡2025年5月27日(火)おまもり歌@ムリウイ
開場:18:30 開演:19:00 料金:2500円+1ドリンク
会場:東京 祖師ヶ谷大倉 カフェムリウイ

🌕2025年6月28日(土)「祈りを歌う」古代ギリシア・中世ヨーロッパ・中世ベンガル
14:30開場 15:00 開演 4000円
佐藤二葉・中村会子・パロミタ友美
会場:サローネフォンタナ(成城学園前駅)

「シャクティ」と言うとき

シャクティ、というと
私はだいたい、女性神力
と訳すことが多いです。

単に、力とか、エネルギー
と訳してもいいし

ただ言葉の性質としての性別は
明らかに女性で、
かつ女神に由来するものであり
そのニュアンスとかイメージが
かなり強くもあるので

文脈で判断しつつ、
女性神力と訳すことが多いです。

なのですが、
女神そのもののことを
指すこともあります

というのが、
そういや敢えて説明されることは
あんまり無いかもしれないな~と

先日友人とのやりとりで
気づきまして

女神、特にパールワティー系の女神
カーリー、ドゥルガー、バガワティとか
ほとんどパールワティーの鬼形
的なことが多いですが

この方々を表現するときに、
シャクティという名詞が
使われることもあります。

そんなに珍しくないと思います、
何というか当たり前にあるので
ちょうど良い例も思いつかないのですが。

まあ、もしも何か読んでいて
「シャクティ」の表記で混乱することがあれば
こういうこともあるかもしれません。

「シャク」は動詞の語幹としては
可能、とか、実行する力?
つまり can ということですが
そういう意味があります。
サンスクリット語でね

すべての生命を動かしめる根源の力
がシャクティ、
と言えると思います。
そういう風に歌っている詩もあるな

インドの感覚としてはおそらく、
神の定義のひとつとして、
それなしには生命が活動しえないもの
というのがある気がします。

だからシャクティも、
エネルギーそのものであると同時に
女神でもある、と。

ところでここ数年のわたしの課題のひとつで
ここ数日特に可視化してきたものに
「信じ切ること」というのが
あるのですが

信じ切るというのは、
狂気と紙一重かなという気が
してきています。

多少の疑いが出るのはたぶん健全で
それも含めて見つめて
取り組むことと思うのですが

それでも、信じ切らないと
しょうがないときというのがあり

その罪悪感のようなものに
私はたぶん、立ち竦んでいます。
これが原罪意識というものかしら。

無理やり繋げるわけではないけど

信じ切ること、信念
というものには
シャクティのイメージを
私は持ちます。

見つめるという態度に
女性的なものを感じるのかもしれない。

– – – – – –

ジョイグル
(バウルの挨拶
「あらゆる命が本来に輝きますように」)

今日も明日も良い日でありますように。

パロミタ

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