🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

ケーララ女性の古典奉納舞踊・モヒニヤッタム

ケーララの伝統舞踊、モヒニヤッタム。
ケーララの伝統である白地に金ボーダーの衣装を纏い、
しっかり腰を落としたところからの女性的で流線形の動きが特徴的です。

「モーヒニー」とは、魅了する女性。
「アーッタム」とは、踊りの事。
だから細かく言うと「モーヒニーヤーッタム」なのですが、
ここでは一般的に言われている「モヒニヤッタム」で通します。

モヒニヤッタムの歴史

モヒニヤッタムは16世紀の文献からその名が見られ、
ケーララ・スタイルの舞踊として認知されるようになっていたようです。


〔この動画の踊り手スミタ・ラージャンは、現在のモヒニヤッタムの確立に大きな役割を果たしたカリヤーニクッティアンマの孫娘。〕

19世紀になり、王家のスワーティ・ティルナールが
モヒニヤッタムの庇護を買って出ました。
マハラジャ・スワーティ・ティルナールは、
タミルの東の都、タンジャーウールの有名なダンサー四兄弟を呼び寄せ、
バラタナティヤム(の元になった、当地の巫女舞)の踊り手の助力を得て、
また自ら多くの曲を手がけ、モヒニヤッタムを再興しました。

この時、モヒニヤッタムが元々どのような様式であったのであったとしても、
バラタナティヤム、ひいてはカルナーティック音楽の影響を強く受けたと言われています。
モヒニヤッタムの特徴がラースヤ(優美さ、のようなもの)
だとしたのもスワーティ・ティルナールでした。
この頃から、寺院よりも宮廷で踊られることが増えました。

マハラジャ音楽家にしてパトロン〜スワーティ・ティルナール

モヒニヤッタムの衰退と再興

しかしこのマハラジャの崩御の後は、
モヒニヤッタムは不遇の時代を迎えます。
次の王はカタカリを奨励し、モヒニヤッタムは顧みられなかったのです。
この間、この芸能様式は衰退の一途を辿りました。

20世紀に入った1935年、詩人ワッラトールVallatholが
ケーララ芸能普及と保存の拠点として
カラーマンダラム学校を立ち上げる際、
このモヒニヤッタムの伝統の担い手を見つけるのには大変な苦労をした、という事です。
Bharati Shivaji and Vijayalakshmi 2004 “Mohiniyattam” (Wisdom Tree): 42-46)


〔この踊り手、サンドラ・ピシャロディはニルマラ・パニッカルの弟子で、ナタナカイシキ芸術学校のスタイルを踊ります。私が初めて目にした彼女は当時10歳前後だったと思いますが、当時から圧倒的な踊り手でした。〕

このような歴史もあり、何がモヒニヤッタムなのか、
を定義する事には難しさがあります。
他州出身の踊り手がその発展(と言う事に語弊があるなら、普及)に
大きく寄与してきたという歴史もあります。

また、過去を発掘するためこその創意工夫が
大家と呼ばれるような踊り手の真摯な追求として
積極的に行われてきた事で、
モヒニヤッタムは諸派乱立の様相を呈している…と言っても過言ではないでしょう。
この傾向は他のインド舞踊にも言える事ですが、
モヒニヤッタムは特にそれが顕著であると言えそうです。


出典:Ravi Varma Art Gallery

片側に大きくまとめたお団子は、
モヒニヤッタムの特徴的な髪型ですが、
これは元々トラバンコー王家の女性達に特有の髪型で、
19世紀の偉大な画家・ラージャー・ラヴィ・ヴァルマの絵画に見られるものだったそうです。
これが、1960年代に段々とモヒニヤッタムに取り入れられました。

カリヤーニクッティアンマはこの髪型に反対していたため、
その直系の弟子である孫娘のスミタ・ラージャンは
この髪型を今も採用していません。
(参照:“Smitha Rajan – A journey in Mohiniyattam…” 2004, Retrieved 21st September 2019)

この動画では、様々な踊り手によるモヒニヤッタムを紹介しています。
ただ、名前の表示が無いので、どの方がどなたかが分からないのですが、往年の名手を収録しているようです……最後の鹿ダンスは何だかよく分かりません。

「最も古いモヒニヤッタムの映像」。
片方は、長年カラーマンダラム・ケーララ芸能学校で舞踊学部長を勤めた故リーラーマーだと言われています。
(お弟子さんのモヒニヤッタム舞踊家・丸橋宏実さんのホームページはこちら

カタカリの女形の舞は、モヒニヤッタムとよく似ています。
これには、モヒニヤッタムの近年の復興の舞台が
主にカラーマンダラム(代表的なカタカリ学校)で行われたことも関わっているものと思われます。

どんな芸能にも言える事ですが、
モヒニヤッタムも、どのスタイルの、どの踊り手の舞踊を見たのかで
かなり印象が違います。

私自身は、ケーララにいた事もあり、モヒニヤッタム、
特にケーララ特有の音楽や楽器にのせたモヒニヤッタムが
とても好きです。

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