🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

Radical Honesty[極端に正直すぎる]と言われた私のコミュ障克服記

コミュ障の幼少期

私の幼少時の記憶は、まず「人とうまくやれない」というところから始まります。
幼稚園のそのもっと前から、私のアイデンティティは今で言う「コミュ障」でした。

笑顔って何でしょうね。
小さな頃の写真を見ても、何だかボヤッとした顔をしています。
写真を撮られる事が大嫌いで、よく怒られていました。
というのも、笑えないから嫌だったんです。

日本にいても海外にいても、これは変わりませんでした。

社会性への一歩目

ちょうど日本に帰国した頃、10歳ぐらいの時ですが、
何でかは覚えていないのですが、急に「笑顔を作れれば便利だ」と目覚めました。
これが多分、社会性への一歩目だったのだと思います。

でも、これは本当に20代半ばになってから分かったのですが、
実は口角を上げる事ができていなかった事が分かりました。
小さい時に笑っていなかったから、そのための筋肉が発達していなかったのです。

歌うために頬の筋肉を鍛えてみたら、口角が上がるようになったので、
ある日鏡を見てびっくり大興奮しました。
「筋肉の問題だったのか!!!」と…。
単にそういう顔なんだと思っていましたから。

日本が嫌いだった

日本に帰国したばかりの頃は、日本が嫌で仕方なかったです。
その辺りの細かい理由は、よく覚えていません。
ただ、7歳の時にシンガポールの日本人学校に入った時から、
「日本」は私にとって「よく分からないルールがある所」「抑圧のある所」でした。

後になって思えば、私の我が強い性質でオーストラリアにずっといたら
今以上に随分いけすかない人間になっていたと思うので、それで良かったんだと思いますが。
男の子とは仲が悪くて、かといって女の子とうまくやれる訳ではない子どもでした。

数少ない友人にも、面白い話や
気持ちを良くさせるような事を言ったりはできなかったから
誠実さだけが、私があげられるものだと思っていました。

画の先生という支え

日本に帰国して割とすぐに、地元の画塾に入りました。
画塾の先生ご夫妻が、どういう訳か、私の事を気に入って下さっていました。
画を面白がって下さったのもあると思います。

よく覚えているのは、大人の部の展示会に母と一緒に行った時に、
私は会話を聞きながらもキョロキョロしていました。

確か母がその事に言及して、その時に先生が
「この子はそういう子で、それでいいんだ」みたいな、
何かそんな事を言って下さって、
その時はそれがおかしい事だとも思っていなかったんだけど、
その後ずっと続く先生への信頼のベースになりました。

私が「人の目を見て話す」という常識を獲得したのは、もっとずっと後のことです。

おしゃべりの仕方を学ぶ

高校生の時、美術部の先輩を見ていて、ある時、閃きました。
「そうか、頭に浮かんだ事をひたすら口にしていけば、
会話が成り立つのか…!」
それまで、特に慣れていない人との会話を続ける事ができない、という事が
悩みというか、自分はそういう人間だと思っていました。

そもそも、思った事を「ただ言葉にする」「口に出す」「表現する」という発想があまり無かったんですね。
言葉にするのは、何かしら必要性がある時だという感覚でした。
それからは少しずつ人と喋りやすくなって、今や立派なおしゃべりになりました。

成長していく

そうやって友人ができるようになっていって、
高校・大学(オーストラリア)と進んでいきました。
フリーターをした後、日本で大学院に入ったり、それをやめて
インドで就職したり、それも辞めてバウルの世界、
インドの伝統や芸能の世界に入っていき…
日印を行き来し、イベントのオーガナイズ等で忙しくしていたある日、気がつきました。
「あ、これ、鬱症状だ」

鬱の自覚

考えてみると、その兆候は大学を卒業して帰国して、
日本で大学院生をしていた時にはありました。
通学の電車で気持ち悪くなって、大学まで辿り着けなかったり。
インドで働いていた時も、週末、一日涙が止まらなくて
何もできずに終わる日など、ざらでした。

その度に、環境を変えるなどしてきたし
私はギリギリで「落ちない」人間だと思っていたので
鬱だとは思っていませんでしたが、結果的に
根本的な解決をせずにここまで進んで来てしまったのでした。

とはいえ、自覚した時は本当に忙しい時で、
私を中心にしたプロジェクトを進めていましたから、
どうしても休む訳にはいきませんでした。

でも、どうにかしないと仕事にならない。
以前に摂った漢方で、「これを飲むと気分が上がる」というものがあったので
それを飲んでみたりしたのですが、
少し続けるとひどい動悸がするようになって、
それはそれで仕事にならない。

抗うつ剤も考えましたが、身近に
「抗うつ剤で文字が読めなくなった」という話を聞いていたので
色々調べて、「これなら効くだろう」と目星をつけた
私にとっては高額な、週末集中セミナー的なコースに申し込みました。
検索をすると「宗教?」とセットで出て来るようなクリニックでしたが
決断して行った事もあり、私には効きました。

一応「寛解」の診断が出るぐらいには回復しましたが、
自らのより深いところを探る旅は、まだ始まったばかりでした。

「社会性」の対価

段々と分かって来たのは、「笑顔で」「とりあえず話す」
という、成長する中で身につけてきたスキルが
私は全然使いこなせていなくて、むしろ
振り回されていた、という事でした。
私の根本的な価値観との間にズレがあったんです。

そもそも私は、Radical Honesty (極端な正直さ)と
言われるほど、誤魔化すことや嘘が苦手です。
それでとりあえず頭に上った事を口に出すので、
後で後悔する事も多かった。

必要でもないのに笑顔を作って、
必要でもない事を話す意味って何だろうか?

誠実さだけが私の価値だと思ってきたのに、
話しているうちに思ってもいない言葉が出てきたり、
何だか自分でも何を話しているんだかよく分からなくなるような事もありました。

私は、よりフラットな、素の状態の自分を見つけて
そこに戻りたい、と強く思うようになりました。
そしてその時に、言葉やロジックではないコミュニケーションである
芸術や芸能の重要性を、改めて理解しました。

浮かび上がる恐怖

そうやって自分と向き合っていく中、
段々と浮かび上がってきたのは、
強い恐怖の存在でした。

常に理解されない恐怖、受け入れられない恐怖。
とっくに期待など捨てて気楽になっていたと思っていたけれど、
「受け入れてほしい」と思う場面や、人に対しては
その度に強い恐怖が浮かび上がってくるのでした。

そして恐怖が浮かぶたび、瞬間沸騰的にパニックになり
(ただし、自分にも外からもそうは見えない)
自分でもよく分からない笑顔や言葉が出てくるのです。

パニックの後はいつも、ひどく落ち込みます。

師匠はよく言います、「強くなりなさい!」
「バウルは何があっても、進み続ける。
何をおいても。怖れている暇なんか無い」

恐怖に打ち克つ唯一の手段は、向き合う事。
向き合うためには、自覚する事。

段々と、パニックになる率は減って、
恐怖を感じた時には自覚して、「どう対処するか」
を考える事ができるようになって来ました。

新たな「社会性」の獲得

今もまだ、自分に負担の少ない「わたし」でいる事を
探求しているところです。
それでも、人と話していて後悔する事は
随分減りました。
要因を自覚した時には、半分ぐらいは解決しているように思います。

結局のところ、感情は自分自身ではない、
ただの反応であって、
その反応の素を見ていくと、ようやく己、のようなもの、
が見つかります。
それが分かってくると、自然と
気持ちの良いコミュニケーションが成り立つ事が増えました。

「わたし」を乗り越えていく

今、一番学んでいる事は、他者のためを想う事、です。
自分の事ばかり考えている時は煮詰まって、より鬱屈とします。
その意味では、鬱というのは
エゴにばかり囚われた幻想なのかもしれない、とも思います。
ただ、その最中は本当に辛いので、
これはあくまで、抜け出せて初めて言える事です。

私の場合はインドで、本当に呼吸をするように自然に
他人のために動く人たちを目の当たりにして、
彼らのようになりたい、彼らから学びたい
と強く願うようになりました。

他者のために心から祈り、動く事ができるようになって
初めて、見える自由があるように思います。
自分を空っぽにして初めて、
その器の色が見えてくるようです。

それでやっと、よく言われる「愛」という感覚が
そうか、これの事を言っているのかと
分かってきたように思います。

受容という出口

よく「自分を愛する事が大事」だと言われますよね。
私の場合は、自分を優先しない、という事は無かったので
自己愛が足りないと思ってはいませんでした。

ただ、他人には受け入れられない、という強い意識がありました。
それは自分を受け入れていない事に他ならない、という事が、ようやく分かって
腑に落ちるようになりました。

あれだけ人が苦手だったのに、
人を好きでいる事がとても好きで、大好きな人達がたくさんいます。
いつのまにか、彼らに大切にされる事が当たり前になっていました。

今も、人に理解されないという葛藤はありますが
たとえば今この文章を書いているという事は、
多分、そこも克服しつつあるのでしょう。

もう長い事、笑顔を負担だとは思わなくなりました。
お喋りで後悔する事も、随分減りました。

今は、このブログを書くようになって、
「私は、こんなに、めちゃくちゃ語りたい事が、あったのか!」
と驚いています。

自分の事をおかしいと思う事は、必ずしも悪い事ではない
と思っています。
私の場合は、だからこそ先入観や、偏見が人より薄いようだと感じます。
自分を常識の無い人間だと思っているから。
だけど、おかしいなりに楽しく生きていく事はできそうなので、
何とかこのように進んでいくつもりです。

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