マドゥコリ、プロバート・フェーリ、パリクラマ
ぜんぶ、裸足で歩くこと、
裸足で聖なる名を唱えながら
村の中や聖地の周りを回ることが主
私はこれらがいちばん好きで
儀式や祈祷や寺院も素晴らしいけど
歩く行を愛しているなと思った
師匠が日本に来たとき、
修験系のお坊さんとのお話で、
山で歩く行についての話が出たけど
そしていつだったか山に登ったとき
裸足でさかさか行くから、
いつも山で行をしているのかと思われたことがあるけど
考えたら、コンクリートの
時に粗かったり鋭かったりする地面を
私は裸足で歩いていたのだった
手にはコルタル(小さなシンバル)、
称名を絶やすことなく
2-3時間は当たり前に
毎回それをみんな、
素晴らしいけども足にはひどい荒行
かのように言うけど
私には全然辛くない、痛くても
それは大した問題には全然ならない
(ちなみに私は痛みには弱い)
全く荒行には思えないのだった
*
歩くことは、ずっと私の主な関心ごとのひとつだった。
高校の時から二十代半ばにかけて腰痛があって
私が武術関係の色々な本を読み漁るようになったのには
それも大きな要素としてある。
背骨が元々S字になっているから
負担がかかりやすいと言われて
整体とかマッサージとかに一生かかるよりも
歩き方でそれがどうにかなるなら
どうにかしたいと思ったし
どうにかなるはずだと思った。
私にとってそれは希望だったのだと思う。
単に趣味に合ったということもあるけど。
色々と工夫すること、発見し続けていくことは
単純に楽しかったし、今も楽しい。
身体に取り組むことは、それからずっと私の中心にある。
(おかげさまでここ数年は腰痛も冷え性も無いです)
*
だから、と言って良いのかは分からない
でも裸足で歩くことを伴う行の中にあるとき
私の五感はいちばん研ぎ澄まされる
様々なことに耳が目が開く
夜の明けゆく村の中を
プラバート・フェーリで歩いていたとき
歌を唱えながら鳥たちの声を聴いていて
冬の冷たい風を受け、白みゆく空を目にしながら
そのことを強く実感した。
私の行が結実するのがこの行だという思いがある
祈祷や寺院は、美しいのだけど
私はどうもボーッとしたり
どうでもいいことを考えたりして
いかに功徳があると分かっていても
私は完全にそこに
ただ存在としていられた試しが無いように思う。
そして歌舞いも、歩く行の延長線上にある
私にとっての舞は、大地と足の裏を通じて
コミュニケーションを取ること
のようなところがあり
(これは今回のインド滞在でより確信を持ったこと)
歩くことなしに舞は成立しない
私にとっては。
*
次の歌舞いの機会はこちらです。
日時:3月29日(金) 開場 19:00 開演 19:30
場所:世田谷区 サローネ・フォンタナ
(成城学園駅から徒歩15分、祖師ヶ谷大蔵駅より徒歩12分)
料金:¥4,000(小学生以下無料)
ご予約はこちらのフォームから
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※
ジョイグル
(バウルの挨拶
「あらゆる命が本来に輝きますように」)
今日も明日も良い日でありますように。
パロミタ
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