私が数人と外食をした時、取り分け役を
積極的にやっていると、意外に思われるかもしれません。
これは、私が女性の役割だからとそうしている訳ではないのです。
男性でも、他の人にサーブをして
皆が食べるまでは自分はけして食べない、というような人を
私は見て来ました。
インドの男の人が皆そう…という訳ではもちろん、ありません。
むしろ、そんな事思い付きもしない、という人も多いかと思います。
というか、多分そういう人の方が多いです。
私がそういう人を見る事が比較的多いのは、
アーシュラムという、一般的に「修行道場」と訳される環境
にいる事が多いからでしょう。
けれども一般家庭でも、お客さんに対してはそうするという
男性もいらっしゃいます。
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この精神、「他者を第一にする事」は、
私がインドで学んでいる一番の事
と言っても過言では無いと思います。
抑圧では無いのです。
自己卑下とも違います。
あくまで、心から出たものではないと意味が無い…
と言いながら、形から入って初めて魂が付いてくる、という側面もあります。
ただ、望んでする事でなければいけない、という事は確かです。
心から人の喜びのために動きたい、という
才気に溢れた男性達や女性達を見て、
私もまた刺激やインスピレーションをいただいて、
そうなりたいと思うようになりました。
たとえば、ケーキを人数分に切って、
最後のひと切れを自分が食べようとしていた時に
もう一人現れた。
その時に、息をするように自然に、
「これあなたの分だよ」と言える事。
「いや、あなた食べてないでしょ」と返されたら、
「実はお腹空いてなくて」とか、
「まだあるから」「さっきちょっとつまんだから」など
とにかく相手が気持ちよく食べられるように配慮した言葉を言う。
こういった事を、息をするように自然に、
そして気持ちよく、喜びと共に、本当にするのです、彼らは。
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私は「バウル」という伝統の修行をしています。
歌舞いが特徴的で、とても知られている伝統ですが、
実のところ、一番の修行はこうしたセーヴァ(奉仕)の行です。
師に、その周囲の人に、そしてやがては
全ての人の、そのそれぞれの中にまします神に奉仕する事です。
セーヴァは、英語のservice (サービス)とおそらく語源を同じくする言葉で、
仕える事を言います。
インドには、「セーヴァをしたい!」という人がたくさんいます。
「ボランティアをしたい」に似たところがありますが、
このセーヴァは無私を基本とし、報酬が発生するとすれば、善行をした事による功徳。
「徳にあやかる」事が見返りです。
私自身の体験からお話をしますと、
自分の事ばかり気にかけるのは、息が詰まります。
鬱の方向に行きそうになるのはそういう時で、
他者のために動き、祈る事ができる時、全ての風通しが良くなります。
発声の仕方さえ、その心持ち一つで大きく変わります。
とはいえ、それでは本当にただ「自分のため!」になってしまうのですが、
とにかくまずは行動から変えていく事です。
「カルマヨーガ」とも言いますね。
「カルマ」は「業」とか「因果」とも訳されますが、
ごく単純な訳は「行動」です。
いわゆる善行のヨーガであって、それによって良いカルマを積むという事です。
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今、日本語で「奉仕」と言うと、どこかネガティブというか
卑屈であったり、抑圧されていたり、
そういったイメージが付随して来るように思います。
丁寧なサービス精神は、常に繊細な心遣いと、形式主義のせめぎ合いとなり
「おもてなし」という言葉も、心尽くしの善意という意味を保ちつつも、商売の所有になりつつあります。
こうした文化があるから、インド人の日本人への印象は
良い事も多いし、
私自身、「日本人っていい人が多いな」と思う事もあります。
それでも、ここで書いたようなセーヴァ、奉仕の精神の「魂」は
現代の日本が多分に失ってしまったものであると感じます。
ほとんど同じ「魂」を私が日本で初めて本当に感じたのは、
師匠に付き添って修験道の方の歓待を受けた時です。
インドでの女性への抑圧や、様々なカーストや職業に関わる差別は
厳然たる現実として存在します。
けれどもそれとは全く違う次元での話として、
このセーヴァの伝統は力強く文化と精神性を支えているのです。
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