🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

そもそも巫女舞とは何か〜インドの巫女舞と呼ぶ前に

今回は、日本の巫女舞の話です。
というのも、
インドの古典舞踊は
「インドの巫女舞」と
紹介される事が多いのですが

実際の巫女舞を
観た事がある方は
比較的、少ないかもしれません。

そもそも日本語で言う「巫女舞」とは何なのか
というところを
今回は突き詰めてみたいと思います。

アメノウズメの神話

巫女舞について最初に語られるのは
アメノウズメの神話です。
天照大神が岩戸にお隠れになった時
神々の輪の中で
アメノウズメがあられもない舞を舞い
神々がどっと大笑いに笑うので
気になさった天照大神が
ついに岩戸をお開けになった
(その時に手力男命が大神を
岩戸から引っ張り出した)
というお話。

神懸かりの巫女舞

巫女舞の起源と言われているのが
巫覡[ふげき]系の舞、
いわゆる「神懸かり」になり
託宣などをするタイプの
巫女舞です。

現在では本当に
神懸かりをする巫女舞は
少なくとも一般的に知られている限りでは
ありません。

(イタコなどのシャーマンは
舞を含まないという点で
ここでは該当しません。
沖縄や奄美のユタや巫女については
ここではひとまず考えない事にします。)

しかし、その名残を残している
巫女舞は各地にあります。
基本的に日本の
神懸かりの巫女舞は
左右に旋回しながら
トランス状態に入っていく
というものだったようです。

これが「舞い」という言葉の
語源とも言われています。

この動画は三上敏視の講演「巫女神楽について」より

大田神社の巫女舞は、
現代で最も
巫覡系の痕跡を
残している巫女舞
言われていて、
非常にシンプルです。

他にも、
これも古い形を残している
ように見えます。

また、こちらは男性による舞ですが、
激しい回転の形
かつてはこのような巫女舞もあったかもと
思わせられるところがあります。

この動画は三上敏視の講演「巫女神楽について」より

奉納・祈願舞

現代の多くの巫女舞は
神々に奉納するものとしての舞であり
祈願としての舞ともなる
ものです。

宮廷で巫女舞を担当した
とされる猿女君(さるめのきみ)は
アメノウズメの子孫とされます。

アメノウズメの舞は、
巫覡系の元祖と
言われていますが
神々をよろこばせ
呼び寄せるという点で
むしろこの奉納舞の
元祖という風に
私には思えます。

私自身が学んだ江戸里神楽では
鈴の音は神様が好むもので
足を踏む事で大地の精を呼び覚ますのだと
教わりました。

神話を演じるタイプの神楽も
観衆を楽しませるものであると同時に
やはり本来的には、
まず神々を楽しませる、
神々に奉納するものです。

 

他に、昭和15年に宮内庁により
作舞された「浦安の舞」が有名ですが、
全国で講習会が行われて広まり、
現在に至るまで各地で奉納されているので、
現在最も親しまれている「巫女舞」となったようです。

巫女禁断令

明治6年にいわゆる
「巫女禁断令」が出て
憑依・託宣系の巫女が廃れた
と言われています

舞の部分に関しては、
果たしてその時点で
舞を媒介とする
憑依・託宣系の巫女「舞」が
存続していたのか
ハッキリとした資料の存在は
見当たりませんでした。

そうした世相の中で
巫女舞の存続を主張し
舞を芸術的に昇華した
と言われる
春日大社の巫女舞がこちら。

その後、各地で
春日大社から講師を呼んだ
という事もあって、
この形式の巫女舞は
動画などでもいくつか
見かけられます。

インドの「巫女舞」か

さてインドの女性舞踊ですが
巫覡的な、神懸かりの側面は
少なくともデーヴァダーシー[神に仕える女]に関しては
見受けられないように思われます。
デーヴァダーシーは、
よく「巫女」と訳されます。

(ただし、ミラバイのように
神を眼前に見て、
夫や世俗をかなぐり捨てて
神の妻であろうとした
女性もいました)
(あとそんなスリラー映画はありました)

テイヤムのような憑依儀礼では
憑依・託宣と
振付のある舞踊的な側面が
渾然一体となっていますが
これは「巫女舞」と共通項も多いものの
そう呼ぶ人は少なさそうです。
(あ、そもそも男性が演者な伝統でした。
下の動画がテイヤム)

南インドの祟る女神〜テイヤムとポンガーラ

一方、祈願・奉納系の巫女舞との共通点
まちがいなく挙げられるでしょう。
デーヴァダーシーの舞踊は
基本的に、神に捧げられるものです。

また、デーヴァダーシーは
神の妻ですが
日本でも、かつての斎宮のように
未婚の娘を巫女としたのは、
神の妻という側面があったからでしょう。

時代が降ると共に
社会的地位が下がっていった
という点も、
デーヴァダーシーと巫女は

共通点があります。

神の妻〜ジャガンナートの巫女マハリ

歌い舞うサディル、バラタナティヤムの前身〜寺社に属する女達

バラタナティヤムが「インド舞踊」になるまで

なので、インドの女性舞踊を
インドの巫女舞と呼ぶ事は
的外れでは無さそうです。

(「舞」と「踊り」の違い等は
ここでは一旦、脇に
置いておきましょう。
あと、全ての女性舞踊が
そうだという訳ではありません。)

同時に、こうして
日本の巫女舞をいくつか
観る事で
インドの巫女舞とのムードの違いも、
よく分かるかと思います。
特に、日本の巫女舞は
何かを「表現する」という性質では無い点が
際立っています。

また、ここでは細かく
取り上げませんでしたが、
そもそもの「巫女」が
カバーする範囲、役割が違う
という事も
念頭に置いた方が良いでしょう。

ごく大雑把に言えば、
日本語の「巫女」という括りには
元々が巫覡(憑依される者)であるという意識が
強く関わっています。

インドでは、
行を積んだ行者には
法力のように
「真実の力」(祝福や呪いを授ける力)が備わるような
一般感覚はあります
インド舞踊の踊り手は
一般的にこのような想定は
されません。

行者と芸能者の
関係については、
あまりにも大きな話題なので
ここでは書ききれませんが
このブログ全体を通して
少しずつ語っていければと思います。

ただ、あくまで
舞台芸術として学び、
実践する時に
それでも「巫女舞」と
呼んでも良いのかという問いかけは
必要であるように思います。

個人的に、
インド舞踊を観て来た中で
より巫女舞的だな、と
感じる舞踊と
あまりそう感じない舞踊も
あったりします。

特にインド舞踊は
舞台芸能として
発展していく中で
舞台セッティングや
おそらくは踊り手の意識で
あり方そのものが
かなり変わってくるように
思います。

それぞれが目指すものを
自覚しながら
それぞれに発展していけると
よいのかな、と思いながら
なんだか煮え切らないようですが
この項を終えたいと思います。

参考(All Retrieved 26th October 2019):
三上敏視の講演「巫女神楽について
ウィキペディア「巫女舞」「巫女
Phantaporta「神懸かりの巫女はもういない? 巫女舞の今とは—
Togetter「“巫女の日”に考えた、近代神社と巫女と浦安の舞
三上「神楽と出会う本

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