12月15日〜ベンガル民俗画・ポトゥア絵のウェブ販売をします。

現代ヨガ考〜「聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅」を観ました

「聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅」
現代ヨガのルーツを探るドキュメンタリー
食わず嫌いで敬遠していたけど、普通に良い映画でした。
現在世界中で人気を博している
「ヨガ」の来し方について考える上でも、
すぐれた資料にもなっていると思います。

今やヨガ人口は世界で3億人と言われていますが、20世紀初頭、インドでヨガは少数の年配者や僧侶だけにしか知られていませんでした。当時、大学でヨガの実践と哲学を教えていたクリシュナマチャリアは、マイソール王国の君主に雇われ、身体能力を高めるための古典ヨガを発展させた新たなヨガの方式を確立し、これが現代ヨガの源流となりました。南インドの美しい風景と貴重な映像を交え綴られる、ヨガのルーツに出会うドキュメンタリー映画です。20世紀初頭のインドで新たなヨガ方式を確立し、現在のヨガブームの基盤を作ったクリシュナマチャリアは、自らをヨガの師ではなく常にヨガを探求している生徒だと周囲に語っています。「魂に集中しなさい 神のことを思いなさい さもなくば気づきは得られない」

アジアンドキュメンタリーズの紹介文より)

クリシュナーマチャーリャの映像がたくさん出てくるし
パタビジョイス、アイヤンガー、そして実の子どもたち、
という三つの継承者の流れを追っているので
資料的な価値があるものになっていると思いました。

そして、何というか監督が
非常にフェアな感じがしました。

パタビジョイス

たとえば、パタビジョイスと
クリシュナーマチャーリャの初期の生徒との会話で
「昔はお金を取るものではなかった」
「皮肉なものだ、
今は海外からたくさんのお金を払ってヨガを学びに来る」

と(いうような事を)語るのを聞いたパタビジョイスが、
「私がクリシュナーマチャーリャをアメリカで有名にした」
と答えるシーンがあります。

それをサラリと写しておきつつ、
その後の取り上げ方でも、
けしてパタビジョイスへの敬意を失わない。

(一応ことわっておくと、
私はここでどちらが正しいとか
支持するとか、
そういう位置付けをしたい訳ではありません。
そうできる程には、どちらの人物の事もよく存じ上げません。

「ヨガ」で大きな名を成した人物には、
何かしらの疑惑やスキャンダルが
付いて回る事は少なくありません。

その是非を問うたり、
真偽を検証する事は、
私にできる事ではないと思っています。
単純に、本当のところは
本人たち以外に知り得ない事だからです。

この映画でも、あえてそうした事には
触れていない部分もあるとは思います。

でも一方で、こうしたちょっとした
場面を写し、
そしてその上で
パタビジョイスへの尊敬をちゃんと保っている
様子などが、
私はこの監督がかなりフェアで、バランスが良いと思う所以です。)

アイヤンガー

また別の弟子であり、
クリシュナーマチャーリャの
義理の弟でもあったアイヤンガーへの
取材も行われていて、

このアイヤンガーへのインタビューや
指導の映像を見て、
彼がすぐれた指導者である事は
ものすごくよく分かりました。

正直、彼の師への批判
彼がけして一筋縄ではいかない
「インド文化の継承者」である事を示しているのですが

普通のインド伝統文化では、
師への批判は御法度というか、
まず起こり得ません。
これは、日本で一般的に想像される
師弟文化とは、かなり違うところです)

でも私は、このアイヤンガーが
師匠について語るところで、
吹き出して大笑いしてしまいました。
何だろう、嫌味が無いというのかな。

ただ、この辺りの一連の流れを見て
このクリシュナーマチャーリャに始まる
「現代ヨガ」が
確かに昔からの伝統を引き継いでいる
部分もしっかりとありつつ、

やはり他のヨーガの伝統とは
違う出発点を持っている事も
確かなのだろうな、と感じました。

クリシュナーマチャーリャの子どもたち

クリシュナーマチャーリャの
息子・娘たちの言葉や
写真記録などに見える
指導法の変遷が、興味深かったです。

上で
> やはり他のヨーガの伝統とは
> 違う出発点を持っている事も
> 確かなのだろうな、と感じました。

と書きましたが、
彼のご子息への取材を見て、
クリシュナーマチャーリャ自身は
確かにヨーギーでもあったのだろうな、
ともまた、感じました。

改めて「ヨガ・ボディ」を
読み直さないといけないな、と思いました。
現代ヨガのルーツを問い直すあの本には、
なるほどと思う部分と、
腑に落ちない部分があり、
たぶんそこは、何をもって現代ヨガとするのか……

つまり、現行のバラタナティヤムが
全てルクミニ・デーヴィー編纂の舞踊に
由来するものではなく
より古い流れからの参入・復興も
色々と起こっているように

歌い舞うサディル、バラタナティヤムの前身〜寺社に属する女達

バラタナティヤムが「インド舞踊」になるまで

おそらく「現代ヨガ」も
もっとずっと多層で複雑な継承の流れがある
という了解が必要で、
そこを念頭に置いた上で、
あの「ヨガ・ボディ」を再読した方が
色々と整理できそうです。
(※現在再読しつつ、そうだった、
あまりに情報が錯綜していて
途中で混乱してきたのだった…
というのを思い出しています。
この記事は後で書き直すか、
また別稿を立ててこの本については
書くかも知れません)

よく人は、こういったものには教祖がいて、
確固たる流派があって……
という想像をしてしまいがちですが、
実際には、ヨーガを含めた様々な伝統は
実践者が旅し、様々な影響を受けたりもする
より多様で、多層なものでした。
それでいながら、師弟で確かに伝えている
命脈が保たれて行く
おそらくそういうものだったのです。
(元の空手などもそうだったようですね)

その中で創意工夫をして行く事は、
少なくともインドの伝統の中では
非伝統的な事ではありませんでした。
新たな面の再創造は
ある種の真理の「再発見」だと
捉えられるからです。
※だからと言って何でもアリ!という訳でもない
どんな事であっても
同時代人から批判が無い訳ではありません。

古を求めて発展させる~インド芸能は「思い出され」て進化する

そうした流れの中で、
このバラモン生まれで
文献的・サンスクリット的・哲学的な
教育を受け、研鑽を積みながらも
ヨーガの修行を積んだ行者
(クリシュナーマチャーリャ)は、
結果的にと言うべきか、
ヨーガを新たな形で世界に紹介する
役割の一端を担ったのでは無いか、
そう言う印象を受けました。

そういう、何となくモヤモヤしていたあたりの
自分なりの文脈付けが、
この映画を見ながらできたように思います。
後でやっぱり違った! となったら
この記事はさりげなく消すかもしれません…笑

※「ヨガ・ボディ」についての記事書きました。

現代ヨガ考②〜「ヨガ・ボディ」を読む

あと余談と言うのも何ですが、
呼吸の録音が非常に良くて
これが全体の清涼なアクセントになっている
と思いました。

なぜ「食わず嫌い」で見て来なかったか〜宣伝の難しさ

なぜ「食わず嫌い」を起こしていたかというのは、
上の予告編を見ていただければ、
分かる方には分かる…と、思うのですが…
ある友人にも勧めたら、
「そうなんだ、うん、あの予告編は
何というか、テンション下がったよね…
という話になりました。

ある程度ヨーガについて、
歴史的な事を知っていたら、
あるいはインド文化に親しんでいたら、
どうしても「またこういうのか」
と思ってしまうところがあります。

たとえば、この映画は非常に
「現代」ヨガのルーツを扱う、
という点に自覚的だと思うのですが、
予告編ではそこはほぼ触れられていません。

ヨガを知らない、あるいは
やっていても歴史的な勉強は
した事がない方にとっては、
確かに「余計な情報」なのかもしれません。

日本の「一般向け広報」のコレジャナイ感は、
主に韓国ドラマの宣伝などで
今少しずつ問題提起されてきているようですが、

この映画については、私には何とも言い難いところがあります。
というのは、実際こうした見せ方、
売り出し方をした方が
より多くの人が興味を持つのだろうな、
という感覚が、私自身にもあるからです。

それでも、少なくとも私や
ある一定の層の人々は、この予告編を見て
勝手に失望をして敬遠してしまった訳で
おそらく日本に紹介するチームの方々にも
葛藤はあったのかなと勝手ながら
想像力をたくましくしてしまうのですが
…難しいものですね。

私はアジアンドキュメンタリーズの配信で視聴しましたが、
色んな映画配信媒体で見られるようなので、
ご関心の方はぜひ既に契約している媒体で探してみてください。


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