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「言霊」は嗜好ではない

あるところまでいくと、
言霊的な理解が何というか、
好き嫌いとか嗜好の問題ではなく
「必要」になるんだなと
痛感しております。

それが無ければ、
機微というべきか、本質というべきか、
玄妙というべきか、精妙というべきか、
とにかく、わからない、
辿り着けない。

言葉は結局は、それによって
言葉ではないものを指すもの……

いえ、言葉はそれによって
言葉ではないものを実現するもの

あるいは、その言葉の
力、精妙さによって
捉えられない存在が、
あるかたちをとる……

このあたりの理解や語り方、
塩梅、難しいのですが
どれでもなく、どれでもある
そういうところに、
言葉はあります。

それで、より玄妙な領域に
近づいたり、
触れたいと思うなら
自然と、言霊的な
言葉にならざるを得ない、
それなしには
意味の無い音の塊になる……

みたいな、そんなことを
この頃は実感しています。  

実感していますというか、
それができないと
そもそも何を意味しているのか
本当に分からないものが
出てくるんですよね。

そういう感性が、本当は
和歌などを読むのにも必要で
そう思ったからこそ
昨年から古語などを改めて
勉強するようになったのですが。

全く透明なのに
底なしの泉を覗き込むようで
途方もない気持ちに
襲われていますが、

もう、そこにしか
その泉にしか
興味が無いようになってしまったから
仕方がありません。

また少し、読める文章、
読みやすい文章、
変わってきました。
石牟礼道子さんの言葉は
甘露のようです。

いわゆる現代日本語的な文章が
またいっそう苦手になってきた
気がします。
それでもまだ、
読めるうちは、
今のうちにできる勉強として
できるだけ読むんですけどね。
がんばれるところまでは。

今、自然に日本語の話に
なってしまいましたが
今現在私が潜り込んでいるのは
ベンガル語のマントラの海です……。

 

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