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底抜けに暗く、底抜けに明るい〜「おどろおどろしい」の考察

「おどろおどろしい」
「妖しさ」
という言葉を、先日の
公演の感想で見かけて、
驚いたと言うのも変ですが、
意外でした。

マーダヴァ、
どうか私の、内なる扉へ
おいでください
マーダヴァ
このいのちの友

あなたの笛の音を
どうか甘やかに
ずっと吹き鳴らして
みずみずしい愛の
心の琴を弾いて

(クリシュノ・ダス・ゴシャイのうたより抜粋
訳責:パロミタ)

つまり、暗いということか……
それはバウルの歌舞いとしてはまずいのでは。
いや、あの日は集中しづらくて
奮闘してしまったし
落ち込んだし、
そのせいか?
など考えたりしたのですが、

ふと思い付いたのは
考えてみれば、
日本の能や、舞踏も、
どちらかといえば
そうしたイメージで
語られています。

それで、ああそうか、
内側に潜ったり、
自分自身に直面したり、
そういったことを(見た人が)
表現しようとすると、
「暗い」「おどろおどろしい」
という感想になるのかもしれない
と思いました。

そういえば、私も数年前の
最上和子さんの舞踏を拝見して
(たしか「水の祀り」)
底知れない孤独を感じた
と思い、そう書きましたが

それも結局、
私の側の受け取り方の問題で、
当時の私には
そのようにしか受け取れなかった
ということなのかもしれません。

己に直面することが
孤独であることは確かですが
それが暗いのか、
辛いのかというと、
それは個々人がどの段階を踏んでいるか
にもよると思います。

たとえば私自身は、今、
このプロセスが非常に楽しいです。
あるところまでは、
辛かったような気もするのですが
最近は何か問題とか、
感情的な引っ掛かりを覚えると、
「よし来た!」と思い
取り組むことを
楽しみにすらしている始末です。

自分と向き合うことは、
言うなれば
底抜けに暗く、
底抜けに明るい。

輝く暗闇のようなもの
かもしれません。
……こんな言葉、舞踏とかで
言われている気もしますね。
読んだことがある気がします。

実際のところ、どうして
そのような感想になったかは
もちろん分からないのですが
そんなことを考えました。

3年ぐらい前の私の歌舞は、
まだもっと苦しそうだったと思います。
ただ、苦しそうなだけで
じゃあでは「おどろおどろしい」
「妖しい」と感じるかというと……?
なので、まあ、分かりませんね。

身体でも心でも
(そのふたつはさほど
違うものでもありませんが、
とりあえず違うものだとしても)
内に潜って観じることは

一度やり方を学ぶと
大抵の人がどハマりするぐらいには
楽しいものだと思いますが、

それをやってみたいと、
そこに辿り着く時点で
既に、その人のこうした素質は
開花している訳で

それまでは、
「おどろおどろしい」と感じるのも
むしろ当然なのかも知れない……
そういう、捉えづらいものに
取り組んでいるのだし。
そんな事を考えたのでした。

 


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