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古を求めて発展させる~インド芸能は「思い出され」て進化する

「悠久のインド」となどと言われるように、
インドは歴史の古い国、過去から連綿と続く伝統のある国です。
けれども、その古さとは、そして伝統とは何でしょう。

インドは常に、古くて新しい国です。
そこには、神話時代にまで遡るような古(いにしえ)を生きる事と、
現代を生きる事が必ずしも矛盾しないような
基盤となる概念があるようです。

ヒンドゥーの聖典や教典には、
・ シュルティ=聞かれたもの
・ スムリティ=思い出され記憶されているもの
という分類があります。

シュルティ/聞かれたものとは、すなわち天から授けられたもの。
有名な聖典、ヴェーダやウパニシャッドなどがこれにあたります。
ヴェーダなどは、プラーナ文献やマヌ法典などで語られる創世神話によれば、
この世界がつくられたその時に、発生・誕生しています。
たとえば日本神話で、神々が無から生じてきたのと同じように。

それに対して、スムルティは
聖者や仙人たちによって「思い出され」伝えられたものをこう呼びます。
インド哲学の世界ではより詳細な定義があるようですが、
ここで注目したいのは、「真実」が「思い出される」
という意識や感覚が、インド世界に存在することです。

近代に入るまで、劇作品と言えば、基本的に神話に取材した内容でした。
これは、今の古典芸能の世界にも当てはまります。
問われたのは単なる独創性というよりも、
いかにして既知の神話の新たな側面を切り出し、
感情を喚起させることができるか、という点。

そしてその新たな側面が多くの人に受け入れられるようになると、
やがて神話の一部に組み込まれ(そのように広く認識され)、
神話は常に再発見されていきます

創作と伝承の境目が明確ではないのです。
これは、「思い出される」スムルティという概念にも繋がる現象であるように思われます。

現在のインド芸能の世界、特に古典舞踊の諸派の様子を見ていると、
原型の復元と独創的な革新が、
明確には区別をされきらずに行われているようです。

勿論、高名で革新的な踊り手たちは特に、
しっかりと古典や歴史の研究をした上での、
舞踊形式の「発掘」作業を行っています。
しかし、その結果としての、現在の諸派乱立であることも確かでしょう。

〔この動画では、北インドのカタック、東インドのオリッシー、そして南インドのバラタナティヤム…と続き、最後に三つの舞踊が同時に踊っています〕

インド芸能や文学伝統の世界においては、
古からの伝統を継承することと、新たな発展をさせることに、
何の矛盾も無いようです。

これは、同じ形式をひたすらに護っていくことを旨とする
日本の芸能と、決定的に隔たっている点です。
もちろん日本にも歴史上、革新的な人間は何人も出ました。
しかし、それを継ぐ者たちはその革新的な形を、伝統として大切に、そのままに護っていきます。

インドにおける芸能の星たちは、
その当時は保守層からの批判を受けたとしても、
やがて受け入れられると、芸能の伝統という大きな流れに組み込まれ、
新たなものを始めた発明家というよりは、
真実を発見した存在というようなニュアンスで捉えられます。

真実の探究にすら独創性は要求されるという認識が
どこかで共有されているようにも見えます。

ほとんど唯一の例外が、バラモン(僧侶階級)に伝えられたヴェーダ詠唱なのかもしれません。
ヴェーダの詩句は、異なる地域の口頭伝承で、
ほとんど差異なく伝えられているといいます。

けれどもインドのほとんどの伝統において、この傾向…
新たな発展とより古い「真」の形の追求が矛盾しない
という傾向は見出されるように思われます。
古に忠実であるためにこそ、革新を重ねてきているという姿勢です。

よくインドの伝統といえば、古いものがそのまま……、
というように喧伝されがちです。
しかし、連綿と伝えられて来た事や、過去からずっと連なるものがある事と、
同じ型をずっと護り続けるという事は、
必ずしも同じではありません。

そこにこそインド芸能の豊かさと、面白さがあるのではないかと思います。

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