🌕6月30日高田馬場ときわ座、7月13日国立ギャラリービブリオ🌕


🟡 7月13日(土)国立ギャラリービブリオ
16:30open 17:00 start チャージ2500円
「恋うたでない恋うた」
パロミタ友美ソロ・バウル歌舞い

🟡6月30日(日)高田馬場ときわ座
13:00op / 13:30st / ¥2500+飲み物
Withナマステ楽団
この日は自作の日本語の歌のみをがっつり歌います。

ベンガル民俗画・絵語りポトゥアの絵を売ります

ベンガル民俗画である、
ポトゥアと呼ばれる人々の
絵を売ります。

12月12日〜にショップ公開(閲覧のみ)
15日20時から販売開始です。

記事最後に、もう少しだけ

詳細を載せます。

ポトゥアというのは、
ポトチトロ(パタチトラ)とも呼ばれ
ポト(物語絵)のチトロ(絵)で

彼らの多くは、
絵師を意味する
「チトロコル(チトラカール)」
名字として名乗ります。

物語絵と書いたように、
ほとんどの絵には物語があり
尋ねれば、喜んで
その物語の歌を歌ってくれます。

神話物語のポト


1:21から歌い語りをしている様子

結婚式と、全ての儀式を終えると
美しきラーマ王は
父の誓いを本当にするために
森へと向かった
先頭はラーマ王、
続いて妃ジャーナキー(ジャナカの娘シーター)
最後がラクシュマナ、弓矢を手に
空には灼きつくような太陽
地面は焼けつくよう
か弱いシーターは歩けない
ラクシュマナが木の枝を折って
シーターの上にかざした
この影の下に来て、
どうぞゆっくり歩いて下さい
……

動画より一部抜粋訳

イスラーム名を持つ彼らですが
ヒンドゥー名も持ち、
両方を使い分けていたりもするそうで

歴史の中では、
ヒンドゥー、イスラーム、仏教の間を
行ったり来たりしていた
とも考えられています。

現在彼らの描く絵は、
その多くがヒンドゥー神話的な
題材を主としていて、
ラーマーヤナや蛇女神モノシャの話、
ラーダークリシュナなどが
特に多いようですが

「魚の結婚式」という
民話的な話も
よく見る題材です。

時事問題のポト

更に、社会問題・時事問題を
扱ったポトも
積極的に描いているようです。

以前行ったポトゥアの展示では
公衆衛生の(政府の依頼を受けて?)
物語絵(!)もありました。
それも何枚か。

こちらは「木を植えよう」
というポトチトロと歌の動画。

みんなで木を植えよう
家に木があれば
人に良いものをもたらしてくれるよ
心地よい風を呼び込む
いとしい木々のあり方
みんなで木を植えよう
池のまわりに、木があれば
魚も三倍取れるよ
かたく大地に根差した
いとしい木々のあり方
……
全ての土地に
庭を作ろう
これは私からのお願いです
……
みんなで木を植えよう
木から薬も生み出される
生にも死にも良い恵み
アーユルヴェーダの薬は
誰もが使えるもの
みんなで木を植えよう
……
砂漠に木は無い
そこでは穀物は育たない
人も歩けない
ラクダに乗らなければ
みんなで木を植えよう
……

動画より一部抜粋訳

私が見に行った展示では
親子三代の変遷をテーマとしていて
絵はここ数十年で
いわゆる芸術的に洗練される方向に
変化してきている事は明らかでした。
でも同じ家系や兄弟でも
それぞれに違う発展の仕方をしているのが
とても興味深かったです。

私の手元にも、
「素朴!!!」という感じのものと
「洗練!!!」という感じのものと
両方あります。

自然の顔料

「ポト」と言えば、
昔は布に描いていましたが
今は紙に描いて、裏布で補強する
場合が一般的なようです。

今でも、自然の顔料を使って
描かれる事が多いです。

初めて、売っている作家のお姉さんに
「ナチュラル・カラー」
と言われた時は、
「本当に?」と思ったし、
その人だけの特徴なのかと思ったら
割と一般的にそうなのだそうです。

かなりビビッドな色が使われているので、
自然顔料とはびっくりします。

ポトゥアの村の人々の様子
1:57あたりから自然の顔料を
作っている様子がちょこっと出てきます。

(ポトゥアの村で行われる:訳者注)ポト・マヤ祭で最も人気があるのは顔料作りのワークショップだ。そのひとつを覗くと、チトロコル(絵師)がシーム(ヒヤシンス豆)の葉の束を手のひらで擦り合わせてペースト状にしていた。それを絞って、緑の汁を絞り出す。それをココナツを濾したクリーム樹脂混ぜ合わせ、日光に当てて置かれる。同じように、鮮やかな赤はロトコン(ランバイ)から作られる。光るような黄色はターメリック(鬱金)から。茶色はシェグン(チーク)の木。白は米粉とグスム(池の底の土の)粘土。黒は炭か焦げた米。青はアパラジタ(チョウマメ)の花やニルモニの実から。「私たちは村にこれらの植物を植えて、いつでも顔料が作れるようにしています」とモヌ・チトロコルは語った。今では市販の絵具を使うポトゥアもいるが、多くのポトゥアは今でも伝統的な自然の顔料を使う事にこだわる

Anuradha Senguptaの記事(2014)より翻訳引用
(訳責及び翻訳文の著作権はパロミタにあり
太字は訳者によるもの)

歴史

数人のチトロコルと話しただけでも、村のほとんどの人が、何らかのプロジェクトや注文、あるいは展示やワークショップのための国内や海外への遠征で忙しい事は明らかだった。彼らのパスポートのスタンプの数は、頻繁に空を旅する重役も敵わないだろう。ノヤは78のチトロコルの家と262のチトロコル(画家)を有する一大民俗学画地帯なのだ。これは10年前の2004年から比べると大きな変化なのだとバングラ・ナタクの創立者アミタバ・バッタチャリャは言う。当時は村に9人の「ポトゥア」しかいなかった。多くのポトゥアは収入を得るために他の仕事をするようになっていたのだ。国が変化する中、ポトチトロはかつての魅力を失い、伝統的な観衆であった村人たちはテレビなど他のメディアに骨抜きにされていた。ポトゥアは伝統的には、絵巻でいっぱいの鞄を友に村から村へと旅をする吟遊詩人だった。宗教的な物語や、時事ニュースを伝える役割も担っていた。村人たちはそのお返しに宿やお米、お金などを提供した。しかしこうした生活は、インドの発展と共に成立しなくなる。更に、ほとんどのチトロコルたちは学校に通えず、文字を知らなかった。生きていくために、多くのチトロコルは仕事を変えた。「私は仕立て屋を始めました」とアンワー・チトロコル。アンワーは状況が変わってから戻って来た。今ではアンワーは最も人気なポトゥアのひとりであり、全国的な賞も受賞している。

流れが変わったのは、政府による手仕事支援組織やNGO、それにコルカタのバングラ・ナタクをはじめとした独立機関の努力によるところが大きい。バングラ・ナタクは欧州連合と協力して、講師養成、直販ルートの開拓、海外アーティストのコラボレーションを企画するなどの人材養成プロジェクトを行った。

……

ノヤで興味深いのは、女性のチトロコルが多いところだ。ポトゥアは伝統的には男性だった。しかし需要の拡大と共に、そしてこのアートが漂白的な芸能の形態から展示へと変化していく中で、女性も製作と販売の過程に関わるようになった。多くのチトロコルの女性が加わり、バッタチャリャによれば、ノヤでは今では7割のチトロコルが女性である。

Anuradha Senguptaの記事(2014)より翻訳引用
(訳責及び翻訳文の著作権はパロミタにあり
太字は訳者によるもの)

原インドの世界」では
サンタル・ポトゥアが主に
紹介されていますが、
私が持っているのは
ベンガル・ポトゥアのものです。


これ、ガネーシャとドゥルガーなんですよ。
すごいでしょう(?)。

南インドの祟る女神〜テイヤムとポンガーラ

象の頭のガネーシャ神〜ガネ様のおはなし

今回の販売について

終了しました。再販売の予定は当面、ありません。

参考:
Sengupta, Anuradha (2014, 24th December) “A celebration of ‘Potochitro’ in West Bengal” (Last Retrieved on 21st November 2020)
Wikipedia [https://en.wikipedia.org/wiki/Patua](Last Retrieved on 21st November 2020)
原インドの世界」フジタファンテ編(東京美術)

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