🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

家系の伝統を奪われて:バラタナティヤム

バラタナティヤムの歴史については以前にも記事にして来ました。

歌い舞うサディル、バラタナティヤムの前身〜寺社に属する女達

バラタナティヤムが「インド舞踊」になるまで

バラタナティヤムの歴史に関わる記事で、
インド芸能に関わる人なら
知っておいた方が良いのではないか
と思われる記事を見つけたので、
翻訳してご紹介します。
アルン・ジャナルダナンによる2020年2月17日の記事の邦訳。
元記事:[https://indianexpress.com/article/express-sunday-eye/why-i-call-myself-a-devadasi-6269432/](Last Retrieved on 18th November 2020)
*翻訳文の著作権はパロミタにあります。機械翻訳などではなく、一から普通に翻訳しているものです。

若き踊り手はバラタナティヤムのカーストの壁に厳しい目を向ける:
イサイヴェッラーラル出身のバラタナティヤム・ダンサー、ヌルティヤ・ピッライは家系の伝統の復興を望む

 先月、チェンナイの有名な音楽の季節マルガリ・シーズンのさなか、ブラフマ・ガナ・サバーの観衆は若きバラタナティヤム・ダンサーが伝統的なマンガラム(吉祥・神に感謝を捧げる)でステージを終えない事に気づき、呆気にとられた。代わりに32歳のヌルティヤ・ピッライが選んだのは、憲法前文を読み上げ、「ジャイ・ビーム」のスローガンと共に終える事だった。

※訳者注:インド新仏教の創始者にして反カースト運動家であったアンベードカル博士は憲法の草案作成者であり、「ジャイ・ビーム」はアンベードカル博士を称える呼び声。

前文の拙訳
我々インド人民は、インドを社会主義・世俗主義・民主主義の独立共和国とする事を厳粛に断固として決心し、以下を全ての市民に保証する。
社会的、経済的、政治的な正義
思想、表現、信条、信仰の自由
地位や機会の平等
そして人民の間に
個々人の尊厳と国家の結束を保証する同胞愛を広める。
今日1949年11月26日の憲法制定会議において、この憲法を承認し、制定し、我々自身に与えるものである

ここ数年ピッライの動向を追っていた人には驚くべき事では無かっただろう。この舞踊家は、自らが血筋によって繋がりを持つバラタナティヤムの伝統に、厳しい疑問を突きつけて来た。ピッライはイサイヴェッラーラルという、何世紀もタミル・ナードゥで音楽を担って来た家系の出身である。イサイヴェッラーラルの女性の中でも、デーヴァダーシー«神の婢女»と呼ばれた人々は、寺院や宮廷などで音楽や舞踊を行い、それによって権力や地位を得られる存在だった。デーヴァダーシー制度は1920年代から、愛国主義者によって「不道徳さ」そして「娼婦」と目された存在への反対運動が起こり、徐々に廃されていった。

ピッライは、その家系の出身で今もバラタナティヤムを実践する数少ない人のひとりだ。この家系の出身者は1950年代になっても、マドラスの音楽アカデミーに招かれて公演していた。クンバコーナム・ヴァララクシュミー、バーヌマティ、そして伝説的な存在であるバーラサラスワティーもそのひとりである。「なのにどうして、今では私たちはサバーでの居場所を保証されていないのですか」とヌリティヤは声を上げる。

ヌルティヤにとっては舞踊公演と、家系の歴史を講話する事が、この伝統を取り戻すための運動である。1927年のデーヴァダーシー制度を撤廃する法律の制定はムットゥラクシュミー・レッディ博士が牽引したが、博士は医療従事者であると同時にマドラス議会の一員であり、母はデーヴァダーシーの家系の出身だった。「多くのデーヴァダーシーが、反対意見や法制化に反対する署名をしました。

彼らはこの改革を人権の侵害だと、デーヴァダーシーの人々の芸能によって生きる権利を否定し、公民権を奪うものだとして反対しました。でもこのコミュニティ全体が政府の標的となり犯罪化されて、今ではデーヴァダーシーという言葉自体があばずれというような意味で使われています。私たちは道徳的に落ちぶれた人々だという烙印を押され、やがて私たち自身の伝統である舞踊への権利すら剥奪されてしまったのです。それから芸能はヒンドゥー高カーストの他の人々に向けて開かれていきました」とピッライは語る。デーヴァダーシー制度の抱えていた抑圧についての議論には、こう反論する。「抑圧の無いシステムなんて、どこにあるんです? チェンナイの音楽アカデミーがセクシャルハラスメントや他のハラスメントを訴えられていないとでも? それに、考えるべきなのは、デーヴァダーシーの女性たちとそのコミュニティが道徳的に貶められ、娼婦という汚名を着せられている間、パトロンであった男たちは全く責められる事が無く、無傷のままだったという事です」

昨年、ナティヤ・カラー(芸能)・カンファレンスでのピッライによる、バラタナティヤムにおけるカーストとジェンダー、そして特権についての発表は高名な批評家からの非難に曝された。その批評はSNS上で多くの高カースト舞踊家にシェアされた。シェアした舞踊家の中には、ピッライの祖父である故スワーミマライ・ラージャラトナム・ピッライから舞踊を学んだ人々もいた。その批評は「怒りと悪意に満ちた人」とピッライを呼び、多くの有名サバーが彼女を呼ばなくなった。

しかしピッライが声を上げる事で、他の同家系の舞踊家たちは勇気をもらっている。「以前は、(デーヴァダーシーの家系の出身だと言う事は)ほとんど恥のようなものだったんです」と、あるチェンナイのバラタナティヤム・ダンサーは語った。しかし「ほとんどバラモンで占められた舞踊界」からの反発を恐れ、匿名希望での発言となった。ピッライの公演や講演に通うコインバトール出身のダンサーは、「コミュニティ全体が不道徳なものだとレッテルを貼られてしまっていますが、ヌルティヤはこの問題へのより包括的な見方を示していると思います。それによって私たちも、必ずしも彼女たちを娼婦だと決めつけない見方をする事ができるのです」と語る。

ピッライは、デーヴァダーシー廃止はイサイヴェッラーラルに対する社会文化的な暴力だったと言う。法律によって女性の入場が禁止された一方で、「その同じ家系の男性たちを、社会は新エリートたちのバラタナティヤム・グルとして迎えて、この芸能を教えさせたんです」ピッライは祖父を穏やかで優しい芸能者として覚えているが、彼がふさわしい認知や報償を受ける事は無かった。「祖父が私に期待しても、家族や親戚の女性たちは私が舞踊家や芸能者になりたいと興味を抱くことを警戒していました。社会の押し付けた汚名のためです。祖父は優しい教師でした。でもイサイヴェッラーラルの男であるという事は、尊敬を求めたり、自分の考えを声高に言う事を許されていなかったんです」

講演の中で、ピッライは誇りと共に家系の、この舞踊の先駆者であった女性たちや、その歴史、系譜について語り、演目のひとつひとつを家系の女性に捧げる。「社会が私に、この家系の伝統への誇りを持たせないようにしていても、私はいつも直感的に、祖先への誇りを感じていました」と言う。

レッディをはじめとする改革者たちは、イサイヴェッラーラルが母系継承のカーストであり、女性に多くの特権が認められている事には着目しなかった。「女性たちの社会的安全が保障される、とても力強いシステムだったんです……デーヴァダーシーの女性たちには土地やお金、社会構造への権利がありました。これは当時、他のほとんどのカーストの女性は持っていなかったものです」とピッライは語る。20世紀初めの新保守の道徳はそれを認識しなかったのだ。

先月ブラフマ・ガナ・サバーでピッライの踊ったパダムのひとつはYaarukkakilum Bhayamaaヤールッカキルム・バヤマー「どうして他の人を恐れなくてはいけないの?」だった。こうした急進的な運動や、「ジャイ・ビーム」と唱える事で、ピッライはペリヤール派(※)やアンベードカル派という事になるのだろうか。「今のところ、どちらにも属するつもりはありませんが、反カースト論に親しみを感じることは確かです」1927年の法制の「寺院での集まりで踊る女性は犯罪である」という主張は、レッディだけでなく、ペリヤールをはじめとした社会運動家にも支持されたのだとピッライは指摘する。「昨今のペリヤール派やアンベードカル派はバラタナティヤムを高カーストの芸能だと考えています。でも今、周縁化されたコミュニティの出身者として私が政治的・社会的な立場を明確にした事で、私とも繋がりを見出すようになって来ました」

※訳者注:ペリヤールは特に南インドにおける反バラモン運動やドラヴィダ運動で知られる社会運動家。カーストや性別による不均衡の是正に従事した。

イサイヴェッラーラルは左派からも右派からも無力化されたのだとピッライは言う。なぜなら「道徳というものは、誰にとってもバラモン的な基準なのです」そして女性の性は誰にとっても疑ってかかるべきものだった。デーヴァダーシーが古典音楽や古典舞踊から追放された事は、「文化の剽窃のプロセス」だとピッライは見る。「私たちにとっては、救い手も敵も同じ人々なのです。低カーストや周縁化された人々のために戦う人々もまた、高カーストなのだから……これは遡れないほどの昔から、そういうものです」

「デーヴァダーシー制度はもうありませんが、私たちはその残滓です。私のような人間がこうして伝統を取り戻そうとしているのは、私たちはお前が焼いた魔女の娘だと言っているようなものなのです」

アルン・ジャナルダナンによる2020年2月17日の記事の邦訳。
元記事:[https://indianexpress.com/article/express-sunday-eye/why-i-call-myself-a-devadasi-6269432/](Last Retrieved on 18th November 2020)
*翻訳文の著作権はパロミタにあります。機械翻訳などではなく、一から普通に翻訳しているものです。

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