🌕6月30日高田馬場ときわ座、7月13日国立ギャラリービブリオ🌕


🟡 7月13日(土)国立ギャラリービブリオ
16:30open 17:00 start チャージ2500円
「恋うたでない恋うた」
パロミタ友美ソロ・バウル歌舞い

🟡6月30日(日)高田馬場ときわ座
13:00op / 13:30st / ¥2500+飲み物
Withナマステ楽団
この日は自作の日本語の歌のみをがっつり歌います。

8/26 『恋うたでない恋うた』バウルのうた、舞、はなし

詳細
●8月26日(土)17時start
◆バウルのうた、舞、はなし◆
ー恋うたでない恋うたー

チャージ:2500円
定員25名
ご予約:tomomi.paromita@gmail.com
もしくはギャラリービブリオまで

★パロミタ友美ミニ作品展同時開催★

会場:ギャラリービブリオ(東京・国立)
詳細:
https://ameblo.jp/banka-an/entry-12813013386.html

東インド・ベンガルの
吟遊行者、
バウルのうた

この身の内に全てがある。
バウルの歌舞いは
その実践をうたった
詩の表現であり

時にただの
恋愛詩に見えるうたも、
行の実践や
態度の反映です。

「あなたは私の心を奏で
私の弦を奏で
私という楽器を奏でる
あなたでなければ
誰が奏でるというの」
ラロン・ファキールのうたより

「指を切って筆にして
涙を混ぜた炭で
心臓を破いて手紙を書いて
あの人のうちへ送ったの」
詠み人知らず

ベンガル語と日本語のうたを交えてうたいます。

演者:パロミタ友美
2013年よりパルバティ・バウルに師事、日印を行き来してバウルを根幹として学びながら、日本の心身の伝統にも学ぶ。十代を日本で過ごした帰国子女。詩人、木彫画家。訳書にW・ダルリンプル『9つの人生』など。
tenziku.com

特に、私自身のうたを
人前でうたうようになってから
顕著なのですが、

「恋唄に聞こえる」うたがある
(もちろん間違いではない)
ということで

元々、私からすれば
「敢えて言うなら信仰の歌だと
受け取られるんじゃないかな」
と思われるような詩でも、

日本語訳を渡すと
「ロマンチックなうた」
と紹介されたりなど、ありました。

なので、日本語で綴った
言葉としてダイレクトに理解できる
私のうたを耳にすると、
尚更その印象になるようです。

けして間違いとは言えないし
バウル……というよりは
ある種のインド詩の伝統が
修行や内面世界を描くとき
恋愛的な表現をとる、
ということがあると思います。

タゴールの詩にも、
そういうところがあると思います。
アジアで初めてノーベル文学賞を受賞し
有名になった『ギタンジャリ』は
特にそうでしょう。

「恋愛詩に聞こえる」
ということは、ひとつの豊かさだと
私は思っていて
バウルはラサの行者、
感情や存在のジューシーな部分を
味わい尽くす存在でもあるから

(ここを突っ込むと長くなるので
ここではスルーしますが
つまり、いわゆる
修行者のイメージにあるような
「何も感じませんよ」的な
クールな感じを、「乾いた、ドライな」
とした場合の対義的な表現です、
と思っていただければ良いかと)

聴く人の中の
より柔らかい部分を喚起するとしたら
それ自体、力であるし、
魅力でもあると言えるでしょう。

だから恋唄と思われても本当は良いのです、
ただ日本ではどうしても、
一時的なもの、よるべなく移ろいやすい俗なもの、
信の置けない、本質的でないもの
に繋げられてしまいがちで、
それは違う、というところです。

普遍を見出だす、絶対的に安心できる
核を求めるがゆえの表現であって、

それもただの若者の気まぐれではなく
存在というものの
普遍的な探求に繋がる表現
としての詩なのです。

バウルの「プレーム」無条件の愛、
に繋がっていくための
表現なのであって

「刹那だから記録しておこう」とか、
「有終の美を愛でよう」とか
そんなものではない
ということです。

そうしたところに焦点を置いた会を
今回はしてみようと思いました。

詳細
●8月26日(土)17時start
◆バウルのうた、舞、はなし◆
ー恋うたでない恋うたー

チャージ:2500円
定員25名
ご予約:tomomi.paromita@gmail.com
もしくはギャラリービブリオまで

★パロミタ友美ミニ作品展同時開催★

会場:ギャラリービブリオ(東京・国立)
詳細:
https://ameblo.jp/banka-an/entry-12813013386.html

東インド・ベンガルの
吟遊行者、
バウルのうた

この身の内に全てがある。
バウルの歌舞いは
その実践をうたった
詩の表現であり

時にただの
恋愛詩に見えるうたも、
行の実践や
態度の反映です。

「あなたは私の心を奏で
私の弦を奏で
私という楽器を奏でる
あなたでなければ
誰が奏でるというの」
ラロン・ファキールのうたより

「指を切って筆にして
涙を混ぜた炭で
心臓を破いて手紙を書いて
あの人のうちへ送ったの」
詠み人知らず

ベンガル語と日本語のうたを交えてうたいます。

演者:パロミタ友美
2013年よりパルバティ・バウルに師事、日印を行き来してバウルを根幹として学びながら、日本の心身の伝統にも学ぶ。十代を日本で過ごした帰国子女。詩人、木彫画家。訳書にW・ダルリンプル『9つの人生』など。

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最初に、パロミタの自伝シリーズが11回に渡り配信されます。
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