そういえば、保育園に
伺ったときにした話で
バウルの公演では最初に
聖者やグル、神さまに呼びかけて、
ここに来てください
私の心の蓮にいらしてください
とうたうことが多いです。
バウルにとっての神さまは
お空の向こうにおわすものではなく
いや、お空の向こうにも
いるかもしれないけど
本質的には自分の内側にいるものです。
自分の内側にいるのに
どうして、来てください、と
呼ぶのかと言うと
いるはずなのに、
見つけられなくなっているからです。
自分の中の光を
いつでも見つけられるわけではない、
だから呼びかけるのです
と。
それで、ここまでは
そのときは話さなかったけど
聖者はグルや
自らの中の神を見つけ、
いつでも繋がっている存在であり
その点で行者/弟子にとって
源との仲立ちであると同時に
修行体験としては
神と変わりがありません。
(また、そんな師の座に
坐り続けることを
自らに課すことで
師は最高の弟子となります)
だから、来てください
と呼びかけます。
あまりこういう観点というか
順序で語ったことは無かったけど
ああ、そういうことだな~と
自分で思ったのを
ふと思い出したので
記しておこうと思いました。
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バウルの歌いでは、
時に発露する、叫ぶような、
とても高い声が特徴的で
これは特に、
古典音楽的な発声との違い
で目立つところでもあると思います。
でも、バウル行者は
何時間でも歌い続けられます。
バウルの叫びは、
赤子が母を呼ぶような声
だと言います。
赤子が泣きすぎて喉を痛めるだろうか?
赤子が母を求めるように
ただ純粋に、
一心に、声を上げるのです。

※
ジョイグル
(バウルの挨拶
「あらゆる命が本来に輝きますように」)
今日も明日も良い日でありますように。
パロミタ
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