🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

なぜ呼びかけるのか

そういえば、保育園に
伺ったときにした話で

バウルの公演では最初に
聖者やグル、神さまに呼びかけて、
ここに来てください
私の心の蓮にいらしてください
とうたうことが多いです。

バウルにとっての神さまは
お空の向こうにおわすものではなく
いや、お空の向こうにも
いるかもしれないけど

本質的には自分の内側にいるものです。

自分の内側にいるのに
どうして、来てください、と
呼ぶのかと言うと

いるはずなのに、
見つけられなくなっているからです。

自分の中の光を
いつでも見つけられるわけではない、
だから呼びかけるのです

と。

それで、ここまでは
そのときは話さなかったけど

聖者はグルや
自らの中の神を見つけ、
いつでも繋がっている存在であり
その点で行者/弟子にとって
源との仲立ちであると同時に
修行体験としては
神と変わりがありません。

(また、そんな師の座に
坐り続けることを
自らに課すことで
師は最高の弟子となります)

だから、来てください
と呼びかけます。

あまりこういう観点というか
順序で語ったことは無かったけど

ああ、そういうことだな~と
自分で思ったのを
ふと思い出したので
記しておこうと思いました。

バウルの歌いでは、
時に発露する、叫ぶような、
とても高い声が特徴的で

これは特に、
古典音楽的な発声との違い
で目立つところでもあると思います。

でも、バウル行者は
何時間でも歌い続けられます。

バウルの叫びは、
赤子が母を呼ぶような声
だと言います。
赤子が泣きすぎて喉を痛めるだろうか?

赤子が母を求めるように
ただ純粋に、
一心に、声を上げるのです。

ありがとうございました! この写真を撮る頃には子どもたちは皆リタイア……とても貴重で素晴らしい時間をいただきました。

ジョイグル
(バウルの挨拶
「あらゆる命が本来に輝きますように」)

今日も明日も良い日でありますように。

パロミタ

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