ヨガとヨーガ、何が違うの?
ヨガとヨーガ
2種類の表記がありますが、
何が違うのでしょうか。
ごくシンプルに言えば、
「ヨガ」は和製英語です。
「ヨーガ」は、インドの古語である
サンスクリット語をベースにした書き方・言い方です。
サンスクリット語をはじめとしたインドの言語では
短母音と、長母音で言葉の意味が変わります。
カラーは芸術という意味ですが、
カーラは黒や時間という意味です。
カタ(ム)は「どのように」、
カターは「物語」。
実は、サンスクリット語では
そもそも短い「オ」という音が無いのです。
これは実は、
英語も同じようなもので
YOGAを英語人が読むと
「ヨゥガッ」
というような発音に
なる事が多いです。
日本の「ヨガ」は
ローマ字表記(アルファベット)を
日本式に読んだ読み方を
カタカナにした、という
実は微妙に複雑な背景があります。
英語の発音は、表記と違い
かなり揺れがありますが
日本語はその性質上、どうしても音を固定してしまいます。
「ヨガ」と書きながら、
「ヨガでもヨーガでもヨガーでも、
どんな風に読んでもいいよ」
とは、いきません。
(音程は、勝手にできるのですが)
たとえば、
YOGINIを英語人が発音すると、
ヨゥギーニィ
のような感じになる事が多いです。
「ヨギーニ」は、和製英語です。
サンスクリット語は、
ヨーギニー
です。
それで、
少しでもサンスクリット語を学んだ人は
「ヨーガ」の伸ばし棒にこだわってしまうのです。
私自身は、「ヨガ」までは「まあいいか」という気がしますが、
「ヨギーニ」になると、
全力で「ちょっと待ったー!」と叫びたくなります。
(実際には叫ばず、「パニーニプッチーニムッソリーニ…」などと心の中で呟いてみたりします)
ヨーガの語源
もう少しサンスクリット語の話を続けます。
ヨーガという名詞の
元になる言葉は
ユジュ
「繋げる」
ですが、
これは元々、
古い言葉では
「馬に手綱を付ける」
という意味だったようです。
(古いヴェーダの時代は
遊牧民的な社会を
イメージするのが
丁度よいでしょう)
ままならない心を
馬のように御する術、
などと言うのは
いかにも夢も情緒も無くて
ウヘェとなりますが
原義としては、
そういう事のようです。
とはいえ、たとえば
ヨーガと同じく
ユジュから派生した
「ヨージャナ」
という言葉には
馬を手綱で繋ぐだけでなく
乗り物や
神に祈りを届ける祝詞
の意味が、
最も古いリグ・ヴェーダの時代から付与され
のちには、
「心の集中」だけでなく
より広範な
使用、準備、適用、組み合わせ
などの意味も
加わって来ます。
何より、ヴェーダの時代には
太陽でさえ
馬車を駆って
闇を追い立てながら
空を駆け抜けます。
日常的に馬と暮らしていた
のであれば、おそらく
手綱を付ける事は
私達が思う程
情緒の無いものでは
無かったのです。
ヨーガは繋ぐという意味、
という説明を
よく聞くように思いますが
私自身は、より「統合」的な
様々なものがバラバラでも矛盾なく
ある種ひとつになるような
そんなイメージを
この言葉に持っています。
(心と体を繋ぐ、というだけではなく。)
今、身体の操法を
メインとする「ヨガ」が
世界的に普及している
背景には
様々な歴史的な背景が
あるのですが、
大局的に見るなら、
近代化によって
身体性の衰えた私たちには
実際的な問題として
まずそこに取り組む必要がある、
という点も
無視できないように思われます。
(その視点に立つなら、
何でもヨガを付ければ良い
というような昨今の風潮も
まあ、アリなのかなあと
思います。)
私が学んでいるバウルも
一見するとただの歌舞いですが
師から弟子へと
連綿と伝えられて来た
とても古いヨーガ行の系譜です。
もし良かったら、
そのうち聴きに、観に来てくださいね。
参考:
基本的にはオンラインのサンスクリット辞書(Monier-Williams)を参考にしていますが、「馬の手綱」の意味を初めて明確に読んだのは伊藤武先生の著書でした。伊藤先生のご本はどれも凄く面白いです。どうしてあんなに知識をお持ちなのか、もはや意味不明だと思っています。
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