🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

心身のこと

この頃、心とあり方の乖離、
みたいなものが、無くなってきました。

どういうことかというと、

心(あり方)が変わると、
自然と肉体の何かが動いて
よく分からない筋肉の使い方というか
はたらきも変わるらしく
変なところが筋肉痛になったり

心の発見が大きいと
何日か続けて、
どこかしら新たなところが
筋肉痛になる、
ということがあったりしました。

(今までは、こういうことは
あっても数ヶ月に一回とか……?
少なくとも、認識している範囲では)

で、そのままいって、

心(あり方)から身体が変わり、
また身体を通して
そのあり方にアクセスする
という感じになり

あまり直接、
肉体からのアプローチ〜的なことは
しなくなりました。

あり方に取り組んでいれば、
特にストレッチ的なことをしていなくても、
ふと屈伸などをしてみれば
前よりも更に柔らかくなっています。

とはいえ、それは
ずっと肉体、それから身体に
取り組み続けてきたことで
自然とそうなったので、
肉体からのアプローチを
切り捨てたり、否定したり
ということではないのですが。

より、
心=(イコール)身体
となってきたのかな、
と思います。

(私が「身体」と書くとき、
いわゆる物質としての
肉体を包括した上での
身体、として書いています)



なので、
取り組み続けてきた
過去の私には
感謝して拝むしかない……!
という感じですが

この頃は本当に
ご縁がある方は
コンビニの店員さんに至るまで
皆さま本当に優しいのですが

バウルのロッコンさんが
「みんな大好きロッコンさん」
で、とにかく愛されている
素敵な方なのですが

それは、彼がみんなのことが大好きだから
みんなも彼のことが大好きになってしまうんだな
ということが分かる
という感じで

(ちなみに彼は、
ものすごく「いい人」
ではありますが
不機嫌を変に隠したり
などということはしないし、
だから日本的な「いい人」
とは違うかもしれません。
奥さまもめちゃくちゃ可愛らしくて
素敵な方です)

私もいつのまにか、
そこに近づいているのかもしれない
と思ったりします。

嫌な気持ちに対しても、
とりあえず「ありがとう」と
贈り物として受け入れ続けていたら、
バターのようにとろける瞬間
みたいのがやってきたりします。

それで今、背中がひらき
地への流れがあります。
あんまり説明ができないので、
気になる方は会った時にでも
直接お尋ねください。

最近の大きな変化の
そもそもは、
本当に安らいで安心している状態
を探していたところにあります。

それでちょっと発見があって、
身体がみるみる変わって
「……!!!???」
と自分でも身を見張るような感じでした。

私は元々、
瞑想していても
頭が本当に静かになる
ということはほとんど無かったし
(静かな層とうるさい層と
二層に分かれるという感じでした)

集中力も無いので
焦りがちだったし、

でも今やっと
バウルの詩の意味にも、
本当の意味で取り組むことが
できるようになってきた
ような気がします。



身体諦(デーホ・トット、
身体という国や家の様子を歌う)のうたも
深く観想に潜っていくほどの
集中力が本当に無かったので
ひたすら継続の力だけで
どうにかしてきたところがあるのですが

(どっぷり一点集中型の
集中力は無いのですが、
24時間常に頭の片隅で
考え続ける、ということはできる)

ああ、やっと、
丁寧に観るというのは
こういうことなのか
という感じに、なっています。

それがまた、
身体に反映されてくる。

だから、
心とあり方=身体そのもの
の乖離が無い状態、
に近づいてきているのかな
と、思います。

余談:
私はあんまり、
微細身(スークシュマ・シャリーラ)とか
粗大身(ストゥーラ・シャリーラ)とかの
ヨーガ用語を使わないのですが
その辺りもそろそろ整理して
引用した方がいいかな、
と思い出したので
年内はもう時間が厳しそうですが、
来年はまたそういった
解説的な記事も、増やしていきたいな
と、思います。

まあその辺り(ヨーガ関係)は、
私が書くまでもなく巷に溢れているので
あくまで私が「文脈的に語っておきたいもの」
に限られてくると思いますが……。

 

 

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