🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

ジョイグルとは

最近何度か聞かれたので
ずっと後回しにしてきた
「ジョイグル」について。

バウルの挨拶、と
簡単な説明で済ませることが多いのですが

というのは、説明すると長くなるので。。。

グルはご存じ師匠のこと、
ジョイは「勝利」「栄えあれ」などで、
「万歳」みたいな感じです。

グルは、
グは闇、ルは光で
闇から光へと導く存在
闇を祓う存在
とも言われます。

さてグルとは、
その人間であるその人
を示すわけですが

なぜその人がグルであるのか。

私の師匠(パルバティ・バウル)は、
クリシュナ(神さま)が
その座につかせるのだ、と言います。

自分でつくものではないし
「私こそがグル」なんて
エゴやプライドを持った途端に
蹴り落とされる、と。

師匠とは最高の弟子なんだ、と。

その人がグルであるのは
その人が常に
より根源的なグル
命の本質的な光
人間の本来に、
常に触れていることができるからで

それを自然と人々が
認識してしまう、からです。

だから私たちが
グルを崇拝すると言うとき

そのグルである人の中にある
本質的で普遍的な光を
崇拝していて

もっと言えば、
その光は誰の中にもあるし
どんなものにもある。

神は天上の国ではなく
今ここ、この身の中にいる
とは言うけれども

逆に言えば、天にも地にも
いるだろうわけです。

だからグルの足下にひざまずくこと、
グルへの奉仕を通じて
私たちは世界への、
全ての人への奉仕を学ぶ。

来客に食事を振る舞うのは
その代表的な形で
バウルのアシュラムでの
奉仕の基本でもあります。
(その人の中にいる神さまに
食事のお供物をする)

そしてその光は
自分自身の中にもある。

だから徹底した謙虚さは
本当の自信とは矛盾しないし
グルに献身することは
いつか自分自身の中にもある
同じ本質を見出すことでもある。

グルとシッシャ(弟子)の関係は
personalな関係ではない、
つまりただ人格と人格の間の
関係ではない、と師匠は言います。

どんな関係にも
喩えることのできないものだと。

太陽の光を受けて反射していた月が
いつか太陽に重なるように
いつか弟子と師匠が完全に重なるのだと。

この文脈において
グルと神はかわりが無いし
だからこそ
バウルは皆、グル信者です。

とは言え、
人間としてのグルを、
グルの人間としての側面を
無視するというのも
違います。

それではただの盲目、盲信であり
グルの人格を否定することになる。
だけど逆に、
その人格しか見ないのも盲目、というわけです。

(そもそも誰かの人格の理解って
一面的にしかなりえないものですよね。
ある人の全体は
他人には、あるいは自分にすら
きっと分かりえない。)

心の目は、常にひらいている。

そこまで含めての
グルという存在に、栄あれと言う。
この世界にあまねくありますように、と言う。

そこまで含めての、
ジョイグルです。

こういったことは
結局、実践者でなければ
「ほーん……?」という
分かったような分からないような
感じかと思いますが

(上で書いたものも、
私ひとりの現在の理解を
かなりがんばって言語化したものです、
また違う人は違うことを言うでしょう。

ただ日本という文脈では
ただ「バウルは師匠を大事にするから
ジョイグルと言う」という説明は
問題があると思っています。

「師匠」という理解が
一般社会においてどうしても
貧しくなりがちだから)

今年の映像制作クラウドファンディングで
櫻子さんが追いかけたい
修行者としてのバウル
というのは、
このあたりの一種の可視化
なのではないかな、と思っています。

パルバティ・バウルと
日本の伝統の実践者の交流などを
中心に捉えながら
(早池峰神楽の舞手、
曹洞宗の禅僧、那智の滝での奉納など)

ベンガルでの取材も交えて
現代における修行の意義、
そして行者のあり方を探ります。

櫻子さんの修行というテーマへの
大きな動機のひとつは
「円空さんは修行者なのに、
どうして行者ではなく
仏師=アーティストとしてしか
評価されていないのか」
とパルバティ師匠が不満げにこだわっていた

という、今回の映画のは含められなかった
無く無くカットしたシーンで

結果的に次の作品へのブースターとなった
その点をどう深掘りするのか

「一般的な視点」というのは
ある意味、私にはもう
分からないところがあるので

その意味でも、
楽しみにしています。

今上映している映画でも
こんなに分かりやすく伝わるものが
できたのか、と感動したので
(正直期待していなかった笑 し、
製作を通しての櫻子さんの変化は
明らかだったと思います)

今回も、私自身はとても
出来上がるものに期待しています。

「現代における修行とは?」バウル日本ツアー撮影クラウドファンディング

 

ジョイグル
(バウルの挨拶
「あらゆる命が本来に輝きますように」)

今日も明日も良い日でありますように。

パロミタ

お知らせやブログ記事の元になるような雑感など、SNSなしに読めるといいなという方は無料メールマガジンの登録をご検討ください。

最初に、パロミタの自伝シリーズが11回に渡り配信されます。
もちろんお時間無いときはスルーしてくださいね、という前提なのでお気軽にどうぞ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA