🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

『それで君の声はどこにあるんだ』より

私は幼少時、これでも
日曜学校に行っていたもので、
それは当時、オーストラリアや
シンガポールで
日本人コミュニティの
何かの一環だったのだと思いますが

礼拝の感じや、
教会の人々が好きだったので
日本に戻ってからも
十代のうちは時々行っていました。

キリスト教徒にはならなかったけど、
だからキリスト教の信仰には
(それも多様なわけですが)
一定の親しみがあり、

またキリスト教が、
様々な人種や文化圏で
どのように受容されてきたか
については関心があります。

遠藤周作の作品や本田哲郎神父の言葉も
ごく少数ですが、読んでいますし

(本田哲郎神父は『釜ヶ崎と福音』の著者、
遠藤周作は『深い河』など、
日本人としてのキリスト教を
追求された作家です。)

日本やアジア贔屓のあまり
キリスト教の、一神教の
心の貧しさしか語らない人は、
そこにいる膨大な数の人を、
結局のところ、どの側からも
(抑圧の側からも、被抑圧の側からも)
見ていない
ようにも思われます。

たまたま目に入った
それで君の声はどこにあるんだ—黒人神学から学んだこと
榎本空、岩波書店
が、すごい本で
タイトルが全てを語っていますが

読みながらも、
引用したい箇所を
書き写していったら
すごい量になってしまったのですが

たぶん、それが一番良く
きっと本にとっても売上に貢献して
悪いことにならないはずだ
と勝手に判断して、ご紹介します。

P12
神学者とは、村の中に住む詩人のような人のことを言います。ある授業で、ソン先生が話していたことが忘れられない。詩人は新しい詩ができると、それを村の人びとに呼んでもらうんです。若い人も老いた人も、男性も女性も、いろんな人がいますよ。でも、その皆に呼んでもらうんです。そしてもし、誰かがこの詩はよくわからないと言ったら、詩人は家に帰って、その詩を捨てて、また書き直すのです。それを繰り返して、とうとう村の人たちが皆、この詩はよくわかる、そう言ったとき、その人は一流の神学者となるのです。

【『それで君の声はどこにあるんだ 黒人神学から学んだこと
榎本空、岩波書店 より】

(長い亡命生活を経て
台湾に帰った神学者の言葉。)

 

P33-35
教室を共にした私たちは、程度の差や表現の違いこそあれ、キングに対して手放しでは礼賛できぬ複雑な感情を抱いていた。…(中略)…何よりも「私は黒人アメリカの大統領ではなく、アメリカの大統領である」と、にべもなく語るオバマの時代にキングを記憶することの困難さに、主な原因があったように思う。

オバマによってキングの夢が成就したのだ。…(中略)… オバマが体現したポスト人種主義のアメリカという夢は、…(中略)…あたかも黒人の命などに価値はないとでも言うかのように、警官が路上でその命を軽々と奪っていく中にあって、悪趣味な皮肉以外の何ものでもなかった。少なくともそれが、当時、ニューヨークにおけるブラック・ライヴズ・マター運動の震源地のひとつとして確かな存在感を放っていたユニオンの人々に共通の歴史認識だった。なぜ黒人が大統領になる時代に、同じ黒人の命が虫けらのように奪われていくのか。そんな難問に、キングの夢は答えを与えなかったのだ。

…(中略)…とはいえ、黒人と白人が兄弟として肩を寄せあう「私たち」という壮大で、普遍的な単位の創造を目ざしたキングの言葉と生涯には、矮小化や無害化の余地が残されていたから、あの教室の私たちは、キングを絶対に美化しまいと、半ば意固地になって、彼の不徹底を見つけてはそれを批判するようなところがあったのだ。

そんな私たちの議論を、コーンは微笑みながら、しかしどこか寂しそうに聞いていて、キングがいよいよ土俵際まで追い詰められると、私のキングを助けなければと、急いで議論に割って入った。私は彼が好きなんだ。どんっ、どんっと二回机を叩きながら大声で叫ぶコーンに、二〇世紀の進学に決定的な影響を与えた偉大な研究者としての面影はなく、まるで不利を承知で窮地に陥った旧い友人の弁護を買って出るような姿に、私たちは彼にとってキングがいかに近く、かけがえのない存在であったのかをみるのだった。

【『それで君の声はどこにあるんだ 黒人神学から学んだこと
榎本空、岩波書店 より】

 

P38
……どんっ、どんっ、どんっ。引用が終わりに近づくにつれ、コーンの声は一段と高くなって、徐々に叫び声へと変わっていった。もはやそれがマルコムの言葉なのか、コーンの言葉なのか、判別できないほどに。窓の外から、一筋の冷たい風が吹き込んで、私たちを撫でる。コーンは最後の言葉を読み終え、机を叩く音だけが、なお、教室にはこだましていた。
コーンの授業には、そんな不思議な瞬間が一度ならずあった。あらゆる現実にもかかわらず、それでも、何か超越的な存在こそが、この場を支配しているのだと納得させられるような。黒人が背負ってきた四〇〇年の過去が、突如立ち現れて、今という時にどさっと覆い被さるような。言葉が、邪念に満ちた思考を迂回し、直接たましいに飛び込んできて、それで涙がひとつ落ちたのに、後になってふっと気がつくような。束の間の解放の瞬間。そんなとき、教室は単なる知識の伝達の場であることをやめ、言葉では容易に形容しがたい、私が今まで知らなかった場へと変えられる。

【『それで君の声はどこにあるんだ 黒人神学から学んだこと
榎本空、岩波書店 より】

 

P39
白人キリスト教は、黒人に自分を憎めと教えてきた。私たちは、ニグロとして、白人に劣った価値のない存在だと教えられてきたのだ。奴隷制とはそういうことだ。リンチとはそういうことだ。警察の暴力とはそういうことだ。だからマルコムの言葉には説得力があった。私は彼の言葉に応答しないわけにはいかなかった。そうでなければ、私はキリスト者ではいられなかっただろう。イエスを捨てるつもりは毛頭なかった。それは私がキングに負っているものだ。しかし彼だけでは十分でなかった。黒人神学の始まりにあったのは何か? イエスの福音とは、黒人が自らの黒人としての存在を愛することであり、自分の人間性を認めることなのだという確信だ。私はそれをマルコムから学んだ。白人が軽蔑しているこの黒い身体をいつくしむこと。彼らが憎むこの目と耳と鼻を、手と足を愛すること。この愛は闘いだぞ。わかるか?

【『それで君の声はどこにあるんだ 黒人神学から学んだこと
榎本空、岩波書店 より】

 

この本を読んでいて、
インドの様々な有名人

ガーンディーやアンベードカル、
シュリー・オロビンド(オーロヴィンド)、
タゴール……

といった、インド独立前夜に
霊性や信仰、文学、政治などの領域を
行き来した人々も想起されます。

怒涛の引用で
長いのですが、でもつい読んでしまうと思うし、
もし読んでしまった方は
きっとこの本に縁があるのかと思います。

P60
ミシェル・アレクサンダーの『新しいジム・クロウ』を読むといい。あれは絶対に読んだほうがいいよ。あの本が出るまで、黒人ですら、自分たちが何を経験しているのかわからないでいたんだ。だから彼女の本が出て、視界が開けるように感じたのを覚えている。やっと言葉が見つかったってね。言葉に救われることがあるんだよ。

【『それで君の声はどこにあるんだ 黒人神学から学んだこと
榎本空、岩波書店 より】

 

P.63
ミシェル・アレクサンダーが提唱した「新しいジム・クロウ」という言葉は、ある種の予言のように響いた。予言とは、ヘブライ語聖書の伝統に立つなら、歴史に根ざした現在の解釈に関わる種類の言葉であろう。それは、最も小さい人びとが、ああ、これは私たちの経験だ、そう納得できるような言葉を語ること。事実、この「新しいジム・クロウ」という言葉は、私が出会ったユニオンの人びとに、現実を分析する知恵だけではなく、内的な力を与えていた。やはり言葉に救われることがあるのだ。

【『それで君の声はどこにあるんだ 黒人神学から学んだこと
榎本空、岩波書店 より】

 

(そのミシェル・アレクサンダーが
ユニオン神学校に入ることに
なった際に出した声明より)

P64
……私たちが直面している危機を解決するためには、正しい事実や統計、政策分析、また資金をもっているだけでは不十分なのです。同様に私は、訴訟を起こし、政治的な力を鍛え、投票率を上げるだけで正義を「勝ち取れる」とはもはや信じていません。もちろん、これらは必要不可欠ですが、それだけでは十分ではないのです。道徳的、もしくは霊的な目覚めがなければ、私たちは恐れと欲と権力への飢えに駆り立てられた政治的ゲームから、永遠に抜け出すことはできないでしょう。

【『それで君の声はどこにあるんだ 黒人神学から学んだこと
榎本空、岩波書店 より】

 

P.65
アメリカの黒人は、四〇〇年間、暴力に晒される中で、独特な霊性を培ってきた。黒人は、テロ集団を組織してもおかしくなかった。そうしなかったのを、白人は感謝するべきだろうね。それほどまでに、私たちはこの国で痛めつけられてきた。しかし私たちが創り出したのは、クー・クラックス・クランではなく、宗教であり、音楽であり、文学なのだ。それは精神の度量というものだ。
そんなことをウェストが言ったのは、いつの授業だったろうか。

【『それで君の声はどこにあるんだ 黒人神学から学んだこと
榎本空、岩波書店 より】

 

P97
私がなぜイエスを好きかわかる? それは彼が問題を指摘するだけじゃなく、解決策も用意してくれるから。しかも、それはいつも単純で、わかりやすい。
ヤズミンは悪戯っぽく笑って、ルカによる福音書二二章三二節の言葉を読んだ。裏切りを予告するイエスが、ペテロに語った言葉である。
「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」
恐れがあるのは知ってる。安易な道を選びたくなるのもしょうがないのかもしれない。正義を求めるのは簡単じゃない。結局、私たちだって今こうやって批判している組織の一部なんだから。それは認めないと。でも、いつでも立ち直れる音を忘れないで。方向は変えることができる。そして、周りの兄弟姉妹を励ましてあげるの。そうしないと私たちは孤立してしまうから。

【『それで君の声はどこにあるんだ 黒人神学から学んだこと
榎本空、岩波書店 より】

 

P119
ジェイムズ・コーンに学んだ中で、彼のどんな言葉が一番印象に残っているかと聞かれたら、「自分の声を見つけなさい」だと即答するだろう。英語でFind Your Voiceという慣用句があるが、コーンは事あるごとにその言葉を使っていて、しかもそれがコーンの口から出ると、彼だけに可能な迫力と説得力をともなってわたしには聞こえた。

彼からイエスやキリスト教について学ぼうと前のめりになってユニオン神学校に入学したはずなのに、結局、最も心に刻まれたのが、どんな深淵な教義でも偉大な神学者の名前でもなく、自分の声を見つけなさいという言葉だったのは、なぜだろうか。もっと他に覚えておくべき出来事や思想があったかもしれないのに。

それでも、授業中、私が膝を打って聞いていた彼の教えの大部分は忘れてしまっても、この言葉を叫びながら机を叩くコーンの姿なら今も昨日のことのように思い出せるのは、きっとコーンが教師として学生に望んだのが、自分の声を見つけることだったからなのだろう。彼なら自身の多大な影響力を行使して、容易に追随者をつくり上げることができただろう。しかし、彼は決してそれをよしとしなかった。コーンの声は他の誰かの声とはならない。きっとコーンは自分が神や英雄として崇められ、その思想が権威化されるくらいなら、徹頭徹尾批判し尽くされてしまうほうを選ぶ人だったと思う。晩年のインタビューで、自身の思想のブラック・ライヴズ・マタ
ー運動への影響について問われたときも、彼はどこか素っ気なく答えている。影響があるのならうれしいが、それが必然というわけではない。

だからコーンは、学生が彼の主張をただ繰り返すのを何よりも嫌っていた。そうしようものなら、苛立ちを抑えられなくなったコーンが直ちに割って入り、それで君の声はどこにあるんだ? と真っ直ぐな厳しい目で問われるのが関の山だった。彼はこうも言った。私の研究者にならなくていい。ジェイムズ・コーンのキリスト論を知りたければ、私の本を読めばいいのだから。君たちは、私の神学をなぞるのではなく、利用し、批判し、超えていきなさい。私がそうしたように、自分の声を見つけなさい。そのための助けなら惜しまないから。

【『それで君の声はどこにあるんだ 黒人神学から学んだこと
榎本空、岩波書店 より】

 

P124
……だから、コーンは中学校の文法の教科書からやり直し、南部の黒人の話し言葉を、文法的に「正しい」標準英語へと矯正した。白人のように書けるようになって初めて、彼は学位を与えられ、大学教員としての職を得たのだった。
「この国において、また西洋において、白人のように表現できるようになることの代価は、自分の経験に嘘をつくということだった」と、ボールドウィンは述べている。大学院の教育は、コーンにとってまさにそのような経験であったはずだ。学位の代わりに声を失う。……

【『それで君の声はどこにあるんだ 黒人神学から学んだこと
榎本空、岩波書店 より】

 

P125
コーンの最終的な決断は、神学を捨てるのでも、仮面をかぶって白人のように書き続けるのでもなく、神学という学問的な営為にとどまりつつ、それを内側から食い破るようにして、自分の声を掴み取るという挑戦であった。ブルースシンガーになるとは二度黒人になることだと言ったのはB・B・キングだったが、コーンにとって神学者となることもまた、二度黒人となるような経験だっただろう。一度目は生まれもったものとして。二度目は自らが掴み取るものとして。

【『それで君の声はどこにあるんだ 黒人神学から学んだこと
榎本空、岩波書店 より】

 

正直に言えば、ユニオン神学校を出て
コロナ以降を語る最後の9章は、
蛇足と思えるところがあります。
著者の中の必然性から
出てきていることはよく分かるけれども、
「それで、だから?」が
それまでの章と比べると
どうしても不明瞭で、薄さが際立ってしまう。

けれども、9章とエピローグの
他の章との明らかな密度と力の対比が
むしろ逆に、途上にある若き神学者の
ユニオン神学校での日々の濃密さと
強烈さ、抗いがたい尊さを
逆に、証しているのかもしれない
とも思います。

 

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