🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

イライラが消えない〜怒りが消失した日

イライラという傷口

怒りたくない、
傷つきたくない
と思っていました。

怒ると
その感情に翻弄されて
疲労困憊するし

傷つくと、
その事で相手が
また傷つく

だけどそう思っていても
傷を受けてしまう事はあって
「私は、
傷つきたくないのに!」と、
苛立ちが生じ
怒りに転じていって

イライラが、段々と
ジクジクと痛む
滲むような怒りになっていく

そんな事が続いていました。

怒りが消失した時

以前、ある人への
イライラや怒りが
全然消えなくて

かなりの時間が経っても
消えないので
もはや苦しかった事がありました。

その人は
敢えてステレオタイプな言い方をしますが
「男性的な」
「管理職的な」
判断をする男性で

彼の、大きなマネジメントを
こなせてしまうところや
面倒な数字作業の処理など
尊敬しているところも
たくさんありましたが

ここぞというところで
私はカチンどころか
点火して
爆発する

のみでなく
怒りが後々にまで持続して
理屈ではとても鎮火できない
という有様でした。

その中でも、
ここ一番の怒りの爆発が
あってからしばらく経った
ある日

10年来の、
とても親しい友人と
話していて
急に、その友人に
爆発された事がありました。

怒りというよりは、
「私は本当に傷ついた」
という方の爆発

私は全く思ってもいなかった事
彼女の私の言葉の受け取り方も
全く意図したところではなかったし

とにかくびっくりして
その時は、何となくどこかに
話が着地したのですが

その翌日
(彼女の家に泊まっていたので)
「やっぱり私の感情をちゃんと話したいし
理解してもらいたい」
という事で
彼女がやって来て

話を聞きながら、
もちろん申し訳ない気持ちも凄くあったし
傷つけてしまった事に落ち込んだ
彼女の気持ちにシンパシーもあったけれども

同時に、
全く意図しない風に
言葉を受け取られて
勝手に傷つかれてしまった
というやるせなさも感じたし

つまり、
自分自身に落ち込みながら
傷つかれた事に
傷ついていて

お互いの感情を共有しながらも
最終的には、
彼女の言う事に完全に同意し、
「あなたが正しい」と
言う事でしか
彼女は納得しない
この会話は終わらないのではないか
という感じがして来て

これは、何だか
世の彼氏や夫諸君的な
立場だぞ
と思ったのでした。

(そういえば私は
以前ユタ(沖縄シャーマン)の方に
「あなた中身は男でしょ」
と言われた事があります)

あくまで一般的な
ステレオタイプの話です。※

その後、その事について
想いを巡らしていた時
ふいに

「分かってもらえない」と
あの、先ほどの男性に対して
心の痛みと
沸々とした怒りを
抱えていた私と

「勝手に傷つかれて
話が通じない」
というやるせなさと
心の痛みを
抱えていた私が

出会って、
互いの手を取って
抱き締め合った

という「感じ」がありました。

その時、多少のわだかまりは
まだあったけど
それまで、どうしても消えなかった
強烈な怒りが
フッと
すっかり消えてしまったのです。

神話的な形をとる感情

反発し合っていたというよりは
冷戦状態だった男女が
ふと互いを見つめて
そのまま
溶け合って消えてしまった

というイメージは、
私の人生で
以前にも現れたイメージです。

自分が嫌いだった〜私に嫌われていた私

私は、夢は覚えていないし
起きぬけの
覚えている時に考えてみても
さほど夢診断的な
意味のありそうな夢は見ない方で

霊能力的な力とか
リーディング的な目も
無いのですが

何か、自分に取り組んでいる時に
そういうイメージを
ハッキリと知覚する、
という事はあります。

それは、たとえば
スピリチュアルな何か
というよりは

現実の一側面
現実のある層である、
というような感覚が
私にはあります。

たとえば、ある時
思い通りにいかない現実に
地団駄を踏むような想いが
ジワジワと滲み出してきた時
描き出したのは
この画でした。

象の頭を持つ神さま
ガネーシャは、
障害物を取り除く神さま
であると同時に

拗ねやすく
怒ると呪うかもしれない
というところもある

甘い物が大好きで、
私には、
小さな子どものような
イメージのある
神さまです。

日本では
歓喜天、聖天さまとして
信仰されていますが

それは、暴れるガネーシャを
観音さまが女の象の姿を取り
慰め、落ち着かせて
仏法に帰依させたという事で

抱き合う男女のガネーシャ
という姿
描かれる事が多いです。

象の頭のガネーシャ神〜ガネ様のおはなし

私の中で
自分の思い通りにいかなくて
きかん気にむずかる
どこか途方に暮れて
泣いている子どもが
ガネーシャの形をとりました。

そこに降り立った飛天
あるいは天女が
静かに、穏やかに
寄り添って
穏やかに見守っています

これは
私が必要としていた
イメージである
と同時に

その時内面で起こっていた事を
目に見えるように表した
かたちでもあります。

内側で起こっている事
このような、
神話的なイメージで
表す事は

何か、
精神的に起きている事を
しっくり見える形に
着地させて
昇華させる
ような力があるように
思います。

今、かつてのような苛立ちを
感じる事は、
ほとんどありません。

ここまでの過程で
何が起こってきたのかを
理論的に、理屈として
説明する事が、
私は上手にできません

ただ、
感情に触れ、変容を引き起こすのは
理屈ではなくて、
理屈を飛び越えて
外側の現実と内面の現象を
結びつける
何がしかの実感ではないかと
思います。

そして、あるイメージが
実感を得るための助けになる
事もあるように
感じています。

参考になる本

ベトナム出身の僧侶ティク・ナット・ハン
ベトナム戦争中から「行動する仏教」を実践して
影響力を持ちながら、それゆえに
亡命を余儀なくされ、
フランスに設立した瞑想センターを拠点としながら
世界中で尊敬されている方です。

お坊さんの本と言うと、もしかしたら
ハードルが高いかもしれませんが
翻訳がとても良い事もあり、
やさしい言葉で語られるので、
一度立ち読みでもしてみられると
良いと思います。

ティク・ナット・ハンは詩人でもあるので
私の文章などが嫌いじゃない方は
割と読めるんじゃないかな。

私の辛さの錨(いかり)が
怒りや恐れだと見えてきた時に
「まさにその事について書いている…!」と
手に取りました。

仏教の本で言えば、
プラユキさんの本もすごく良いです。

埼玉県の出身で
タイで出家して活動されている
スカトー寺の副住職の方。
ただの思考実験ではなくて、
本当に人生を変質させていく
仏教の実践を伝えている方。

実際にお会いした事がありますが、
「こうなりたい」という意味で
私が最も尊敬している方の一人です。

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