先日の映画上映にはたくさんの方に
お足をお運びいただきまして、
本当にありがとうございました。
とても嬉しい出会いがたくさんありました。
数年ぶりに観る映画の中には、
5年前の私が、思っていたよりも
たくさん映っていて
ぺらっとした服をした私が
ひょろひょろ動いているのが
自分では非常に気になりました。笑
トークショーで
話しながら思ったことは、
修行とかその成果というものは
表面上は同じ物事や言葉が
本人の中でどのように変容し、
深く豊かな経験となっていくか
ということになるので
だからこそ「修行って何するの?」
という問いは答えにくいのかと思います。
「この身の中に宇宙がある」
という言葉も、それだけ見ると
何かグランドで大層なウワァ~
ということになるだろうけど、
本人にとってはただの
「そうですね」
な体験でしかない、というところになるから。
*
先月だったか、
自己嫌悪が続いたときがあって
でも自己嫌悪や罪悪感
というものは
「相手/他者にどう思われるか」
という側面がとても大きく
結局のところ見栄だな
と思ったのでした。
誰かの痛みを自分の痛みとして感じる
という感性が、
私はとても低いと思います。
おそらく、多くの人にとっても
実は一方的な自己投影であることは
多いのではないかと思います。
(そうではない人もいるはずです)
もしも、母親になったら
わが子に対して
本当に純粋な痛みの共有を
感じるようになるのでしょうか。
まあとにかく、
他人に心をくだいているようで
罪悪感というのは結局、
自己保身に負うところが多いな
と思った次第で
そこで自分を責めても
後ろ向きの自己満足でしかなく
羞恥を雪いで
現実的な対処をするか
自分のあり方を
実際的に見直すか
した方が良いな、
という結論になったのですが、
もう3日もすると忘れているんですよね。
手帳を見返していて思い出したので
こちらに書き起こすことにしました。
*
ところで最近気づいたのですが、
「なんだかなあ」と思うことがあっても
自分も前世でこうだったのかな、
というかこの人私の前世かもしれないしな
とか思うと、割と大抵のことは
なんとなく、まあいっか……
みたいになります。
※
ジョイグル
(バウルの挨拶
「あらゆる命が本来に輝きますように」)
今日も明日も良い日でありますように。
パロミタ
コメントを残す