12月15日〜ベンガル民俗画・ポトゥア絵のウェブ販売をします。

目が見えなくなるという想像

これは、元々は数ヶ月前に書いた文章で
何か不謹慎に思われてしまう
かもしれない、と考えて
埋もれさせていたのですが

やはり一度、
日の目を見せておこうかな、
と思うところがあって、
加筆改編をしつつ
公開をすることにしました。

目が見えない世界を想う

私は割と、目が見えなくなる
という想定をします。

キッカケはもしかしたら、
肌が弱い体質が
角膜の疾患に関係があるかもしれない
と医者で言われた事かもしれないし、
その前からだったかもしれないのですが

(その皮膚科医には散々脅されて
眼科で検査をしたのですが
(眼科も困った様子だった)
検査をして戻ったら、
「え、検査したの?」とか言われました)

もしも目が見えなくなったら…
という想定を、時々しながら
暮らしているところがあります。

触覚優位という自覚

多分、私の感覚として
触覚がいちばん強い
という体感があります。
(本当にそうかは分かりません)

視覚優位型と聴覚優位型がいる
と聞きますが、
私はどちらでもなく、
触覚であるという気がしています。


(この本、15年ぐらい前?に読んだのですが
ものすごく影響を受けました)

この頃にわかに、触覚への注目が
高まっているように感じていて
昔から触覚の人間だと思って来た人間として
いささか居心地悪いというか、
少しムズムズしています。

私がそのような事を言った時に、
興味深いと言う人はいても
共感を示す人はいなかったので、
余計に。

画を描く時も、その「感じ」、
触った感じを、
そしてうたう時や聴く時も
舞い踊る時でさえ
振動をいちばん頼りに、
大事にしています。

逆に言えば、目も耳も
私は大して良くなく、
「目」や「耳」を持つ人の持つ精妙さに
そのままで近づくには
限度があるように思っています。

それを実感するたびに、
触覚的な体感が、
私の導きだったのです。

焦がれる対象

そして、これは怒られるかもしれませんが
どこかで、私は
触覚だけを頼りにする世界に
憧れがあるのです、たぶん。

神楽で面をつけて舞う時、
限られた視界で動く事に
多くの人が恐怖を感じるそうなのですが
私はそれよりも自由と
楽さ、何とも言えない解放感を得ます。
視覚から解放されるという自由。

仏像の胎内巡りに
全くの暗闇と静寂を期待して入って
そうでも無かった事に
ガッカリした事もありました。
(お客さんが大体ワイワイ
ガヤガヤしているのですね)

そして、
目に見えない世界を歩く」や
目の見えない人は世界をどう見ているのか」に描かれる
目が見えないという世界に
ふしぎな共感と憧れを持ちます。

特に「目に見えない世界を歩く」は
私の世界観、画の制作にも
とても大きな影響を与えました。

それは多分、石井みどりが
「壁も、道路も踊っている」と言った
(出典が思い出せないのですが…)
その世界にも通じるものだと思います。

博物館に行っても、
物の見方、体験の仕方が
全く違うものになったし

この頃はますます、
日々の一々の、
触覚的な実感が強くなっています。

バウルのお爺さんには
目の見えない凄まじいうたい手の
行者もいて
彼らの深淵さは、誰でも
惹かれずにはいられないものです。

この記事中で挿入している動画は
全て、ベンガルの盲目の歌い手が
うたっているものです。

 

生き物として実は弱い?“健常者“

最近、久々にけっこう真剣に
その可能性を考えた時、
しかしもし本当にそれが起こった時
特に最初の段階において、
そしてその先も
何らかのサポートは不可欠で

私はあまりにもそのベースを
持っていない、
持たない前提で生きてきてしまったなと
気がつきました。

もちろん、そもそも
誰かがこの家を作らなければ、
道路を作らなければ、
服を作らなければ、
野菜を育てなければ、
それを流通させ、お店で販売しなければ、
それをお店や工場で調理しなければ…

私の生活が成り立っていない、
と言う意味では、
私の生活ははなから
他者頼りなのですが

すぐそこの人間の他人、に
頼り、頼られる前提での生活を
構築していない事は
生き物としてもあまり
よろしくない事かもなあ…と

いかに身体に取り組み
偉そうな事を言ったり
したりしていても、
この
「ひとりで生きている状態」
が、私を生物として
劣等生にするのだ

という事実に行き当たりました。

特に私は、企画から
広報から何から
完全なるひとり事務所状態
でやっているので
全部オジャンになります。

そもそも私は、
元々大して身体が強い訳では無いので
(そういう人の方が、
身体に取り組む方に向かいやすいかな)

ある日いきなりのたれ死んで
しばらく発見されない…
みたいな想像もするのですが

一応五体・五感満足である事は、
自分が自立していると
錯覚をして生きてしまいやすい
という事でもあるのでしょう。

いつ目が見えなくなっても
大丈夫なように生きよう…
という事は、実際には、

それは、ひとりで立って
生きようとしてきた、
私の前提から覆さないといけない
事なのです。

インドではいつも
共同生活なので、
その大変さもそれなりにかなり
理解していますが

結局のところ、
そうして人の中に生きられる事
しがらみを喜びに変える力
が、生き物としての人間の
ひとつの強さなのだろうと

一周回って身に染みています。

この話に特にオチは無いのですが😅
ひとつの世界のサンプルとして
残しておきます。

このところ、焦ったように
たくさん勉強しているのは、
いつか文字を読む事が
辛くなる体質になるだろうなと
思っている事もあり
今しか無い! という
気持ちもかなりあるのですが

いつ目が見えなくなっても
後悔しないように、
今のこのアドバンテージを
最大限活用しなくては…
という部分も、あります。

 


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