🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

けして一人相撲ではない

私のような人間であっても、
卑屈さに尊厳を明け渡していたな
と気づく瞬間があります。

一体、それを何度
繰り返せばいいのだろう
と思うけど、
ひたすらに自分の、
どんな反応にも
向き合っていくほかない。

そして今たぶん、やっと、私は
自分の感情を恐れない
ということを学び出していて

実直に向き合うということが、
自分にこそ誠実に向き合う
ということが、
やっと少し、できるように
なってきているようです。

そしてやっぱり、
自分と真摯に向き合うことなしに
他人とまっすぐに向き合うことは、
本当のところできないのかなと、
思います、実感として。

どれほど偉そうなことを言っても、
自分の実際がいちばん見えない
ということはもう
全く否定できない
ただの事実だなと実感しています。

ごくごく最近になって、
人とぶつかることを、
存外に、とても、怖れている
ことに気がついたり。

かと言って、
誰の言葉も受け入れるかというと、
そうするには
私はふてぶてしすぎるのですが。
これは性質というか、
謙虚さは常に私の課題です。

自分で書いて、
後でもしっくり来るうた
というのは、

こういった自分の深掘り
(切り込み)
をした後に改めて見返して、
「あれ? このこともう、うたってた」
と思うことが多い、気がします。

– * – * – * –

必死、という言葉の
由来は曖昧なようですが

どうしてこんなに
必死にならないと
生きていけないんだろう……
と途方に暮れるときは
今もあります。

生きていることを
前提に考えることが
どうしてもできないので

いつ死ぬかもしれない、
でもどうも
まだそのときではないらしい
(そういうある種の勘は
私は、あるように思っています)、
まだかあ……

それなら仕事をするしかない

(仕事、という言葉でしか
まだ表現しようの無い感覚を
どう表現したらいいのでしょう)

この「仕事」を
現実的な社会的にも成り立つ
「仕事」に
重ねようとしているのが
私の現在です。

とはいえ、この仕事は
ちょっとでも取り違えると
こうやって
体調にしっぺ返るので

そのたびに、
途方に暮れてまた
考え直します。

生まれてきた意味、
なんて大仰で、
うさんくさくて、
そもそも生きているうちに
分かるものでもない
と思われるかもしれません。

それでも、私は
そこを見つめずに
生きていくことが
どうしてもできません。

ただ当たり前に、
それこそ生来のものとして、
生きていることに
納得することができず

こんなしち面倒臭い
生き方をしています。

でも、今思っているのは
人と繋がることは
生まれてきた意味に
含まれることだ、ということで

ただ、その引き受け方を
まだ試行錯誤しています。

自も他も無いような感覚と
すべての人の個性を
尊いものと観ることは
実のところ、同じものだと
感じているのですが

でもそれはそれとして、
関わり方や縁というものは
あるわけで
たぶん、このあたりで
時々倒れています。

画も彫刻も
たぶん、私から世界への
問いかけの形なので

そして、答えは
問いかけの中にこそ
潜んでいるから
私が分かっている必要も無い。

はじめから、
制作というものは
けして一人相撲ではないのだけど
すぐそういう気分に
なってしまうので

改めて、見つめ直しています。

繋がり方を、
私はもっと、
知らないといけない。

歌舞いは、また少し違って
たぶん、繋がりそのもの。

だけど一過性で、
再現性がそんなに無い。

画や刻などの形は
何度も思い出すためにあるので
やっぱり少し
少なくとも私にとっては
性質が違い、それぞれに大事。

 

おしらせ
【パロミタ友美、画と彫刻の個展】
◆12月14日(水)〜18日(日)
12時〜19時
会場:池ノ上(下北沢)ギャラリーDeepdan

期間中毎日15時〜ギャラリートーク・ライブをします。

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