🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

わたし自身の声でうたう

日本語のうたが
できるようになって、
ベンガル語でうたう
という体験も変わってきた、

という話は、
何度かあちこちで
してきたのですが

最近は、また一周?半周?回って
ベンガル語の方が、
語るように歌えるように
なってきたような……
そんな気がしてきました。

日本語の方が、
意外と歌ってしまっているというか。

ベンガル語の方は、ある程度
付き合いの長くなってきたうたに
より取り組んでいる
ということもあるかと思います。

バウルのうたの場合は
自分の声でうたっている
ということが大事で

音程や旋律は
言葉の器として、もちろん
大前提として大事なのですが

ひょっとしたらそれ以上に
自分自身の声で
うたっている、ということが
大事かもしれません。

私はよく言っているように
音程を取るのは上手くはなく
ずいぶん耳に優しくなってきたとは言え
まだまだ粗いのですが

「私でしかない声」
という意味では、もしかしたら
ひょっとしたら、
恵まれていたのかもしれない
と、最近思うようになりました。

声質とかも、あるかもだけど
たぶん、それだけではなくて
「歌声とはこうである」
という声で歌っているとき、
それは「わたしの声」ではなくなるのです。

とはいえ、学ぶときは
模倣から入るのですが。

日本語でうたっていると、
音から意味(中身)が
発する先から
ボトボトとこぼれ落ちて
スッカスカになっている感じ

というのが、結構リアルに
分かって、
サーッと愕然とします。

どうしたらいいんでしょうね?

というところに
昨日ぐらいから特に
改めて取り組むようになりました。

それが、そうしたら、
本番で時々、急に声が出なくなったり
地声と裏声が変に分離する感じ
というのが再現されまして

そうか、あれは
本当の声を出そうとする状態
に、なっていたんだなあ

本番というのはそういう力が
あるんだな~……と、
自宅にいながら?
本番克服体験みたいな稽古が
できるようになったみたいです。

ドタラも、たぶん一緒で
語るように奏でられないと
自由にはなれない。
(そのためにも音程が
取れることは、
やっぱり重要なのですが)

ちなみにドタラについてはこちら

ドタラ琴:バウルの楽器紹介④

速さなんかも、
本当はその範疇というか、
その自由さの後に
本来自在に来るものなのかな
とか思ったりします。

– – – – – –

次のソロ公演、まだまだお席ありますので
お会いできると嬉しいです。

バウル歌舞いの会 vol.11
◆2022年11月18日(金)
開場6:30pm 開演7:00pm
2500円(1ドリンク別)
場所 祖師ヶ谷大蔵ムリウイ
飲食 ドリンクのみ
予約 tomomi.paromita@gmail.com
もしくは こちらのフォームより
(※3日以内に返信なければメールよりお願いします)
当日券も出ます。

    詳細:
    https://note.com/muriwui/n/nf36f5e3fa095

     

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    いちばん最新の歌舞いの記録↓
    (寺原太郎さん、寺田亮平さんとの共演)

    – – – – – –

    ジョイグル
    (バウルの挨拶
    「あらゆる命が本来に輝きますように」)

    今日も明日も良い日でありますように。

    パロミタ

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