12月15日〜ベンガル民俗画・ポトゥア絵のウェブ販売をします。

インドの伝統衣装:サリーとガーグラー

サリーの歴史と多様性

インドの民族衣装と言ったらサリー。
聞いた事はあっても、
何となくのイメージしか無い方も多いかと思います。

現在、インドで最も一般的なサリーは
一枚布を「二ヴィ・スタイル」という
前で一旦プリーツを取ってから
下半身から上半身にかけて巻く
という着方のものです。

様々なサリー、1928年に描かれたもの。

画像ソース:ウィキ

二ヴィ・スタイルはこの絵の左上。
現代のこのスタイルは、
イギリス統治時代に、
ヴィクトリア的な美意識に見合うように工夫されたものが
広まったものです。

一枚布サリーの長さも、
巻き方により、
5メートルのものから9メートルのものまで
幅があります。

一枚布サリーと書いてきましたが、
二枚の布を上下でそれぞれ巻くタイプのサリーもあります。

元々…というのも、紀元前まで遡ると
下半身、上半身、そして胸を覆う布の3枚
あるいはどれかの組み合わせが主流だったようです。

アンタリヤという下半身を覆う布と
ウッタリヤという上半身を覆う布、
それからスタナパッタという胸を覆う布。

ここから様々なスタイルの衣服や
布の着方へと発展していきました。

仏教僧侶の着る袈裟も、
元々はこのインドの
布の着方に起源があります。
カーシャーヤという、
ぼろ布や端布を継ぎ合わせたものを
身に纏っていました。

この「体に巻いてから左肩にかけていた布」が
中国などを経由する内に
日本の袈裟の形に変化していきました。

画像ソース:ウィキ

ガーグラー

また、いわゆるジプシー的な
回転するとフワリと浮かぶようなスカートは
ガーグラーと言って
プリーツをふんだんに取って
縫製されたものです。
元を辿れば、下半身を覆うアンタリヤから進化しました。

西暦3〜5世紀の頃、
グプタ朝の時代にはあった事が
当時の遺跡から分かっています。

この頃、縫製された衣服は
王権の象徴でもあったようです。

様々なガーグラー、1928年に描かれたもの。

画像ソース:ウィキ

主に北インドのヒンディー語圏で
近代まで一般的に着られてきました。
砂漠圏の衣服というイメージもあります。

頭を覆うドゥパッタは、
ウッタリヤから発展してきたものです。

サリーでもガーグラーでも、
上半身に着るいわゆるブラウスを
チョリ(チョーリー)と言います。

後ろから結ぶチョーリー

画像ソース:ウィキ

これは胸を覆うスタナパッタから発展したもので、
縫製し、後ろで結ぶものとして
3世紀頃の遺跡には既に描かれています。

もっとも、特に温暖な地域では
コミュニティによりますが、
近年まで女性でも
上半身を覆わない場合もありました。

また、現在でも
「臍を出しても問題ない」文化圏と
「臍は見せない方がいい」文化圏が
インドの中でもありますが、
歴史の中でも、文化的慣習は
この間を行き来していたようです。

グプタ朝320年のチョーリーとアンタリヤ。

画像ソース:ウィキ

現代のサリー

現代のサリーは、
西洋ファッションの影響も
受けながら、
様々な形に発展しています。
チョーリーの形もそうで、
これは主にボリウッド(インド映画界)の
女優のフォーマルな装いなどを見ると
よく分かります。

私自身は、
ベンガルの農村で着られているような
プリーツを取らないタイプの
割合シンプルな着方をしますが
インドの他の地域の人に
「その巻き方、私もしたい。教えて」
と言われる事も多いです。

サリー研究家のニキタさんによる
Sari Draping.Coでは
様々なサリーの着方を紹介し
普及する活動なども行なっています。

世界の様々な地域と比べると
まだまだ伝統衣装が着られている
インドですが、
それでも年々サリー離れは進んでいます。

しかし一方では、
その反動として
むしろ現在のサリーよりも
自由な衣服としてのサリーに
人々の関心が集まり始めているようです。

次は、クルタやサルワール・カミーズ、チュリダールなどを紹介します。

インドの伝統衣装:ドーティ、クルタ、サルワールにチュリダール

参照:英語版ウィキペディアの様々なページ
(この分野の英語版ウィキペディアの充実が凄まじくて、他のソースを参照する必要や余裕がほぼ、ありませんでした…)

インド雑貨 アジアン雑貨 TIRAKITA

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