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ダルシャンと御開帳〜物質的に「神とまみえる」体験

ご開帳とは

ご開帳と言えば、日本で言うと
普段は厨子の中におわして
見る事のできない秘仏が

一年や数年に一度、
扉が開かれて一般に公開され
誰でもその姿を目にする事ができる事…
という感じでしょうか。

インドだと、大体これが
日に二度とか行われます。
「公開されない秘仏」のような存在は
今のところ聞いた事がありません。
(でも、あるかもしれません)

朝晩など、決まった時間に
音楽や歌などが捧げられ
人々は厨子(と呼んでよければ)の前に
押し合うように並び
両掌を合わせながら
せめて一眼でも目にしようと
息を飲んで待ちます。

ほら貝の音などと共に
ご開帳されると
更に押し寄せて、
祈りつつ人の波に流され、
お下がりをいただいて
退出していきます。

お下がり(プラサード)は、
甘いものであったり、
サンダルペースト(白檀)や花など。
これは、その前の音楽の間に
厨子の中で行われていたプージャー(祈祷)で
神に捧げられていたものの
お下がりです。

…とは言え、これは
基本的に私のケーララでの体験を元に書いていて
他の地方では様相が異なってくるかもしれません。

他の地方では、今通っているベンガル地方でさえ
ヒンドゥーのお寺に参拝する機会が
今のところ、あまり無いため。

ダルシャンとは

このご開帳、
インドでは一般的に「ダルシャン」と
言われています。

「ダルシャン」自体は
「見る事」を意味していて

聖者や行者などに
直にお目にかかる事も
ダルシャンと言います。

ご神体に、直にお目にかかる機会
だから、ダルシャン。

聖者へのダルシャンもそうですが
神像に直にまみえる事で
祝福をいただき、神徳にあやかる
というような意味があります。

ダルシャンはインドでは非常に重要視されていて
神像を一目でも目にしようと、
あるいは聖者と一瞬でもまみえて
足に触れる機会を得ようと
多くの人が
ダルシャンを求めて長い道のりを旅します。

印象的だったダルシャン

今まで、寺院で体験した
印象的なダルシャン…は、
どれも、特別なご縁で参詣を許された
特殊な機会だったりして
あまり口外できないのですが

それがとても特別な体験であったこと
だけは、記しておきます。

大勢で団子のように押し寄せて
ご開帳を待つ群衆は
ただ外から見れば、
狂信的だったり、盲目的に
見えることも、あるのかもしれません。

そしてその側面を、
完全に否定はできないかもしれませんが

そこに深く存在を揺さぶるもの、
参加して体験しなければ
けして理解することのできないもの
が、ある事も確かだと思っています。

聖者へのダルシャンも、
(こう一口に言っても、
様々な様相・性質のものがあります)
いくらか体験していますが、
どれも言葉にはしきれない
性質のものでした。

大師匠にあたる
ショナトン・ダス・バウルに
ご存命中にお目にかかれたのは
今となっては本当に僥倖だったと思います。
初めてのベンガルへの旅で
最も印象に残ったのは、
ショナトン・ババの佇まいでした。

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