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気を遣いすぎる

気を遣い「過ぎる」優しい人たち

気を遣いすぎる人は
どうして、気を遣ってしまうのか。

基本的には、
それは優しさだと思います。

相手の感じている事や
必要としている事が分かってしまう
そして分かってしまったら
喜ばせたい

でも気を遣い「過ぎる」と
感じる時
喜んでほしくてやったにも関わらず

別に喜んでもらえなかったり
当然のように受け流されたり
そもそも気づかれもしなかったり

そういう時だと思います。

気を遣いすぎる友人たち

私の周りには、いつも
いつも気を遣い過ぎてしまって
疲れてしまう

とても人当たりが良くて
よく人に好かれるのに
一人で引きこもる時間が無いと
やっていられない

そういう人たちがいました。

一方、私は
自分は空気が読めなくて
色々な事がうまくできなかったから
気を遣える人というのが
ずっと、羨ましかったです。

でもどうしてか、
そういう、気を遣いすぎる人と
割と、ウマが合ったり
お互いが大好きになる事も多くて

私たちにはたぶん、
ある種の共通点がありました。

それは、
「本当でいたい」
「誠実でありたい」
という気持ち

私は、
「他人の心を察して
動ける誠実さ」が

彼女(彼)らは
「自分の感じるものに誠実である事」に
お互いに惹かれたのだと思います。

ある友人は、
私が、心のままに怒れる事が
美しく、素晴らしいと言いました。

私は、
常に人が気持ち良いように
気にかけて、
人が気持ち良くなる言葉を
上っ面だけでなく、
心から誠実に言う事ができる
彼女が、
とても眩しかった。

それから何年も経って、
私たちは今も親友です。

お互いに、基本的な性質は
変わらないながら
彼女はより強く、自分に正直に
私はずっと円やかに
なって来たと思います。

気遣い屋は能力が高い

私が食事の席で
お皿に取り分けたりする
意外に思われたりするのですが

実はこれは、
インドの師匠に仕込まれました。

そして、それは「女だから」ではありません。

インドにいる時、
兄弟弟子たちには
皆んなが食べるまで
けして食事に手をつけない
配膳役を人に譲らない
ような
男性たちがいます

食事を取り分ける時って
量を計算する、
それなりの計画性とか
溢さないように皿に移す
繊細さだとか

意外と、色々な技能や
瞬時に判断する
頭脳が要求されます

私は元々、
こういう事が本当に苦手だったので
ナチュラルにできる方は
本当に誇って良いと思うのです。

割と長い事、
これが「するべき善」で
修行で求められているという事と

こういった事が苦手な自分の
ギャップに苦しみました。

それが解消されたのは、
先程も書いた、兄弟弟子や
妹弟子たちを見ていて

彼らが本当に
「そうしたいからやっている」
「本当に相手に良い事をしたいからやっている」事が
実感として分かって来て

それが美しくて
私もそうなりたい、と
思うようになってから。

最初は
自分のエゴとの折り合いに
戸惑いながらでしたが

とりあえず動いていると
そのうち
「相手のためになる事がしたい」と
心から、自然に
思えるようになりました。

そしてそうすると、
それまでぎこちなかった
向いていないとしか思えなかった
繊細さが、
育って来たのです。

だから、
最初からこういう事ができる
という人は、
たとえ今はただの習慣に
なってしまっているのだとしても

その根本には
物凄い優しさがあるのだと
私は思ってしまうのです。

武術家の繊細さ

とても高名な武術家の方
あるお食事の席で、
お隣になった事があって

ふと気を抜くと
運ばれて来るお食事を
皆に取り分けて下さるので
恐縮してしまいました。

ここで恐縮した、というのは
私が女だからとか
周りからのプレッシャーを感じたとか
そういう事では無くてですね

先生はもうそれは広く尊敬されている方で
私は彼のご本を読んで
育って来たんです。

その方が私の小皿に
料理を取り分けて下さったら
それは畏れ多いです。

でも、名の知れた武術家の方が
そういう事をごく自然になさる
というのは、
すごく素敵で、嬉しい事だとも思います。

また別の、やっぱり私が物凄く尊敬している
武術家の方は、こういう事は
一切されないので、

これが出来るから凄いとか、
偉いとか、そういう事が
言いたい訳では無いのです。

しない人は、
しない人で良いんです。

でも、してしまう人は
それが、必ずしも
旧弊的だとか、女性らしいとか
そういう価値観に
繋がっている訳ではなくて

あくまで、
それは優しさだとか愛だとか
素敵な性質の表れなのだと
誇ってほしい。

私は、たまたまというか
修行の道に入ってしまったので
努力して身に付けたし
私の我が強い性質には
必要な事だったと思っています。

でも、
やりたくないなら
やる必要は無い

(以前の私のように
ほしい時に勝手に取るので
いいじゃん、という
価値観もあるし

そういう人にとっては
他人がやってくれても
やってくれなくても
真面目な話、
本気で
どちらでも良いのです)

それでも、
やる事に喜びがあるなら
それはある意味
相手がどう反応するかなど
気にもかけないで
自分の喜びとしてやって良いと思います。

まあ、もしも
「さすが女性らしい」とか
「女子力」とか
何かそんな事を言われて嫌なら

先程の話を出して
「武術家を目指してるので」
とか、冗談半分に(あるいはまじめに)
言ってもいいかも知れないし

私みたいな人間の極端な例を出すなら、
そんな風に言われて嫌な気分になるような
関係性であるなら
その時点で、
「もう二度とこの人たちとは食事に来ないな」と
割り切ってしまいます。

苦しいなら環境を変えても良い

私は、
気遣いのできる人の
気遣いのできる性質
本当に素晴らしいと思うのです。

だから、もしも
そういう人が、
気遣いをする事が苦しくなってしまうなら

そんな風に感じてしまう環境は
サッサと変えてしまって

気遣いをする事が
心から楽しめて
今、気遣っていると
自分で気づきもしないような

そんな風に好きになれる
人や、ものや、環境を
探すのも良いんじゃないかと
思います。

この画は
今回話に出した親友の
結婚式の時

その時、たしか
2年ぶりに会って
訪れた私を
彼女が本当に喜んでくれて

お互いに泣きそうになりながら
抱きしめ合った時

その時の気持ちを
彼女が今でも、いつまでも
思い出しては
語ってくれるので

私の中でもどんどん
大切な思い出に変わっていった

その瞬間を、
描きました。

この画を描く事で
私を大好きでいてくれる人の存在
その実感が
ある一つの形になって

より強く、
私を支えてくれるのです。

 

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