3月22日、歌舞いのソロ公演を行います。

心の痛みに打ちひしがれる時

心の痛みに打ちひしがれる時。
今まではただジュクジュクと傷口に塩を塗りながら
悶々と痛みが治まるまで座り込んでいたのですが

この頃になって、その傷を透明に直視しようとする姿勢が身に付きだし
そして、その心の行いに
バウルのうたが深く関わって来るようになりました。

その「感じ」を、少し
お裾分けしてみます。

いつまで苦しみを受け入れるのか

おまえの人生を
おまえは台無しにしてしまった
こんな人生を
再び得る事はあるのだろうか

どれだけの間違いと
どれだけの罪を
日々積み重ねてきたのか
この特別な人生で

笑いながら罪を犯し
その代償は
どれだけ泣いても取り返せない

何百もの呪いを重ね
どれだけの人の命を
いわれなく傷つけてきたのか
ボバ・パグラは言う
この人という家にやって来たのは
きっと何か祝福があったに
違いないのに

心よどうして
こんな所までやって来て
いつまでも言い訳を
繰り返しているのか

(ボバ・パグラのうた)

訳責:パロミタ

*探してみた限りでは、このうたの
ネットに上がっている音源は無いようです。
どんな旋律か気になる方は、私に直接聞いて下さい。
割と牧歌的な旋律です。

落ち込んだ時に、
自然と口にのぼるのはこのうたです。

私はあまり、「傷つく」という感覚を
持っていないのですが
ハッキリと傷つくのは
私が誰かを傷つけていたと知った時。

自分がつけた傷によって、
ブーメランで傷つく時。

たぶん私は、
あまり直接悪意を受ける事に
慣れていなくて
抗体ができていないな…と
感じるこの頃ですが

「あ、これは復讐だな…」
という類の傷を受けた時、
特に消化と回復に時間がかかります。

修行者であるからには
全てを意味あるものとして
受け止めなければいけませんし、

たぶんきちんと受け止めて
理解し、消化しなくては
同じような事がまた繰り返されるでしょう。

そんな時に、
よくこのうたをうたいます。

おまえの人生を
おまえは台無しにしてしまった
こんな人生を
再び得る事はあるのだろうか

どれだけの間違いと
どれだけの罪を
日々積み重ねてきたのか
この特別な人生で

笑いながら罪を犯し
その代償は
どれだけ泣いても取り返せない

何百もの呪いを重ね
どれだけの人の命を
いわれなく傷つけてきたのか
ボバ・パグラは言う
この人という家にやって来たのは
きっと何か祝福があったに
違いないのに

心よどうして
こんな所までやって来て
いつまでも言い訳を
繰り返しているのか

(ボバ・パグラのうた)

訳責:パロミタ

自分の幸せを他人に左右されない

しかし同時に、
私の課題は
本質を峻別しながら
相手を色眼鏡で判断しない事。
相手を透明な目で見ながらも
本質を峻別する事。

誰にも自らのよろこびや悲しみを
左右する権利を明け渡さない事。

傷つき悲しみ続けるという事でさえ
自ら選び取って相手に復讐をしているという側面があり
その点で、相手に自らの心の舵を
明け渡してしまっていると言えます。

私の家の鍵は
誰か他の人の手の中にある
どうしたら扉を開けて
中の宝を
この目で見る事ができるだろうか

自分自身の家が
黄金でいっぱいなのに
他の人が勝手に出し入れしている
なのに生まれつき目が見えず
気づく事ができないでいる

もしも門番を受け入れたなら
私のために扉を開けてくれるだろう
けれどもそのために
門番と仲良くなろうとするのも
本末転倒じゃないか

この人間の中に、心よ
人の宝があると言うけれど
ラロン・ファキールは言う
その宝が得られる事に
私はずっと気付けなかった

(ラロン・ファキールのうた)

訳責:パロミタ

(私が学んだ旋律は、
この動画の旋律とはまた違います。
とても人気があるうたのようで
Youtubeで検索したら、若い世代に
バンドなどでたくさん歌われていました)

最後には全てを天に任せること

生きるという事の多くは
自分の決断次第という側面がある
と、思っていますが

同時に、心の力任せでは
どうにもならない事も多々あります。

自分を信じるという事と同時に
それ以上に
運を天に任せる、
そうする事を信じる、そうする自分を信じる…
という事がどうしても必要になってくる
日増しに実感しています。

信じる、というのも力任せな気配がする
かもしれませんが
その「身を流れに任せている」状態が自然になるまでは
そうするしかないのかと思っています。

それを信仰と呼ぶ人もいるかもしれません。
あるいは、生きる事とは
自然とそういうものであるのかもしれません。

自分よりも大きな流れに
身を預ける気持ちを
私はまだまだ学びきれていない
体現できていないと感じます。

だからどうしても、
できるだけの事をしながら
最後には、全てを捧げるうたに
回帰していきます。

あなたの名前を聞いて来ました
聖者ゴウランゴ
どうか慈悲のまなざしを下さい
ずっと長い事待ち望んで
ただ立ち竦んできました
どうしてみじめなままで
捨て置かれるのですか

苦しみを取り除いて
幸せを下さると
言いながら
家の外で待たせたまま
ご自身のお言葉を
忘れられたのですか

私に寄り添う人が
他に誰かいたならば
このようにあなたに
縋るでしょうか
今、苦しみの中でも
よろこびの中でも
あなただけ
どうか火に打ち捨てないで

打ちひしがれ倒れた人を
救い上げるために来ながら
倒れた人が倒れたままなら
人々は何と噂するでしょう
そんな事は私には
とても耐えられません

(ケパチャンド・バウルのうた)

訳責:パロミタ

これらは全てベンガル語で紡がれる
バウルのうたですが
ベンガル語に馴染んでくるにつれて、
どれほど身の深いところから出て来ているうたなのか
僅かながらでも
分かってくるようになった気がします。

 

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