🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

仏伝「ナロク」⑦

アバニーンドラナート・タゴールによる
児童文学の名作、仏伝「ナロク」。
毎月1日と15日の更新で
少しずつ翻訳連載していきます。

ベンガル語の原作からの翻訳ですが、
所々英訳”Nalak”を参考にしています。

改行は、スマホやブラウザで
読みやすいような形に
工夫したものです。

シッダールタは毎日北の冷たい靄の中、
真っ白の雪の中、立って考えました——
靄の網をすり抜けて、
光は入ってこないのだろうか?

雪が溶けて花が咲き、
大地が様々な色で満ち溢れて、
再び大変なよろこびは
見られないだろうか? 

どこを見回しても沈黙ばかりです。
シッダールタは心を研ぎ澄まし
耳を澄ませます。
どこからも、どんな音も
聞こえてきません。
夜も無く、昼も無く、
光も無く、暗闇も無く、
どんな音も返ってきません。

呆然と立ち尽くしました。
見渡す限り、
雪の壁と霞の帷(とばり)。
そこから顔を覗かせるのは、
老いの衰弱です——白髪と共に。
熱で震えています——
青ざめた顔に、うつろな瞳。
死が見つめています——
雪のように冷たい、白い布を纏って! 

鏡に自分の姿を見るように、
白い紙に色々な絵を見るように、
あの濃い霧、濃密な雪の壁に、
シッダールタは自らの、
そしてこの世のすべての存在を見ました——
生まれて、老いて、そして死にゆく。

大いなる怖れが
誰も残さず連れていきます、
血まみれの三叉鉾で! 

病い、老い、そして死——
三頭の狩猟犬のように
駆け抜けていきます、
大いなる怖れと共に。
歯で、爪で、
あらゆるものを千切り捨て、
粉々にしながら。

彼らを前にして、
立ち続けられるものはありません。
彼らを前に、
誰も助かることはできません! 

彼らが川に飛び込めば、
川も恐怖から
干上がってしまいます。
山にぶつかれば、
石は粉々になって
土に戻ってしまいます。

彼らは母の膝から
息子を奪い去ります——
編み枝の扉を壊し、
根を食いちぎって。

大いなる怖れの前では、
王もただ人も、
小さいも大きいも、
すべて吹き飛びます——
灰の上で乾き上がる葉っぱのように。
誰もが恐怖に震え、
うずくまり倒れてしまいます。

すべては死にゆくのです——
すべては消え去るのです——
嵐の前の風に消える
灯火のように。
どんなものも、
揺らがずにはいられない!

空を伝って
恐怖が喘ぎながらやって来ます。
風を伝って、恐怖が
死の声を上げながらやって来ます。

水辺にも陸地にも、
家の中にも外にも、
恐怖は浸食します——
熱病の恐怖、老いの恐怖、死の恐怖!

幸せはどこにいってしまった? 
平安はどこにいってしまった! 
どこに安らぎがある? 
シッダールタは心の中に
恐怖を見ました。
瞳で恐怖を見ました。

頭の上を雷が撃つように、
音を立てて恐怖がやって来ます。
足元に地震のように、
大地を揺らして
恐怖がやって来ます。
巨大な網のように、
四方を恐怖が覆います。

世界中がその中で戸惑い、
もがきます。
何千もの手が、
恐怖の中で空を掻いています。
風の中、ただ、助けて!
という声だけが上がります。
誰か助けて!

でも、誰が助けるというのでしょう?
誰に助けることができるのでしょうか?
恐怖の網が
世界の全てを覆ってしまいました!
そんな中、恐怖の無い人が
どこにいるでしょうか。

苦しみの無い人が、
悲しみの無い人が、
この大いなる恐怖から
世界のあらゆる存在を
救い出せる力を持った人が——
この隙間も無い
まやかしの網を破れる人が、
いるでしょうか? 

シッダールタの言葉に
返事をするように、
空から、風から、
水辺から、陸地から、
東から、西から、北から、南から、
声が上がりました——
偉大な力を持つブッダたちです——
大いなる力を持つブッダたち!

sadevakassa lokassa, sabbe ete parāyaṇā.
神々と人々のあるこの世界で、彼らは皆渡った。

Dīpā Nāthā patiṭṭhā ca tāṇā lenā ca pāṇinaṁ,
この王たちは全てのいのちあるものを助け守る

Gatī bandhū mahassāsā saraṇā ca hitesino,
安息を大いに求めるすべての衆生の利益を求める

mahāpabhā mahātejā, mahāpaññā mahabbalā
大いなる輝き、大いなる威力、大いなる智慧に大いなる力

mahākāruṇikā, dhīrā sabbesānaṁ sukhāvahā
大いなる慈悲をもつ、覚者はすべての存在に幸福をもたらす

(この詩節の翻訳はこちらを参考にしました。)

ブッダたちは 
三界すべての人々を
至高の道につれて行かれます。

大いなる輝き、
大いなる威力、
大いなる智慧、
大いなる力、

安らぎと慈悲に溢れた
ブッダたちは
すべての存在に
幸をもたらします。

衆生の利益を求める
かの方々は、
溺れる者の岸辺、
みなしごの守護者、
全ての存在の援助者、
家なき者の家、
道なき者の道、
友なき者の友、
希望なき者の希望、
守護なき者の守護者。

見る見るうちに、
シッダールタの目の前から——
心の上から、
世界を覆い尽くす
大いなる恐れの様相が、
光の前の暗闇のように
溶けていきました。

シッダールタは見ました、
空の霧が光となって
大地の上に降り立つのを。

その光の中に雪は溶けていきます——
大地を緑で、草木で、
花々で、満たしていきます。

その光の中で、よろこびが
再び息を吹き返しました。
鳥たちの歌の中にも、
森や林の中にも、その光が。

外では竹笛の音色になって、
内では幸せとして押し寄せ、
平安として落ち着きました——
その光が。

三界——
天界、地上、地下界で——
その光がよろこびの道をひらき、
七色の平安の旗をはためかせました。

その光の道を歩く人を
シッダールタは見ました——
それはシッダールタご自身でした!

裸足で、頭にも何も被らず。
恐れも無く、苦しみも無く、
悲しみもありません。

永遠のよろこびの中、
雪の上を、霧の中を、
よろこびと共に歩いています、
何の恐れも無く——
誰もに安心を与え、
よろこびを広めながら。

大いなる恐れは
彼の足元で震えています、
小さな影のように! 
まやかしの網もちぎれて、
彼の足元に落ちています——
ほんの小さなちぎれ雲のように!

他の日と同じように、その日も——
シッダールタは馬車で
部屋に引き返したのでした。

しかしその日からは、
心はかの王宮、
まやかしの網に覆われた、
黄金の夢に覆われた家屋に
縛られることはありませんでした。

シッダールタは出家者となって
歩き去りました——
家を出て歩き去りました——
いくつもの名もなき川の流れ、
いくつもの名も知れぬ国の道を辿り——
ただひとり、恐れも無く。

夕暮れの星と共に
花ひらいた花のように、
生まれたばかりの息子の幼い顔、
母になったばかりの
シッダールタの妃ヤショーダラー——

彼らの美しいお顔に浮かぶ
甘やかな微笑み、
付き人たちのよろこびの歌、
カピラヴァーストゥの都の
家々にかかる七色の光飾り、
そのどれも、もはや
シッダールタの心を
俗世にふり向かせることは
できませんでした——
彼は留まりません。
彼は留まりません。

息子ができた、これで
シッダールタは俗世をとって
家に留まるだろう——
このように考えてシュッドーダナは
赤子の名をラーフラと名付けました。

けれどもシッダールタの心が
どうして俗世に留まりましょう?
ラーフラは留まりました、
ラーフラの母のヤショーダラーも
留まりました、それに
家やともがら、親戚も留まりました。
そのすべてにとらわれた
シュッドーダナ王も留まり、
ただひとりシッダールタだけが
去りました——心の赴くままに。

Abanindranath Tagore’s illustration copied and reproduced (with certain re-arrangements), then coloured with Japanese watercolour by Tomomi Paromita. (挿絵を模写の上、独自に着彩。)

アーシャール月(ベンガル暦第3月)の
満月の日でした。
真夜中のことです。
王都では誰もが寝静まっていました。

灯りを消し、歌を止め、
シッダールタは呼びかけました——
「チャンダカ、私の馬を連れてきて」
シッダールタのしもべチャンダカは
愛馬カンタカに黄金の馬具をつけて
夜も半ば過ぎた頃に
王宮に連れてきました。

シッダールタはその馬に乗って
そこから去りました——
アナーマー川の岸辺へ!

背後は暗闇の中に
溶けて消えてしまいました——
カピラーヴァーストゥの王宮が。

前には見えていました——
満月の光に照らされた道が!

チャンダカは
カピラヴァーストゥの方へ
戻って行きました——
シッダールタの額を飾った王冠、
手首にかけていた腕輪、
首にかけていた首飾り、
耳につけていた耳飾り、
それからそのカンタカ馬を連れて。

それからはシッダールタは
自らの足で歩いて行きました。
川を渡り、森の方へ、
苦行をするために——
苦しみの終わりはどこにあるのか、
それを知るために。

小さな川です——
見るからに小さい、
その名もナマー(謙虚)。

あるいはアナーマー(名無し)
と呼ぶ人もいれば、
アノーマーと呼ぶ人も、
アナマーと呼ぶ人もいます。

シッダールタの降り立った岸辺は
土が崩れていました——
舟を付けられるような場所も無く、
ただ石や棘があるばかり。

しかし川を渡った先の岸辺は、
道から続く緩やかな斜面が
水の中まで続いていました。
その道には木々の影が差しています。
青々と茂る草や、
野生の花に彩られた道です。

この両の岸辺の間に、
ナマー川が流れています——
砂を洗い流し、
サラサラと音を立てながら。

ひとりの漁師が、小さな網で
魚を捕まえていました。
シッダールタは
身に付けていた黄金の布を
その漁師に与え、
かわりに継ぎ接ぎの
刺し子の布をもらって、
それを纏って進んで行きました。

川は——グネグネと
蛇行しながら進み、
マンゴーやジャックフルーツの森に接し、
小さな丘に接しながら——
時に東に向かい、
時に南に向かいます。

シッダールタはこの川に沿うように、
木陰を楽しみながら、
心はよろこびに満ちて
歩いて行きました。

このような緑の日除けも、
水を含んだ風も、
誰でもそこに
留まりたくなるものでした。

果実がたわわに実り、
木の葉に覆われたジャームの木が、
川にしなだれかかるようです。
その木の下に
聖者のアーシュラムがありました。

そこで7日7晩過ごしてから、
シッダールタは
ヴァイシャーリーの街にやって来ました。

そこにはもつれ髪を頭上にまとめた大
学者アーラール・カーラームがいて、
街の外に住処があり、
300人の弟子がいました。

シッダールタは彼の下で
経典を学び、
瞑想やアーサナ、
ヨーガや供犠、
マントラやタントラなど
多くのことを学びましたが、
どのように苦しみを
克服することができるのか、
納得することはできませんでした。

そこも去って進みました。
四方をヴィンディヤーチャラの
山々に囲まれた所に、
ラージャゲーハの街がありました。
マガダ国王ビンヴィサーラが
治める街です。

シッダールタはその街の端、
ラトナギリ山にある
洞窟に居を定めました。

やがて暁の時間になりました。
シッダールタは山から降りて
道に立つと、
「お布施をください」と
声を上げました。

眠りから覚めきらぬ街は
目を覚ましたばかりで、
目にしたのです——若き修行者を!

こんなに美しく、
こんなに慈悲に溢れた微笑みをした、
このように
よろこびで作られたような
黄金のからだ、
こんなに安らかな両の瞳、
このように片方の手で
恐れの無さを差し出しながら、
もう片方の手で布施を望む、
その足の土で公道を清める、
こんな人はこれまで
この街に来たことがありません。

もう出かけていた人も、
彼を見るために戻って来ました。
男たちは遊びを放り出して
彼の近くにやって来ます。
女たちはヴェールを上げて
彼をまっすぐに見ました!

彼を目にすることに、
誰も怖れを抱かず、
恥ずかしさも感じません。

ビンヴィサーラ王も
公道にやって来ました、
彼を見るために!

托鉢をする修行者は
これまでにもたくさん来ました、
けれどもこんな人は
来たことがありません。

公道の端から端まで
人々が押しかけています——
彼を見るために、
彼の手にお布施を差し上げるために。

店を持つ人は店ごと
彼にお布施したくなり、
商人は持てる財産をすべて
彼にお布施したくなりました!

みずから物乞いする人も、
物乞いかばんの中身を
すべて差し出して言います——
どうぞこのお布施を
受け取ってください、
どうか受け取ってください!

シッダールタの両の手は
お布施でいっぱいになりましたが、
お布施を差し出した人々の心は
まだいっぱいになりません!

彼らは宝石や真珠、金や銀、
花に果物、お米に豆を
山のように持って来て、
シッダールタの足下に置きました。
断られても納得しませんし、
聞き入れません。

訳責:パロミタ
訳文の著作権はパロミタにあります。
無断転載厳禁。
アバニーンドラナート・タゴールによる
児童文学の名作、仏伝「ナロク」。
毎月1日と15日の更新で
少しずつ翻訳連載していきます。

ベンガル語の原作からの翻訳ですが、
所々英訳”Nalak”を参考にしています。

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