🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

仏伝「ナロク」⑥

アバニーンドラナート・タゴールによる
児童文学の名作、仏伝「ナロク」。
毎月1日と15日の更新で
少しずつ翻訳連載していきます。

ベンガル語の原作からの翻訳ですが、
所々英訳”Nalak”を参考にしています。

改行は、スマホやブラウザで
読みやすいような形に
工夫したものです。

またある日、シッダールタの
心の戦車——黄金の馬車は
やさしい風に旗をなびかせて
カピラヴァーストゥの南の門を通り、
ゆっくりと進んでいきました。

庭園の風のかぐわしさ、
白檀の清涼さが身に触れれば、
全ての熱が鎮まります!

花を咲かせる甘やかな風、
いのちを安らがせる南風!

あんなに遠くの野原の
牧童たちの笛の音、
あんなに遠くのたくさんの森の
カナリヤの歌う歌が、
その風に乗ってやって来ます——
耳の近く、魂のすぐそばに!

みな1日を終え、歌いながら
歩いています——
ひらいた風の中、星灯りの下——
扉を開け放ち、家を離れて!

空には冷え冷えとした深く青い光、
大地の上には冴え冴えとした光のかげ、
その間をやわらかな風が吹いています——

フルフルと南風が——水にも土にも、
森にも林にも、家でも外でも——
口にふれて、よろこびの笛を鳴らします。

その風に、胸はよろこびに踊り、
心の帆もいっぱいに風をはらみます。
心の戦車は今日は空を飛んだり、
地上を走ったり——
聞こえてくる歌の拍子に乗り、
幸いの海の静かな水面を走り。

夢の中の花のように、
金星が空から大地を見つめています。
幸いの光が落ちてきて、
幸いの風はゆっくりと吹いています——
東に、西に、北に、南に。

心に浮かびました——
今日は悲しみは
遠くへ行ってしまったようだ。
みな安らいでいる、
幸せに、穏やかでいる。

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この時、覆いを取り払い
幸せな夢を壊して
シッダールタの目の前に
浮かび上がったのは、
土気色の人でした——
熱に喘ぎ、病に苦しんでいます。

彼は立っていることができず——
ふらふらと倒れてしまいました。
動くことができず——
砂の上、泥の上に横たわっています。

いつでも寒さに震え、
体の熱のために
水を求めて叫んでいます。

彼のすべての血は両の眼に集まり
こぼれ落ちているようです。

その目に見つめられ、
空は炎のような色に染まりました。
血のすべてが水のようになり、
土気色の紙のような冷たい体の中を
流れ落ちていきます。

彼にふれると、風も雪のように
冷たくなってしまいました。

大地のすべての命を吸い込むように、
息を吸い込んでいます。
吐き出す息はそのまま彼の命、
彼の熱のようです——

この痛みを
全世界に撒き散らすかのように。

シッダールダは見ました。
世の中の光が消え去り、
風が死に絶え、
すべての話し声、
すべての歌が沈黙してしまいました。

ただ砂埃と泥にまみれた
あの熱に侵された土気色の体の、
胸の中からだけ音が聞こえてきます——
まるで石の壁を
槌で叩いているかのような——
ドゥォク、ドゥォクと!

その音が鳴るたび、
空のすべての星が消え、
また光り、風が吹き、また消えます。

熱に侵されたその恐ろしい姿を見て、
シッダールタは部屋に入りました。

輝く王宮の中、
幸いの海の岸辺に
戻って来ました。

しかしいつでもあの体の胸の中、
あばら骨に当たり鳴る音が
聞こえてきます——
ドゥォク、ドゥォク!

Abanindranath Tagore’s illustration copied and reproduced (with certain re-arrangements), then coloured with Japanese watercolour by Tomomi Paromita. (挿絵を模写の上、独自に着彩。)

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今度は西の門から、
アスターチャラ山に向かう道を、
心の戦車は西に向かいます——
黄金の馬車です——
1日の終わりに
太陽の光が消えていく方角です。

そちらの方角から、
誰もが振り返って
それぞれの家へと帰っていきます。

鳥たちはけたたましく帰ってきます——
木の枝の、葉っぱでできた巣に。
母牛も仔牛も、みな牧草地を通り、
川を越え、入り日の黄金の土を纏って
牛小屋へ帰ります。

牧童たちは村への道を、
葦笛を吹きながら土の家に、
母の膝へと帰っていきます。
遠くの市場での取引を終えた人々も、
みな帰っていきます。
誰もが家に帰ります——
遠くにいた人も、近くにいた人も。

家の上には土の灯明があり、
家も門も無い人に光を分け与えています。
トゥラシーの木の下にも灯明——
仕事をしていた人、勉強をしていた人、
遊んでいた人、彼らみんなのための灯りです。

誰もが今日は
母の両の目のように瞬きもしない、
そのふたつの光に向かって、
母の膝へと帰って行きます。
兄弟姉妹の傍へ、友人たちのただ中へ。

物乞いも今日はよろこびの中、
一絃琴を手に
迎えの歌を歌い奏でています。
「ただいま、母さん、女神よ、
帰ってきたよ、ただいま、母さん」

再会の法螺貝の音が
家々から上がりました。
ただいまの旋律、おかえりの旋律、
胸に倒れ込むように
飛び込む時の旋律、
膝に乗って喉をくすぐる時の旋律が、
風に乗って空から届いて、
開け放たれた扉から忍び込み、
空っぽの家にも響いています。

浅い息も、空っぽの胸も、
今日はおかえりの音楽、
胸に抱けた旋律、
求めていた宝を手に入れられた
旋律で満たされていきます!

シッダールタは見ました、
このよき日に、
どこにも悲しみはありません。

よろこびの中のどこにも、
苦しみの入り込むような余地はありません。
水に満ち満ちた川のように、
よろこびが満ち満ちています。

満月のように完全なよろこびが、
この世を光になって隅々まで照らし、
彩りでいっぱいに満たしています。

よろこびの奔流がやって来たのです。
どこにも乾きは無く、
侘しさもありません。

シッダールタが見つめる間も、
再会のよろこびは進んでいきます。
よろこびが束になって、
一斉に、今日は無理やり扉を押し開いて
胸に飛び込んで、首に抱きついています。

今日は誰も、誰にも忘れられません。
誰も誰かを忘れません。
誰かを置き去りにしたりしません、
できません!

よろこびの訪れが無い人など
いるでしょうか。
よろこびの無い土地などあるでしょうか。

誰か悲しみの中にいる人が、
涙を流す人が、
青白い顔をしてさまよう人が、
いるでしょうか。

|

シッダールタの問いに応えるように、
ある打ち捨てられた神殿の鐘が三度、
コンコンと鳴りました——

あるぞ、あるぞ、悲しみはあるぞ!

そうして世界中の
すべての眠りを打ち覚ますかのように、
胸を切り裂くような
泣き声が上がりました——
アーェ、アーェ、アー、アー!

空を切り裂くような泣き声、
風を千切るような泣き声!
胸の中の32の脈管(ナーディ)を
無理に引き伸ばしたかのような——
泣き声!

シッダールタはハッと
よろこびの夢から覚めました。
空の方を見ると、
数万のあの星々の光がどれも、
死者の眼のように
濁ってしまっているのです!

大地を見れば、夜の2パハラ半
(おそらく明け方5時ごろ?)には
水の上にも陸地にも、
薄白い霧の網がかかっていました——
まるで誰かが白い毛布で
大地の口を覆っているようです。

家々の灯明も、
どれも点いては消え、点いては消えて、
やがてドプとすべて消えてしまい、
もう点くことはありませんでした——
もうどこにも光はありません。

もう誰も声を上げることも、
音を立てることもありません。
空の真ん中に集まった黒い雨雲が、
今にも泣き出そうという
まぶたのように湾曲した形になり、
雨が一粒ずつ、落ちました——
空から、大地の上に!

その中を、人が寄り集まって
歩いていくのが見えました——
白い布をかぶった数千の死者が、
その布の端を掴み、胸に抱き込むように。

彼らの足は、地に着いても
何の音も立ちません。
胸はちぎれるように
泣いて震えています。
けれどもその口からは
何の言葉も出てくることが無いのです。

川岸では——
日の沈む、光の消える、
日が終わっていく方角です——
ふたりの世捨て人が、
目を伏せて静かに、
死者たちの向かう火葬場の岸辺へと、
ひとりひとり、遠くから、
本当に遠くから——

家から大変遠い距離を、
親しい人の胸から、膝から、
大変に遠いところを——
家に帰ったあの道、
胸に飛び込んだあの道からは
本当に遠いところを——
去っていく道、さよならの道、
泣きながらもう戻らない道を、
進んで行きました。

こちら岸でも、あちら岸でも、
死の嘆きや火葬の炎が上がり、
その中を離別の道が伸びています——

泣きながら去っていく道、
すすり泣いて去っていく道が。
こぼれ続ける熱い吐息のように、
突風がひとつまたひとつと吹き、
そのたび舞い上がる灰が
その死の道を進む旅人たちの顔に、
口に、目に吹きつけるのです!

シッダールタは見ました、
灰が舞い降りて彼らの髪を白く染め、
体を青白く塗りつけるのを!

灰は舞い上がります——
すべて燃えるものの燃え滓、
熱い灰が。
炎が消えて灰になって舞い上がり、
命あるものが灰になって舞い上がり、
死すらも灰になって
舞い上がっていきます。

幸せも灰になって舞い上がり、
不幸も灰になって舞い上がり、
この世のあらゆるもの、
すべてが灰となって舞い上がり、
遠く遠くへ飛んでいきます。
頭の上のからっぽの空に漂う
白い千切れ雲のように。

その下で聖ブッダは見ました——
死んだ息子の両の手を握り締めて
その体を抱える母親が、
聖ブッダを瞬きもせずに見つめました——

風は四方を泣いてさまよっています。
アーィ、アーィ、アーィ・レー、アーィ!

その日、部屋に戻った
シッダールタは見ました。

黄金の花瓶に咲き誇っていた
お花のかわりに、
ひとかたまりの灰と、
半焼けの死人の肋骨が挿さっているのを。

|

今日は吹雪が刃のように
胸に刺さっていました。
凍てついた靄が
四方を覆ってしまっています——

大地の上にもはや
太陽の光は届きません、
星明かりも届きません——
昼も夜も同じようです。

おぼろげな光の中、あらゆる色が、
黒も白も見分けがつきません。
あらゆるものが、
ずっと遠くから見るように
見分けがつきません——
ぼんやりした靄に覆われ、霜に隠されて!

北に開く扉に立った
シッダールタは見ました。
大地のすべての植物、すべての葉、
すべての花が雪と霜に
覆われてしまっているのを。

積もった雪で高いも低いも、
小さいも大きいも、
すべて同じようになってしまいました!

空には一羽の鳥も飛んでいません、
歌っていません。
風には今日は少しも花の香りが無く、
少しも幸せの感触もありません。
よろこびの旋律は漂ってきません。

真っ白い雪、凍てついた靄、
音ひとつしない寒さの中、
あらゆるものが静まり返り、
身動きもせず、石のようです——
大地が気絶してしまったかのように。

訳責:パロミタ
訳文の著作権はパロミタにあります。
無断転載厳禁。
アバニーンドラナート・タゴールによる
児童文学の名作、仏伝「ナロク」。
毎月1日と15日の更新で
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ベンガル語の原作からの翻訳ですが、
所々英訳”Nalak”を参考にしています。

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次回更新は6月1日(予定)。

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