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ドリーミングの衝撃〜芸能はコミュニケーション

ドリーミングとは

「ドリーミング」をご存知でしょうか。
「ドリームタイム」として
ご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。

オーストラリアの先住民、
アボリジニの世界観
このように言います。

その意味を簡単に伝える事は難しいのですが
「この土地が私たちのドリーミングだ」
というような言い方をします。

先祖から受け継がれる、
神話の時代がそのまま今に繋がる
現在進行形の、能動的な記憶です。

かつては
「ドリームタイム」と言う英語が
使われていましたが、
現在はより能動的な
「ドリーミング」が
使われる事が多いようです。

昨年9年ぶりに訪れたオーストラリアで
私はかなり意識的に
アボリジニについて
学ぼうとしました。

そして、幼い頃に訪れた時とは
全く違う様相の
博物館の展示に驚いたのです。

そこでは、現代アートも駆使
訪れた人が体験して
五感を使って理解する事ができる
立体的・より実感的に
アボリジニの文化や歴史を
知る事ができるような
空間作りが行われていました。

博物館学の進化
というものがあるのでしょうが、
同時にそれは、

オーストラリアという国と
今そこに生き、
アボリジニの過去と現在に
向き合って来た人々
どのように伝えていくのかを
真摯に取り組んできた結果である
と感じました。

そして、これこそが芸能というものの
本義だし
伝えるという事
(その対象が人であれ、
より大きなものであれ)

芸術や芸能というものは
本来こういう事だ、と
感動したのです。

オーストラリアの自然への愛着

私のドリーミングとの出会いは
幼少期に住んでいたオーストラリア
アボリジニの話の絵本でした。

詳細は覚えていないのですが、
はちみつが好きすぎて
尻尾ができたカンガルーの話など
ぼんやりと覚えています。

あとは、オーストラリアでは割と、
オーストラリアの自然を背景に、
動物たちや妖精たちを
主人公とした物語があって
その中でも「ドットちゃん」が
私のお気に入りでした。

それから何年も経ち、
日本で中学生になった頃、
祖母宅の近くの本屋で
ドリームタイムの神話の本を見つけて
その中で特に印象的だった
大きな虹蛇(地震などを引き起こす)を描いた絵が、たしか
県展か何かに選ばれた記憶があります。

どういう訳か、幼少期
アボリジニも含め
オーストラリアの自然に関わる事が
大好きで、
博物館に行く事が
本当に好きでした。

なのに、18歳から再び
今度は大学生として
オーストラリアに住む事になった時
4年半住んだのですが
アボリジニに関する事とは
ほとんど全く
関わる事がありませんでした。

その時は、多文化共生だとか
大学で専攻していたインド関係とかで
関心のあるテーマが
逸れてしまっていたのです。

大学を終えた時には、
他の多くの国と同じように
オーストラリアに潜在する
様々な問題や
外国人として暮らす事だとかに
疲れてしまっていたので

再び訪れるまでに、
何と9
年もかかってしまったのでした。

ドリーミングとの邂逅

しかし、9年ぶりに訪れた時
私にはハッキリと、
「アボリジニについて、
ドリーミングについて
学ばなければ」
というテーマがありました。

なぜかは、その時は意識していませんでしたが
今にして思うと、
それは私が、
インドでの体験を通して
「神話の地続きの現代を生きる」
事に、より自覚的に
そして繊細になって来ていた
からなのだと思います。

とはいえ、普通に本屋さんで
アボリジニについての
書籍を探すと
全然見つかりませんでした。

見つかるのは決まって
古本屋や、
博物館ショップ。

そして、何となく行ってみた
国立博物館で
まさに吹き飛ばされるような
感動を得ました。

何しろ、午前中の23時間で済ますはずが
終日居座って、
翌日も通った程です。

冒頭でも書いたように、
そこでは、現代アートも駆使し
訪れた人が体験して
五感を使って理解する事ができる
立体的・より実感的に
アボリジニの文化や歴史を
知る事ができるような
空間作りが行われていました。

アボリジニの歴史は
「白人」との出会いから
苦難どころではありません。
アジアからの労働者にすら
人間扱いを受けませんでした。

現代も、抑圧の歴史が
あったからこそ
貧困などの様々な問題が
解決されないままに
続いています。

その中で、放っておけば
失われてしまう
文化を
どのように繋いでいくか
どのように
伝えるか
切実な試みが行われているのです。

その中では、たとえば
元来アボリジニは、
亡くなった人の名前や写真、
映像を使う事を徹底的に避けるのですが、
文化を残すために
敢えて故人の映像の使用を許可するという
決断をしている場合もありました。

しかしそれも含め、
国立博物館のアボリジニ部門の
展示の生き生きしている事、
今もうまく表現できません。

もう、とにかく衝撃だったのです。
ドリーミングってこういう事か、という事を、
私は確かにその展示を通して
何かしら感じえたし、
もっと知りたくて、その後も色々と読みました。

たとえばその、
伝えていきたい文化が
精霊との交感そのものだとして
その密な交流と
他者(次の世代)に
それを伝える事が
矛盾する必要は
無いはずなのです。

個の枠の外と繋がる

その頃
私がうっすらと
思い悩んでいた、
という程では無いにせよ
考えていた事は、

インドの哲学体系の
「思考」理論的な部分と
全てを超越した根源的な部分。

インドならではで
そこが全く矛盾せずに
混沌としながら
底のところではスッキリと
共存しているのですが

私は何かそこに、
ムズムズしたものを
感じていたのでした。

要するに、
元々「古代」に惹かれていた私にとって
インド哲学は理屈っぽ過ぎるように
感じていた訳です。

古い割に、
あまりに頭に拠っている気がして。

私の学ぶバウルは、
権威的な「インド哲学」の枠外にあるとは言え
外国人として入っていく時に
(そして私の師事する流派の特色として)
その哲学伝統を無視する事もできないのでした。

しかしドリーミングの、
とても能動的で
現在進行形な記憶の形、
土地や祖先との関わり方
見た時
私の中で何かが繋がりました。

私がバウルで学んでいる事は、
「真理」の状態に
常に安住する事。
様々な修行も、稽古も、奉仕も、
全てはそこに帰結します。

師匠が
「バウルはトランスではない」
「その時だけ枠を破るのではなく」
「常にそれが起こっている事」
「それがヨーガだ」
と言う時、

「おまえのうたに耳を澄ませ」音の行とは何か

その「個の枠外と、繋がっている状態」と
ドリーミングのイメージ

繋がって

インドでは
そうした、より原始的、
根源的なあり方が
歴史の中で、
一度思考を通過して
それでも「そこ」に還っていこうと
志向し続けていたのではないか。

原初の聖典ヴェーダの時代は
おそらく遊牧民的な社会と
地続きであったと
リグ・ヴェーダの内容だとか
北インドの、乳製品中心の
古い食習慣などを見ても
思うのです。

そして、中央アジアの遊牧民の
今もシャーマンの生きる社会を
想う時、

古代インドで、
ヴェーダからウパニシャッドへ
そして密教へという流れの中で
起きた事は

より体感的・直感的な哲学世界観から
思考による体系化・証明へ
そして再びの源への回帰
という事だったのではないか

などと、
想像を膨らませるのです。

私が希求するもの

そしてその
博物館の展示を体験して
私が思ったのは

私がしたいのも
こういう事だ、という事です。

画の展示でも、
歌舞いの公演でも
別に、「私を見て!」とか
そういう風な意味で
表現したいものがある、
という訳では無いのです。

私が志向するのは
あくまである種のコミュニケーションであって
(それが必ずしも、いつも
「人間
」を対象としているものではなくても)
それは、その形を取ってしかできないからこそ
画であったり、
歌舞いの形を取ったりします。

今もって、
その「何をコミュニケーションしたいか」
の正体が
私には言葉にできず、
歯痒い思いもするのですが

私が私の人生をかけて学んでいる事、
この個に縛られない実感。
神話や古代から地続きの現在。

そういったものを
伝達するのに
必要であるのなら
私は
アーティストという形を取ってもいい
ただそういうコミュニケーションが
私はしたい、
と強く自覚したのでした。

それが分かった事で
画になるイメージ
それまでよりも
内的世界を反映する形
ずっと明確に取るようになって来ました。

それで、ある種のイメージは
神話に仮託される事で
力を増すというか、
純粋性を増す
ような事も分かって来ました。

何だか話が大きくなり過ぎてしまったかな。

でも、
私がしたいのはそういう事
どうしたらこれが
人にちゃんと伝わる形で
伝えられるのかを
今とても
がんばっているところ

というのが
私の現状なのでございます。

インドへの(変則的な)道のり〜神話の生きる国

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