🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

自分が嫌いだった〜私に嫌われていた私

「自分が嫌い」
よく聞く言葉です。

私も、もれなく
そう感じていた頃が
ありました。

いえ、というよりは
「私は自分に嫌われている」
と言う方が、
私の場合は正確です。

その鋭い痛みが、
ある日消えてしまった話をします。

嫌われた学生時代から

不器用に輪をかけて
自分の表現の仕方
自分が何を感じていて
何が言いたいかも
今にして思うとよく分かっていなかった
10代の時

高校生までで、
男子と対立しては
嫌われる事に
すっかり疲れた私は

大学進学を機に
余計な対立は
避ける方向にシフトし、

大人しくなったというか、
さほど主張しなく
なったようです。

(そこまで、
意識的にそうした訳では
ありませんでした。)

時々、そのせいで
ナメられたり
後悔するような事もありましたが
かと言って、
そこまで変えるという訳でも無く。

実際、インドに行くまでは
私は十代までで
怒りという感情を
使い果たした
と思っていました。

インドという
そこの角を曲がるにも
戦わなければいけないような
(※比喩です)
環境にあって、
大爆発の怒りを思い出したのですが

それは置いておいて。

私を嫌う男のイメージ

いつ頃からかは、
よく覚えていないのですが、
いつからか、

そんな大人しい私を
冷たく蔑んでいる
「男」の存在
私の中に、
感じるようになっていました。

この感じ、
うまく伝わるかは
分からないのですが。

とにかく、
「私を蔑み、嫌っている男」
が、私の中にいて

それはつまり、
妙に大人しくしている
「女」の私を
嫌っている私が、
私の中にいて

その視線を(内側で)
感じるたびに、
全身がキーンと凍るような
恐怖ともつかない
感覚に、襲われていました。

人に嫌われた時に感じる
凍るような痛みが
自分自身の中で生産されて
凍えるというような感じ。

これ、伝わるかな。

ひとつになって消えていった

そして、実のところ
それが解消された
きっかけも覚えていないのです。

ただ、その時の
イメージだけを
よく覚えています。

ずっと冷たく見下すばかりだった
私の中の「男」が
私の中の「女」と
向き合って

ぎゅっと抱きしめ合って
口づけをしながら
ひとつになって

やがて消えて行った

というイメージ。

この頃の自分の状態を
覚えているのは、
この男女のイメージが
あまりにも
鮮烈だったせいです。

これが無ければ、
私は、こんな風に
自分に嫌われていた事など
忘れてしまっていた
かもしれません。

それまで、
私を冷たく毛嫌いしていた
私の中の男性が
この日を境に、
本当に消えてしまいました。

それまでの
突き刺すような冷たさと
痛みが
本当に消えてしまった。

それから、
別の種類の辛さに
苦しめられるようには
なっても

この頃の、
自分を冷徹に嫌っている
自分を感じる事は、
それ以降ありませんでした。

そして、この体験があるから
クリシュナとラーダーという
恋人たちのイメージに
私はとても惹かれ
大切にしています。

牛飼い女たちとの恋の遊戯と、魅惑のラーダー〜クリシュナ神②

自分の中に
男性と女性という
分離された二極があって
そのふたりがひとつになり
統合する、というイメージ

インドの密教的な考えだと
割とあるように思いますが
自分自身のこうした体験から
リアリティがあり

また、実際に「効果的」な
イメージであるように
私には思われます。

**

それから、
「ナメられないように、
主張する」
から、

「相手の身になって考えつつ
自分を犠牲にしない」
を体得するまで
まだ数年の月日を要しましたが

今も続く、
内的な旅路の
これが、ひとつの出発点だった
ように思います。

イライラが消えない〜怒りが消失した日

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