3月22日、歌舞いのソロ公演を行います。

蜜のクリシュナ神と火花のカーリー女神:ひとつの存在の両面

ヒンドゥー教の信仰世界には
様々な神々がありますが

その中で、甘いマスクの青いクリシュナ神
恐ろしい形相の赤い(あるいは黒い)カーリー女神
多くの信徒を持つ、特に重要な神々に含まれます。

私の学ぶバウルの伝統では、
このふたりの神は
別でありながらも ひとつでもある
捉えられています。

全く性質が異なり
あるいは全く違うもののように見える
この二柱の神が
どのようにベンガル地方で溶け合っているのか
少し書いてみたいと思います。

クリシュナ神とカーリー女神

母なるあなた
私の心の蓮華の座に
どうか一度いらして、
私の全てを照らしてください

この世をあまねく満たすあなたの姿を
どうか一度、私の瞳に写させてください

あなたは腹を満たす者、
墓場の黒い女神、
カイラース山のウマー(パールワティー)、
ヴァイクンタ界のラマー(ラクシュミー)。
ブラフマン、シヴァ、ヴィシュヌ(三大神)の姿を取り
創造、維持と破壊を行う者

あなたは男なのか女なのか、
私には何も分からない。
あなたがその本質を
見せて下さるなら
理解する事ができるでしょうか。
あなたは半身がクリシュナ、半身がカーリーの姿
ヴリンダーヴァナに現れた

(抜粋訳)

〜作者不詳

訳責:パロミタ

クリシュナ神はいわゆるプレイボーイ
あらゆる人を魅了し、
幼少時は老若男女の人気者、
青年となってからは牛飼い女たちと恋の遊戯を繰り広げ、
やがてマハーバーラタ叙事詩の世界で王として活躍します。

牛飼い女たちとの恋の遊戯と、魅惑のラーダー〜クリシュナ神②

バターの好きないたずらっ子〜クリシュナ神1

一方、カーリーは怒り狂える女神
しゃれこうべの首飾りに、
人の手を吊り下げた腰みのをまとい
目を見開き、舌をベロンと出しながら
夫であるシヴァ神の死体の上で踊ります。

シヴァ神:最初のヨーギー、女神の夫

多くの場合、山の娘パールワティー女神や
獅子を従える戦う女神ドゥルガーの
別の姿であると捉えられています。

女神の信徒にとって、
女神は大部分において母であり、
また娘であり、
全ての中にあまねく存在する
ひれ伏すべき対象です。

興味深い事に、クリシュナもカーリーも
言葉の意味としては、
「闇」「黒い」などの意味を持っています。

ベンガルの女神信仰と仏教

私は以前南インドの女神について書きましたが、
女神信仰と言えば、どちらかと言えば
ベンガルなど東インド周辺の文脈の方が
世界的には知られているように思います。

南インドの祟る女神〜テイヤムとポンガーラ

南インドの女神も凄まじいですが、
北インド・東インドの女神の形相は
生々しく強烈でありながら
どこかあっけらかんとしています。

また、南インドの女神の強烈さは
ある程度ツウでディープな人でないと
遭遇しないかもしれませんが、
インドに来て更にコルカタ(カルカッタ)あたりまで
いらっしゃるような方が、
まず最初に遭遇するのが
強烈な女神の存在感、
という場合も多いのかもしれません。

特にコルカタ発の女神信仰は、
19世紀の聖者ラーマクリシュナの影響力
広く知られています。

(それまでは、女神信仰はどちらかというと秘儀、
密教的な存在であったとも言います。
この新たな広がりは、英領植民地からの脱却をめざし
母なるインドの大地を女神と同一視する運動とも
密接な関わりがあったかもしれません。)

コルカタにあるカーリーガートと、
同じくベンガル地方にあるターラーピートは、
細切れにされたいにしえの女神の
身体のかけらが落ちた場所とされていて
女神信仰者にとってそれぞれ重要な聖地です。

ターラーピートのターラー女神は
墓場の女神であり
夜中に墓場を歩き回り
そこに住まう死者や行者を踏みつけて祝福を賜う
タントラ(密教)の女神です。

チベット仏教のターラー菩薩と
ベンガルのターラー女神
繋がってはいるようですが
それぞれ独自の形で発展・信仰されているので
その繋がりをどう捉えるべきものか
私はあまり分かっていません。

インドでは一度滅びたと言われる仏教ですが、
特にベンガル地方では細々と生き延びてきました。

2世紀、マウリヤ朝の有名なアショーカ王に始まり
パーラ朝など仏教王朝もいくつかあり
ベンガル地方の仏道者たちは
チベットなどとも強い繋がりを持っていました。

アジアで初めてノーベル文学賞を受賞した詩聖タゴールも、
仏教に非常な関心を寄せ、研究していたようです。

とはいえ、
ベンガル地方の女神信仰と
仏教の関係について調べようとしても
中々情報が出てこないのですが

おそらく旅(放浪)の行者同士の交流はありつつ
少しずつ影響を与え合いながら
併存していたのではないかと思います。

チャイタニャ大師のクリシュナ信仰運動

いわゆる「ハレ・クリシュナ」運動の
チャイタニャが登場したのは15世紀の事。

チャイタニャが提唱し、実践した事は
ごくごく大雑把に簡単に言えば
人は知識や、儀式や、あるいは生まれに関係なく
狂ってしまう程に純粋な本当の信仰心と
聖名(ハレ・クリシュナ)の称名で
涅槃(解脱)に到達できる、という事です。

ハレ・クリシュナの聖名が、
全てのヴェーダやウパニシャッドなどの
聖典群に匹敵すると打ち立てたのでした。

チャイタニャ大師は彼自身が
クリシュナの生まれ変わりだと考えられ
恋人ラーダーのクリシュナへの献身を自ら体験し
その身をもって信仰の姿を見せるために
青いクリシュナがラーダーの肌の白さを伴って
生まれてきたのだと言われます。

クリシュナ信仰自体は
チャイタニャ以前からありましたが、
チャイタニャ以降のクリシュナ信仰、
あるいはチャイタニャ信仰は
より広く民衆に広まったようです。

元々仏教の影響の強い土地柄に
クリシュナ信仰は徐々に浸透していき
所々にその香りを残しながらも
仏教に成り代わっていきました。

チャイタニャ大師をはじめ
この地方のクリシュナ信仰が大事にする
「甘やかさ」という感覚は
女神信仰などの古い神への信仰を
包み込むように広がる力があった…
のかもしれません。

歴史的な経緯はよく分かりませんが
結果としてベンガル地方には、
「半身クリシュナ、半身カーリー女神」
という、とても美しいイメージが
誕生する事になりました。

夫婦で男女一体の神になるという事は
シヴァ神とパールワティー女神を始めとして
珍しくはないかもしれませんが
クリシュナとカーリーのように、
元々交わりの無いはずの神々が一体「でもある」
と認識される事は、稀な事と言ってよいかと思います。

クリシュナと女神

夫のある身であるラーダーが
ある夜クリシュナに会うために
家を抜け出しましたが

いぶかしんだ義姉たちが
後を付けてきている事に
ラーダーは途中で気がつきました。

森で待つクリシュナは
「心配ない。あなたはただ私に礼拝をしなさい」
とラーダーに言いました。

すると、クリシュナの髪は荒れ狂うように伸び
舌は伸び切り
花の首飾りは髑髏に変わり
黄色の腰布は人の腕の腰巻に変わり

追いついた義姉たちの見たものは
カーリー・プージャー(カーリー女神の祈祷)
を行うラーダーの姿だったのです。

(パロミタの記憶による再話)

それは、歴史的には
クリシュナ信仰の奸計と言えなくもないかもしれず
男性主権的な価値観が
女神信仰をうまく取り込んでしまった
という見方もできるのかと思いますが

逆の見方をすれば、
それでもこれだけ強く
女神の存在が人々の中から消える事なく
むしろ輝き続けたという事です。

そして、クリシュナでもある女神を、
あるいは女神でもあるクリシュナを
人々は今に至るまで愛してきました。

そして、少なくともバウルの伝統の末端に連なるものとして言える事は
たとえばクリシュナが最上で女神が副次的だとか
逆に女神が最上でクリシュナが副次的だとか
少なくともバウルにとっては、
そういう序列的な上下はありません。
(そういう上下を付ける教典や宗派などもあります)

女神は苛烈さと慈悲深さの両面を持つ存在として
クリシュナは甘やかさを持ちながらも
一筋縄ではいかないツレない存在として

それぞれがそのままに、愛されています。

ここに更にイスラーム、特に神秘主義との関わりも
あったりするのですが、
これについてはもうちょっと勉強して、
また別の機会に書ければと思います。

参考:(Retrieved 20th February 2020)
https://www.everyculture.com/South-Asia/Bengali-Vaishnava.html
https://tsunagaru-india.com/knowledge/一九五〇年代後半のベンガル仏教(追想)/

これは私の描いたイメージで、普通はこういった描き方はされません。

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