🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

牛飼い女たちとの恋の遊戯と、魅惑のラーダー〜クリシュナ神②

クリシュナと言えばプレイボーイ。
まれ育ったヴリンダーヴァナで
牛飼い女たち(ゴーピー)と
恋の遊戯を繰り広げました。

笛(バーシー、バンスーリー)を
手にするクリシュナ、
その魅惑の笛の音で
万人を魅了するクリシュナ。

クリシュナ神の異名
ゴーパーラ、ゴーヴィンダは
共に牛飼いを意味します。

他にも、
シャーマ(闇色)
シャーマ・スンダラ(美しい闇色のお方)
などの異名があり
元々「クリシュナ」も暗闇の意味があります。
「カーラ」も同じです。

雨をもたらす黒い雨雲も
クリシュナのメタファーとして使われます。
この時、雨は愛そのものです。

動画は、オリッシー確立の立役者
グル・ケルチャラン・モハパトラの
「クル・ヤドゥナンダナ」
下で紹介する「ギータ・ゴーヴィンダ」の一節です。

牛飼い女たちとの恋の遊戯

クリシュナの笛の音を聴くと
牛飼い女たちは
家事も家族も全て放り出し
フラフラと
音のする方へ
ヴリンダーヴァナの森へ
彷徨って行ってしまいます。

そしてやって来た女たちに
クリシュナは我が身を
何十人にも分身し
女たちはそれぞれ
「私の元にクリシュナが来てくれた!」
と歓びに陶酔して踊ります。

しかし「クリシュナが、私の元だけに来てくれた」
と鼻が高くなったその瞬間
クリシュナは姿を消してしまうのです。

そして牛飼い女が
元の献身を、
純粋な愛情を思い出すと
再び現れ、共に踊ります。

この動画は、マニプリ・ダンスの
ラース・リーラー(クリシュナの愛の遊戯)。
一人だけ衣装の違う女性が、
以下で説明するラーダーです。

理想の恋人ラーダー

「ギータ・ゴーヴィンダ」という
12
世紀頃の作品と言われる
ジャヤデーヴァによる叙情詩があります。

この詩では、
女たちと遊びふけるクリシュナと
嫉妬心に苦しみ
女友達に相談をする
牛飼い女ラーダー

一方、ラーダーに
つれなくされていると
思い悩み、
彼女への執着に戸惑う
クリシュナ。

クリシュナとラーダーは
理想の恋人同士とされ、
この詩作品は
現在も数多くのインド舞踊の
モチーフになっています。

伊藤武先生の説では
「ギータ・ゴーヴィンダ」は
仏教徒であったジャヤデーヴァによる
ヴィシュヌ派への復讐であり
それまでのヴィシュヌ派では
ありえないほどに
官能的な描写があるのに
あまりの詩的な美しさゆえに
すっかりヴィシュヌ派に
受け入れさせてしまった
のだそうです。

ともあれ、ラーダーは
クリシュナへの
そのあまりにも純粋な愛情
献身ゆえに
クリシュナにとっても魅惑[ワンダー]であり

全知全能のクリシュナが
唯一、知りたいと思うのは
ラーダーの、
クリシュナへの愛の歓び
だったとも言われます。

この愛のあまりの純粋さゆえに
数多の牛飼い女や
のちの妻ルクミニーとも
比べる事のできない
存在として、
クリシュナの最高の恋人として
崇められているのです。

「ハレ・クリシュナ」運動の
元祖チャイタニャは
この、クリシュナへの
ラーダーの愛を自ら体験するために
クリシュナ自身が
ラーダーの白い肌の色で
転生した姿だ、とも言います。

ハレ・クリシュナ称名キールタン。

クリシュナとカーリー女神

実はラーダーは人妻なので
クリシュナの許へは
人目を忍んで
赴きます。

ベンガルの民話では
ある夜、忍び出るラーダーを
義姉たちが
こっそりと追いかけました。

これを知ったクリシュナは、
ラーダーに、
ひざまずいて拝むようにと
伝えました。

義姉たちがたどり着いた時、
クリシュナの舌は伸び切り
手は何本にも増え
髪は伸びて乱れ
恐ろしいカーリー女神の姿に
なっていました

これで、ラーダーは
人目を忍んで
カーリー女神を拝みに
来ているという事に
なったのです。

この場面は、ベンガルの
パタチトラ(絵解き)を始めとして
様々な絵に描かれています。

これは私が描いたもので、伝統的にはこういった描き方はされません。

私の学ぶ
バウルのうたでも、
クリシュナとカーリーは
神の二つの側面として
並んで出て来ます

クリシュナ神という
言うなればただの女好き
にも見える存在は
ヒンドゥーやインドの
枠の外から見ると、
非常に不可解であり、
現代には危険とすら
見えるかもしれません。

一方、行者にとっては、
一心にクリシュナを求める
ラーダーは
理想の行者の姿であり
その姿勢と取り組みによってしか
開拓できないものが
ある事もまた、確かです。

私が学ぶバウルのうたも
クリシュナを求める
ラーダーの愛と嘆きが
修行者自身の叫びとして
うたわれるものや
ラーダーに語りかける
女友達のうたがとても多いです。

公演を行う場合は、
ラーダーとクリシュナが共にある
「ミロン」「ジュゴル」という
うたを最後に歌うのですが
この時、ラーダーとクリシュナは
引き裂かれた自己と、再びの統合の
象徴でもあります。

この不可解さに引っかかりつつも
気になるという方は、
よければそのうち公演に
いらして下さい。

バターの好きないたずらっ子〜クリシュナ神1

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