10月23日(日)生演奏で民俗舞踊「ラージャスターンとブルガリア」

インドと言霊と詩人 『ことばと呪力—ヴェーダ神話を解く』の紹介

言霊というのは昔から関心がある話で、
でも調べてみても大した情報が出てこなかったり、
様々な言葉や身体の追求をする中で
段々と実感として分かってくる、という感じで

でも分かれば分かるほど、
言葉にしてしまうことの浅はかさや
薄っぺらさも分かってくるので
言語化できなくなっていく、というものだな、
と思ってきました。

言霊=イコール=日本、と思われる方も
いらっしゃるかもしれませんが、
少なくとも私は、人類に普遍的なものだと思っております。

どこから目に入ったのか、
ことばと呪力—ヴェーダ神話を解く』(川村悠人)

を入手しまして、感動しました。

私はかつて一瞬だけ、大学院に在籍していて
そのときテーマにしていたのは

「叙事詩サンスクリット語における
神々へのある種の言葉は敬語表現とされるけど
実際には神々を従わせるような性質のものじゃないか」

という、三人称命令形についての
意味論やテキスト言語学的なもので

でもこの本には、その
そもそもの背景となる思想や文化、
世界認識が書かれていて、

私、研究続けなくて良かった!
と、どこかで残っていた未練が完全に抜けました。

あのまま続けていけば、
この本で書かれている内容まで
踏み込んでいく必要があったのかと思いますが
(当時は全然どうしたらいいか分からなかったけど)

これだけの本を書かれる方が
日本でいらっしゃるんだから、
私が続けていく必要は無かったんだなと
心底納得し……
しかもこの方、私と同い年なんですよね。
勝手にとても親近感。

この本で扱われているのは、
古代のヴェーダの時代における
詩人のあり方、詩人の持っていた、
そして期待された力。

「ことばの力を発揮する呪文」
と著者は書かれていますが、
これをテーマに、丁寧に
ヴェーダ神話を紐解いていきます。

『ことばと呪力』目次、引用
【目次】
序章 ことばの呪術と古代インドの言語文化
1:呪術について 2:高められたことば 3:古代インドの言語文化
第1章 ヴェーダ神話集その一――内容通りの事柄を引き起こすことば
1:導入 2:部族長ヴァーマデーヴァの火の呪文
3:首席祭官ヴリシャ・ジャーナの悪魔祓いの歌
4:首席祭官ウシャナス・カーヴィヤと戦神インドラの二重奏
第2章 ヴェーダ神話集その二――打ちのめし破壊することば
1:導入 2:戦神インドラの魔女殺しの歌
3:戦神インドラの歌と呪術師たちの合唱
4:魔神アスラたちの失言
第3章 ヴェーダ神話集その三――運命を引きよせる名前
1:導入 2:火神アグニの名づけ要求
3:造形神トヴァシュトリの発音間違い
4:国王ダルバの改名儀礼
終章 ことばと共に生きるということ

聖なる詩句を「見て」唱えた詩人たちを
具体的な説話を通して紹介していくのですが

詩人を意味する「カヴィ」に
元々「見る者」の意味があったとは知りませんでした。

インドでは大体すべてのものの起源が
ヴェーダに帰されるし、
音楽もやっぱりヴェーダ(特にサーマヴェーダ)
に起源が求められるのですが

この本を読んでいて、
その根拠となる感覚のようなものが
やっと多少なりとも分かったような気がします。

一般書籍としても読みやすいように、
様々な角度から、そして入りやすい構成で、
かなり読みよく書かれていると思います。
それにも感動しました。

私は学問ではない文脈で
インド(を含む)伝統の末端に立っているので
私の読み方は、必ずしも
著者の意図に適うものではないかもしれませんが

学問の領域にある程度親しんだ上で
行の方に入ってしまったという点で
私はひねくれた立ち位置にいるのですが
そういう実践者の視点から見ても
信頼できる書籍だと思います、
とか書くのは、もしかしたらご迷惑になってしまうのでしょうか。

(あまり変な利用のされ方を
されてほしくないな、と思うので
こういう書き方になってしまう)

同著者の『神の名の語源学』も
いま読んでいますが、

この本の序章でも書かれているように、

ある単語の歴史的な変遷を辿る
いま一般的な言語学で言うところの
通時的な語源学と

俗説と言われる、
主に響きから意味を結びつけて説明される
通俗的な語源学

があり、今は前者が重んじられ
後者は切り捨てられることもありますが、
(逆も往々にしてありますが)
人類史的には、後者の方が
長いこと人間の言語理解の主流でした。

冒頭で言霊という語を出しましたが
言葉の力や性質を考えるときに、
私自身は、この両者を見る必要がある
というアプローチを取ります。

その上で、身体的な存在の根拠、
その言葉を発する根拠を
常に調えていないと
言葉の蘊蓄だけ知っていても
それはただの情報で

しかし一方、その言葉の深度に
誠実に向き合い、血肉とするのでなければ
やっぱりただの音でしかない。

それはおそらく、ヴェーダの語源学的な、
「意味を知らなければ
その言葉の霊力は発揮されない」
という考え方に通じるものなのでしょう。

音だけでも、情報だけでも、
それぞれに力や価値はあります。

それでも私が求めるものは
それだけでは不十分で
今まで考えもしなかったけれども、
それがヴェーダの世界に明示されていた
というのは、驚きであると同時に

今まで何となく、(もう正直に言えば)
バラモン的だなあとか
原理主義的なイメージがあって
どうしても敬遠しがちだったヴェーダに
これはやっぱりちゃんと取り組もうと
思ったのでした。
(とりあえず大学OBOGの
スタディグループに参加しよう)

響く方には響く本だと思いますので、
オススメします。

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