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私の歌声の変遷:インド的地声の発声を求めながら

はじめの状態

インド声楽にまじめに取り組み出した
本当に始めの頃は、
発声への意識などほとんどありませんでした。
まず、音程が取れなさすぎて。
どれだけ取れていないかの自覚すら、
まだまだ曖昧な状態でしたが。

それでも、何だか声を褒められるような時もあるし
初学者の利点でも恥のかき始めでもありますが、
それほど悪いとは思っていませんでした。

今にして思えば、私のように
あまり「耳」の良くない方が、感性で受け止めて
称えて下さっていたのだと思います。
とても感性が鋭く、瑞々しい方ばかりだったから
本当にありがたい事ではあるのですが。

耳が開拓されていくという事

耳が少しずつ開発されてくると
「あ、私、これ音程取れてないんじゃないの」
という事が、分かってきます。

先生に何度も違うと言われて…という事も
無くは無いのですが、
結局のところ、自分で自覚ができない内は
その「出来ていなさ」が
さほど自意識に響いて来ないのです。

それでも取り組み続けていれば、
自然と耳がそれなりに開拓されてきて、
「あれ…これは…?」
と、自分でも自覚できるようになってきます。

とはいえ、それも全てプロセスです。
聴こえると思う範囲内で上達する→良い気になり、
更にまた耳の精度が少し上がると、
「全然まだまだ下手じゃん」と落ち込み、
またそれなりに上達して来て慢心し出すと、
耳が一歩先にいき…という繰り返し。

(師匠の舞い歌い)

最初の課題〜声の掠れ

とはいえ。
私がインドに住み始めた頃
自覚されるようになってきた問題として
「朝、歌声がかすれる」というものがありました。

「朝」と書きましたが、
これはたぶん象徴的なものでもあって
私の声の問題の上澄み部分というか
耳の良い人ならばいつでも聴き取れた、
当時の私の声の問題が
朝は分かりやすく「掠れる」という形を
取っていたのだと思います。

原因をごく大雑把に言うならば、
「ハラに力が入りすぎていた」
のだと認識しています。

力が入る、というのは、余計な緊張がある、
というような意味合いです。
キュイ〜〜とテンション(ストレス)がかかっている状態。

この状態への対処は、
何か特効薬的なやり方があるというよりは、
まず何よりも自覚して認識する事、
その上で身体に取り組み続ける事しか無い…と
思っています。

自覚さえできれば、後はだいたい
時間が解決してくれます。
(ただし、常に自覚している必要はあります)

(一時期南インド古典音楽を教わっていたミーラさん…旦那さまのランモーハンさんと共に、随分お世話になりました。お二人ともカタカリ音楽もされる才能溢れた方です)

余分なストレスへの取り組み

余計な力が入っている状態
への取り組みは、
少なくとも数年間は
私の主な課題でした。

それは、恐れとの闘いでもありました。
ただ純粋に身体にだけ取り組んでいって
全く心の部分と関わらないという事は
たぶん、無理だというのが私の理解です。

それは、たとえば声を出す事への恐れ…
とかでは私の場合は無くて、

ただ存在している事への、
外界への恐れでした。

それもやはり、まずは自覚する事から。

こうした事にも取り組みながら
身体に取り組み続けているうちに
声の掠れは、起こらなくなって来ました。

ハラの中でグチャグチャにキチキチに
絡まっていた筋肉のような神経のような何かは
いつのまにか随分とほどけていました。

裏声から地声へ

「私の声」とは何か

その次に来たのは、声そのものへの課題。
私は歌おうとすると、自然と
裏声の系統の声になりました。

日本の方で、こういう方は多いようだという
印象を受けています。

学校での合唱をはじめとした
西洋音楽の影響かと思っていたのですが
最近はもうちょっと色々な要素がありそうだと
考え直していますが、これはまだリサーチ不足なので別の機会に。

インドでは、地声で歌うという事を言われます。
古典音楽、民俗系音楽関わらず。

とはいえ、「地声」と言われているものも
普段の、話している声と全く同じ声かと言うと
やっぱり違う訳です。

それぞれに「これが歌う声」という
ある種の刷り込みがあって
それが受肉というか、生まれ育つ中で
うまく身体に染み込んでいると
そういうものとして出て来る…という
そういうものだと思います。

だから、インドの中でも、晒されていた環境によって
それぞれ、出てくる声も変わってきます。
(本人の声質はあるとしても)

(伝説的な北インド古典歌手・DVパルスカルの歌声)

私はバウルを学んでいて、
非常にうまく歌う生徒さんでも、
「バウルのうたは古典音楽の発声とは違う」
「本当にバウルの道をいきたいと思うなら、
歌を歌うのではなくて、
行者としてうたうという事を体得しなければいけない」
と言われている場面を見てきました。

当然ながら、何を目指すかによって
獲得したい、獲得していく声も変わってきます。

私は、何よりもまず「私の声」を
見つけたいと願ってきました。
それが何かと言われると言葉に詰まってしまうけど
「私の本当の声」があって
少なくともこの裏声めいた声は
どうも違うようだ、と感じるようになっていました。

地声の開拓

地声の開拓というものを始めた時、
私自身は非常に、居心地が悪かったです。

しかし、どうも耳や感覚が良い方の反応を見ていると
地声の時の方が、「良い」らしい事を
認めざるを得ませんでした。

最初は地声で歌おうとすると、
非常に重苦しい感じになって
それでもとにかく取り組んでみるしかないと
しばらく続けていたのですが

その内に、地声と裏声を混ぜたような
状態を見つけて、居心地よくなり
そちらを開拓していくようになりました。

これは私も気持ちが良かったし、
評判も悪くなかったように思います。

(大体その頃の動画)

しかし、この声は
私のコンディションによって、だいぶ
パフォーマンスにバラつきがありました。

特に師匠の前など、緊張する場面で
地声と裏声が一気に引き離されていくような
状態になりました。

それでもどうにか落とし所を見つけたのは
「余計な力を入れない」にフォーカスした
うたい方でしたが

今度は、それでは声量が足りない、という事が起きました。

だってバウルだもの。
魂の底から叫ぶように
全力でうたえないといけない訳です。

余計な力を入れないにフォーカスしてうたっていた時。

地声と裏声の壁が取り払われた時

そんな中、師匠に
「音程、発音、舞踊、全て良し。後は発声だけ」
と突然の褒め言葉をいただき
(ポカーンとしてしまいあまり反応できなかった)
(ちなみに、私が師匠に「ようやく歌えるようになった。
今までは歌えてすらいなかった」と言われたのは2016年の事です)

発声の集中訓練をある晩受けました。

そこで「あ、こういう事…?」
と何かを掴んだ気がした私は
そこに集中して取り組み続けました。

それは、敢えて言うならば
仙骨?からガーッと直接上まで
声を出していくような感じ

それをやっていくと、
少しでも裏声が入った途端、
気がヒュッと上に上がってしまって、
ろくに舞えなくなってしまうような状態になりました。
地声でないと成立しないのです。

という訳で何とか地声を拡げていこうと
取り組みを続けていたのですが

ある時、ハッと(何で思いついたかは覚えていない)
身体の外側、仙骨のもっと後ろに中心を置いて
声を出してみると、
地声と裏声の壁が取り払われて
気も変に浮かび上がる事も無く
ただ普通に高い声を出す事ができました。

身体を超えたところにまだある身体

その時思い出したのは、武術家の光岡英稔先生が
「自分の身体が、この肉体だけという感じがしない」
というような事を以前話していらした事で

今もそういう事を言われるかは分かりませんが
私はこの話がすごく印象に残っていて、
折に触れて思い出していました。

私の師匠パルバティ・バウルも
「ダ・ヴィンチの絵を思い出してご覧。
この身体は、『この部分』だけじゃないんだよ」
と言われた事がありました。

ソース:ウィキ

このところ私は、音程を取るのに
周囲の空間や音に入っていく、という事を
もっとしなければと、
そういった事に取り組んでいたのですが

外側に中心を置く事は(この表現の良し悪しは置いておいて)、
結果的に身体の認知を広げるというか
新たな身体層が立ち上がって来るような
とにかく、この前後でずいぶん世界観が変わったなという
感じがしています。

それで、私の歌声は今、そういうところにあります。

ただ、「歌える」人が皆
こういった身体観を持っているかというと
どうもそういう訳ではないようなのですが

私の場合は、こうした探究なしに
自由な歌声に近づいていく事ができません。

それは多分、
随分恥もかきながらの歩みになってしまうのですが
幸運な事なのではないかと、今は思います。

 

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