3月22日、歌舞いのソロ公演を行います。

南インド古典、カルナーティック音楽の歴史

ここでは南インドの、古典音楽の歴史の話をしています。
どうしてもテクニカルな話が多くなってしまうので、
正直、このマニアックなブログの中でもかなり読みづらい記事だと思います。
既にちょこっとかじった事がある、という方以外のお役には立てないかもしれません。
すみません。

インドで「クラシック音楽」と言った時に一般的に意味するのは、
「インド古典音楽」の事です。

そして南インドでは、これが「南インド古典音楽」
すなわちカルナータカ(もしくはカルナーティック)音楽になります。
一般的に、北のヒンドゥスターニー音楽との対比で語られ、
ムガル帝国によるペルシャ・イスラムの影響を受け入れたヒンドゥスターニに対し、
純然たるインド音楽のスタイルを保っている、と言われます
(もちろん、実際にはそんな単純な話ではありません)。

主な違いの一つは、カルナーティック音楽では
即興に重きが置かれながらも、曲作品が重要な位置を占めています。

起源について、 聖典ヴェーダや、タミル古代の詩や音楽が挙げられることが多いです。
よく言われるのが、賛歌をまとめたサーマ・ヴェーダの詠唱から発展したという事です。
ここでは、その説を紹介するに留めます。

一つ明確にしておかなければならないのは、
北インド古典に対してこちらは純粋なインドの伝統音楽である、
というような言い方がされることもありますが、
実際にはカルナーティック音楽は近世になり様々な発展を遂げており、
けして昔の形式がそのまま保存されているわけではない、という事です。

この点では、古代から連綿と受け継がれるヴェーダ詠唱とは完全に異なり、
現在のスタイルが確立されたのは、19世紀前半と言って差し支えないでしょう。
カルナータカ音楽と呼ばれるのは、
ヴィジャヤナガラ(直訳「勝利の都」)王国の、
当時からカルナータカと呼ばれていた地域に由来するもので、
13世紀以来の呼称であるとの事です。
参照: “Fountainhead of Carnatic Music” by Dwaranakath; Retrieved 29th July 2013

カルナータカ音楽の父と言われるのは、16世紀のプランダラ・ダーサ。
今日の生徒が一番初めに習うラーガはマヤマーラワ・ガオラですが、
このラーガを基礎練習用のラーガとして制定し、
学習方法の体系化をしたのはプランダラ・ダーサです。

また、生徒が最初に習うギータム(短い、シンプルな歌)、
マラハリ・ラーガのガネーシャの歌もプランダラ・ダーサの作品です。
(下の映像では、50秒頃から始まります)。

少し、このプランダラ・ダーサが制定した練習体系の話をします
(面倒な方は適当に飛ばして下さいね)。
サラリ・ヴァリシャやジャンタ・ヴァリシャなどの基礎練習は、
ピアノで言うハノンのようなもので、
基本的には、音階の上がり下がりのバリエーションです。

初めはマヤマーラワガオラ・ラーガでのみ練習しますが、
七音から構成されるメーラ・カルタ(全音)ラーガであればどのラーガでも歌え、
それぞれのラーガを知るよい材料にもなります。
これらを、4段階の速さ、更には
ア・カーラ(阿音)、イ・カーラ、ウ・カーラ……と、
全ての母音で練習していくことによって、
生徒は歌うのに基礎となる技術を磨いていきます。

更にアランガーラ(直訳、「装飾」)に取り組むことで、
拍(リズム)の体系であるターラムをも会得します。

プランダラ・ダーサはまた、
宗教的でない内容を歌に取り入れた最初の人でもあります。
市井のラーガも取り入れました。
それから、バヴァ(感情)・ラーガ・ラヤ(テンポ)を初めて統合的に扱った……
と先程の記事には書かれていますが、
正直、この意味は私のレベルでは掴みかねるので説明ができません。

ウィキによると、北インド音楽で有名なかのターンセンの
師の一人はプランダラ・ダーサの弟子とも言われており(Gavai 1956より引用)、
北インド音楽においても、彼の作曲した歌は今も歌われているとの事です。

プランダラ・ダーサが亡くなって程なくして、
ヴィジャラナガラ王国も滅亡し、
音楽家たちはマイソールやタンジャウールに向かいました(前掲記事による)。

今カルナータカ音楽を語る上で欠かすことができない、
三楽聖が出現するのは、そのタンジャウールの地での事です。

非常に有名な三楽聖の図。出典が見つからないので、おそらく著作権切れのはず…。

三楽聖、左から、ムットゥスワーミ・ディクシタル、ティヤーガラージャ、シャーマ・シャーストリ、です。
南インド古典音楽は、ティルヴァルールに於ける
この三人の出現を以って高みに至り、
今日カルナーティック音楽として知られているものは
彼らによって成立したと言っても過言ではありません。

一番人気の有名人はティヤーガラージャ(1767 – 1847)です。
ラーマ神の信徒であり、2万以上の曲を作詞作曲したとされています。
現代に伝わっているのは700曲ほど。
当時からその才能を認められながらも、
本人はあくまで神への信仰の表現、を歌に見出していました。

ほとんどの作曲はテルグ語です。
現在、ティルヴァイユールでは毎年一週間に渡って
ティヤーガラージャの曲が様々な歌い手に歌われる
「ティヤーガラージャ・アーラーダナ」が行われています。

恐らく、一番ポップス的なテイストを持っているのが
ティヤーガラージャなのではないでしょうか。
S・カールティック(ガタム奏者)がある時
「Tシャツにジーンズを着たティヤーガラージャを想像して……」
などとおっしゃっていたが、たしかに彼の曲は、
深い信仰心と同時に、現代的な感性も持っていたのだろうと思わせるものがあります。

「パンチャ・ラトナ」(五つの宝石)と称される五曲のうち一つ、
シュリー・ラーガムの「エンダロー マハーヌバーヴ……(世界の偉大なる人々へ……)」。


ムットゥスワーミ・ディクシタル(1775 – 1835)

インド中を旅し、西洋音楽や北のヒンドゥスターニー音楽にも
影響を受けているそうです。
各地の寺院や祭神に歌を捧げたため、彼の歌には、
特定の地名や寺院名が入ることも多くあります。

主にサンスクリット語で作歌しましたが、
ウィキによれば、ケーララの言葉・マラヤーラムの古典語ともいえる
マニ・プラヴァーラム(タミル・サンスクリットの混交語)による歌もあるそうです。
また、基本の7ターラ[拍子]全てと、
72の全てのメーラカルタ・ラーガ(七音ラーガ)で
作曲をしたことでも知られています。
個人的に、三楽聖中で一番好きなのはディクシタル。
私の場合は、初期に習う曲に彼の作品が多かったこともあります。

ヴァーターピ。ガネーシャの曲で、非常に有名。ここで歌っているのは歌の女王、M・S・スブラクシュミー。

シャーマ・シャーストリ(1762 – 1827)
現在のスワラ・ジャティという形式の創出者だと言われ、
またターラム(拍子)を扱う名手でもあったそうです。
カーマークシー女神に捧げる歌を多く作りました。

カルナーティックコンサートの楽しみ方等については、
また項を改めてご紹介できればと思います。
友人達の作った書籍「南インドカルチャー見聞録」には
その辺りの事がとても良く楽しく紹介されています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です