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「狂っている」聖人について

インド系の世界では、
「狂っている」「いかれた」
聖人、行者、という
ひとつのカテゴリーというか、
コンセプトというか、
があります。

日本でも
能の「狂ひ」「もの狂い」
北斎の「画狂老人」とか、
あるので

さほど違和感のある感覚
ではないのかなと思って
何気なく話していると、

「狂った」をネガティブに
語っていると捉えられて、
あるいは違う種類の
狂いに理解されて

ありゃ〜話が通じていなかった
ということが
以前にあったので、
少し書いてみます。

とはいえ、個人的に
口頭でなら話せても
書けないことも多いので
探り探り、書いてみます。

分かりやすいイメージは、
よく知られている
「サドゥー」のイメージ
かもしれません。
(余談ですが、サードゥ、の方が
いいかな、と思います)

通常の感覚で言ったら
ちょっと理解のできないような
極端な格好や苦行をするという
これも、「狂い」の一端
と言う事ができるかと思います。

たとえばインドの聖人としては
比較的有名かと思うのですが
聖ラーマクリシュナも
晩年にはそれこそ
糞尿を垂れ流しても
それでも女神だけを見た

その赤子そのものの純粋さに、
周囲は明らかな聖性を見た

そして本人は、
外からどう見られるかなど
頓着しなかった

これも、「狂った」聖人
に連なると言えるでしょう。

何に狂うかと言えば、
バウル的な表現で言えば、
神の愛に狂う、
という事になると思います。

ラーダーがクリシュナの愛に狂う、
という表現は、私はこれまで
何度もしてきたと思います。

もっと言えば、
それは、人の世の常識には
囚われない、という事です。
人の世には
様々なしがらみや慣習があり
必ずしも心のままには
生きることができないことも
あるかもしれませんが

「狂った聖者」には
そうした鎖はありません。

仮に、鎖にはまってみたとしても
自在に外すことができます。

またそれは、
世の中と、真理に触れた行者、
真に狂っているのは
一体どちらなのか?

……という問いにも
繋がりますが

これもこの言葉だけを
乱用されてしまうと
大変な事になるので

ああ、難しいですね。

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