🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

性別のはなし

大いなる魂のうた
(パルバティ・バウル著、パロミタ訳)
にはこう書かれています。

マハージャネール・パダ(バウルのうた)によれば、純粋な男も純粋な女も存在しません。人間の身体は男女両方の要素から産まれ、どの女の中にも男がいるし、どの男の中にも女がいます。人は外見だけを見て男だ女だと呼ぶけれども、どちらもただの人間なのです。

バウルは男女平等の原則を尊びます。よく修行を積んだバウルは、女性が男性よりも高貴な存在で、男は女の足下にひれ伏して初めて悟りを得ることができると語ります。あるマハージャネール・パダ(バウルのうた)ではこう歌われます。
[全ての女の/魂を/身に纏い/己の性質と/習慣を/ひっくり返せ……]

(「大いなる魂のうた」P43)

一方では、本にもこの後
書かれている通り、
実際には女性行者が
修行を続けていくことには
大変な困難が伴います。

バウルの女性は
男性パートナーを支える存在
という立場で、
炊事などの家事を中心に
奉仕行を主とした修行を続ける
ことがほとんどです。
(ただし、これをただ
女性の抑圧だとか、
封建的だと考えることは、
あまりにも短絡的であり
的を外しています。)

しかし、私が見てきた中で
バウルは男性も多くは
料理などの家事に長けているし
いわゆる奉仕行を行い
配膳なども含め
(言うなれば下っぱ的な)
裏方の雑事に精を出すことを
厭わず、むしろ喜んでやる
人が非常に多いです。

これは、インド一般の社会には
さほど見られないことだと
感じています
(何事にも例外はあり、
私はその例外に接することが多いので
断言することができないのですが)。

また、ヴィーラバドラという
15世紀の聖者二ィティヤーナンダの息子には
22人の行者として大成した弟子がいましたが
そのひとりは女性で、
彼女が開いた道場は今も残っている
と聞いています。

バウルのうたには
男女を前提とした
(少なくとも表面的にはそう読める)
内容も多いですが
トランスジェンダーや同性愛者の
バウルのフォロワーもいるな
という印象です。

ある同性愛者の友人が
「実は同性愛者なんだけど…」
と質問をした時、
「同じことだ」
と言われたと言っていました。

・*・*・*・

私自身の感覚を言うと、

本質的には、根本的には
男も女もいなく
ただ人間がいるだけ
だと思っています。

ただし、私たちはどうしても
この肉の体に影響を受ける

その影響をいかに受け入れ、
そしてそこから自由であるか
が、私にとっての性別であり
ジェンダーです。

(学術的・運動的な定義には
当てはまらないかもしれませんが)

私はたとえば質問表?とかで
カテゴライズすると、
Xジェンダーという事になりそうですが
(なったことがある)

この女の体の性に
引きつけられる事が
嫌ではないというか、
割と好きなので
まあ女という事で特に問題はない、
という感じになります。

ただ、「異性」という
カテゴリは、私にとって
ひどく面倒くさいけれども
社会的に無視できないもの
でもあり
そこから自由であるには
私もまだまだ修行が足りないので

そういった区分や意識から
自由になれる立場や状況に
なりたいものだな〜と
割といつも思っています。

■書籍「大いなる魂のうた

パルバティ・バウルによる著書をパロミタが邦訳。
当時25歳だったパルバティ・バウルの
バウルへと導かれた体験をベースに
バウルについて語り、
27篇のバウルの詩の訳も収録。
行者自身によるバウルの本は貴重で、
英語で書かれたものとしては当時初めてのものだった。

最近つくづく思うのですが、
これを25歳で書けてしまうって、
やはり本当に凄いというか、
とんでもないな、と思います。

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