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インドのあいさつと食事〜最も基本的な捧げ物

 挨拶とその意味

インドの挨拶と言えば、
何を思い浮かべるでしょうか。
たぶん、「ナマステ」ですよね。

この「ナマステー」(テーは伸ばす)
の、「ナマス」の部分は
「南無阿弥陀佛」「南無妙法蓮華経」の
「南無」(ナム)と同じ…というか、
語源にあたります。

サンスクリット語の「ナマ(ハ)」は、
尊敬を表す言葉。
仏教だと「帰命」と訳されたりしますね。
また、お辞儀の意味もあります。

おそらく、相手に降っていく
というようなニュアンスが、
元々の意味なのでしょう。
実際、「ナム」という響きには
現代語で「降りる」という意味もあります。

「ナマステー」の「テー」は
「あなたに」という意味です。
これはヒンディー語で一般的な挨拶。

南インド・ケーララ州のマラヤーラム語では
「ナマスカーラム 」
「カーラム」は行為、つまり「する」
という事です。
「尊敬を表します」。

東インド・西ベンガル州のベンガル語では
「ノモシュカール」、これは
「ナマスカーラム 」の別の訛りで、
意味としては同じです。

南インド・タミル州のタミル語では
「ワナッカム」、これも
尊敬の意味が由来となっているようです。

どこまで本当かは分かりませんが
この「ワナッカム」と
手を合わせお辞儀をするのは
本来神さまに対するもので…
という議論もあるようで、
日本でも似たような話が話題に上る事がありますね。

自分より位や徳の高い人に対しては、
足下に触れて
敬意を表すと同時に
祝福を受ける事も多いです。

イスラームのコミュニティだと、
「アッサラーム・アレイクム」
「アレイクム・アッサラーム」
が使われたり、

他にも、人やコミュニティごとに
それぞれ違う挨拶が使われている場合があります。

「ご飯は食べた?」

インドでお決まりの質問は
いくつかありますが、
挨拶に次ぐ言葉としては、
「ご飯は食べた?」
が代表選手と言ってよいかと思います。

ケーララに住み始めたばかりの頃、
この「ご飯食べた?」に
一々「どのご飯…?いつ何を食べたっけ…?」
とまじめに考えていたのですが

やがて、
「食べました」か
「これから食べます」
のどちらかを答えれば良い
という事に気がつきました。

ようは、ご飯を食べているかどうかが
一つの健康というか、
ウェルビーイングの指標であって
食べていたらOK、
食べていなかったら
「ちゃんと食べなさい!」
という事なのです。

英語で言えば「How are you?」「I’m fine」
日本語で言えば「どちらまで?」「ちょっとそこまで」
「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」
に当たる言葉であるわけです。

ベンガルのある村に
3週間ほどお世話になった時、
田舎の村なので
山のようにご飯をよそわれて

食べられませんと言っても
信じてもらえず
食べきらなかったら
具合が悪いか、おいしくない
と思われてしまう…
という事で、
食べようと思えば食べられる私は
何とか食べていたのですが

2週間が経つ頃、
お腹の方が悲鳴を上げて
何も受け付けなくなりました。

その時、明日は食べるから
今日は何も食べません…と
伝えた時の、おばあちゃんの言葉

「何も食べなかったら、死んじゃうじゃないの!!!!!!」
私「死にませんから!!!!!」

こうすると笑い話ですが、
インドに限らず、
太っている事が豊かさの象徴、
美の象徴だったという地域は
多いと思います。

特に農村部は
非常に貧しい時代を経験し、
あるいは今も貧しい人々も多く
そういった社会的な記憶や体験が
都市部の富裕層においてすら
挨拶のやり取りに残っているように
思われます。

食事の重要性

いずれにしろ、
食事で歓待する事は
インドでは(これもまた
他の多くの地域でもそうであるように)
最も大事なもてなしです。

どんな突然の訪問客に対しても、です。
自分の食べる分が少なくなり、
無くなってしまったとしても
お客さんにはご飯を出す。

これもまた、私が当初
感得する事ができなかった文化でした。

もう少しだけ書くと、
たとえば比丘が
托鉢に出た時、
今では金銭もいただきますが
元々は、主に食べられるもの
でした。

これはおそらく、
仏壇や神棚へのお供え物にも
通じているものだと
思われます。

食事は、人が人にできる
最も基本的な奉仕、
捧げ物のひとつなのです。

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