🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

スムルティの妊娠出産手記⑥

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Smriti Chanchani(@dhoop.chhaon)がシェアした投稿


38周目に入ると、バースホームに移った。何か特別な儀式で始めたかったので、まわりの皆にキャンドルを持ってもらい、歌を歌った。この歌は、パールワティー・アッカ(パルバティ・バウルのこと。アッカはタミル語・カンナダ語で「お姉さん」)からベイビー・シャワーの時に贈られた、特別な歌だった。「Shei desher kotha re mon, bhule giyecho (心よ、お前はやって来たあの暗い水の世界を忘れてしまったのか)」。 長い沈黙のあと、オーギュスティンば分娩誘発のための作業に取り掛かった。それはこんな感じだった。

01. まずは子宮頸管の熟化を促進させるためのバルブ・フォーリー(水風船)から始めた。
02. それから逆子体操に入った。逆子の赤ちゃんに回ってもらうために横、前、中心、と動いて、3巡目で赤ちゃんはちょうどいい位置に入った!
03. 分娩誘発をしてくれる魔法のホルモンに活躍してもらうために、何時間も胸を搾り取るように刺激するという苦痛の時間を過ごした。
04. 運動。足を踏み鳴らし、ストレッチ、腹筋、階段の登り降り!
05. 数セットの指圧。
06. 長時間の散歩。
07. ホメオパシー。 
08. 羊膜腔を人工的に破った(人工破水)。これによって私はとてもデリケートな状態に入り、もし陣痛に至らないまま24時間経ってしまったら問答無用で病院に送られることが決まっていた。

丸一日かけてこれをしてすっかり憔悴した私のもとにメーガナーが来て、特製アロマ・ミックス・オイルで神の手のようなマッサージをしてくれた。分娩誘発をさらに助けるために、生姜やクローブといったスパイスも入っていたけれど、私も赤ちゃんも、まだ準備ができていなかったのだろう。このマッサージはただ深い眠りをもたらしてくれただけだったけど、それがもう本当にありがたかった。

この過程に、簡単なことなど何も無かった。でも私は、まるで家にいるようにくつろげる部屋にいた。近くに住む友達が朝のお茶をしに来たり、家族は新鮮なココナッツウォーター(私が世界で一番好きな物だ)や、手料理を持って来てくれたりした。バースホームのスタッフは私の様子を観察したり必要な世話をするのに出入りしたが、基本的にはよく休めるように放っておいてくれた。


翌朝、自然な分娩誘発を充分に試みたうえで、赤ちゃんが頭位にいることが分かっていたので、ミソプロストールを投与された。 鈍い痛みと痙攣が始まったのは午後1時15分のことだった。私はもう完全に痛みに支配されていたから、時間を見ていたのはラームだ。私は痛みの波に呻き声を上げ続けた。その痛みの波は、まさに海の波が大きく立ち上がって膨らみ、そして過ぎ去っていくのに似ていた……。

数時間もしないうちに、陣痛の間隔が短くなってきた。ノンストップ、休む間も無いように感じた。身体を揺らし、うめき、鼻歌を歌い、腰をマッサージしたり打ったりすると少し楽になった。弱い腰と、骨盤と尾てい骨を鋭く走る痛みで、猛烈な責め苦だった。私は伴侶に片時もマッサージの手を休めることを許さなかった。最後まで音を上げず出産に付き添ってくれたことには、きっと生涯報いることができないだろう。

寒さ、熱さ、汗、燃えるような、震え、引き伸ばされるような、放射されるような、脈動する刺激。目は閉じていて、覚えている限りではほんの数回しか、10数時間にも及んだ出産の間に、開けなかった。身体が、一滴のエネルギーも無駄には使えないということを知っていた。声は小さい声からささやき声に変わり、最小限の言葉しか口にしなかった。口にした言葉と言えばほとんど、「止めないで(腰のマッサージを)」「トイレ」「横になる」「立つ」「水」ぐらい……。

疲労は極限に達していて、いったいあとどれだけ長く耐えられるか、自信は無かった。

連載一覧はこちら

 

お知らせやブログ記事の元になるような雑感など、SNSなしに読めるといいなという方は無料メールマガジンの登録をご検討ください。

最初に、パロミタの自伝シリーズが11回に渡り配信されます。
もちろんお時間無いときはスルーしてくださいね、という前提なのでお気軽にどうぞ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA