🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

スムルティの妊娠出産手記①

スムルティはとても大切な友人で、私が今よりもずっと感情や言葉をコントロールできなかった頃から、なぜか私のことをひどく買ってくれていて、そんな私のことが好きだとずっと伝え続けてくれた人で、彼女がいなかったら私はちょっと違う人間になっていたかもしれない。今回の妊娠中にも、もし状況が許しさえしたら、出産のそのときにいてほしかった、と言ってくれていたことが、どれほど私の力になっているかはちょっと説明ができません。

この絵は彼女の結婚式で、たしかこのときほとんど2年ぶりに会ったのだと思うけど、再会の瞬間を誰かが写真に撮ってくれていて、それを元に描いたものでした。

今年のはじめに出産した彼女は、数ヶ月前にzoomで話したときにその体験を詳細に語ってくれて、そのときにもとても感銘を受けたというか、いかに妊娠出産という体験が彼女に大きな変容をもたらしたかを強く感じました。
今回彼女がそれを文章と絵にまとめてインスタグラムに上げ始めて、それがとても素晴らしいので、本人の許可を得て、日本語に翻訳して掲載します。
全9回、最初の2回は一緒に上げますが、後は毎朝6時半に更新されるように予約しましたので、よろしければ最後までお付き合いください。

 
 
 
 
 
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Smriti Chanchani(@dhoop.chhaon)がシェアした投稿




出産のその日まで、日に何キロメートルも歩く、カッチの遊牧の女性たちと過ごした事がある。彼女たちは間に合わせの掘っ立て小屋で分娩に入り、ほんの数時間で出産を済ませてしまう。そしてもしその必要があるなら、生まれたての赤子をバスケットに入れて頭の上に乗せ、翌日には再び歩き始めるのだ。私の祖母は10人の赤子を産んで、そのほとんどは自宅出産だった。このような女性たちに本当に憧れるのと同時に、私は自分を彼女たちの一員とはとても言えない。私が40歳という年齢で(ほぼ)自然分娩で出産を行えたのは非常に幸運だったと思っているし、しかも私には高血圧と妊娠糖尿病というリスクがあった。「バース・ホーム」という自宅に近い環境で、助産師のオーギュスティン・コールブルックとスタッフたちに助けられ、かかりつけの婦人科医と現代医療の検査や道具にも計り知れないほどのサポートを受けた。妊娠している間、たくさんの体験談からインスピレーションをもらった。誰もが自分自身の旅路を進んでいく中で、これを読む人が何がしかの意味を見つけてくださることを願って、私の出産の体験を共有することにする。

私にとっての出産体験は、圧倒的な変容の体験であり、人間として、女性として強くなるプロセスであったし、すべての母にとってそうであればいいと願っている。もっともそうは言っても、ひとつのサイズが誰にでもピッタリはまるということは無い。だからこれは、たとえば医療施設での出産に対して自然分娩を強硬に勧めるものでは無いし、実際のところ私の体験は、そのふたつを組み合わせることで、(選択する必要のある)女性に、どちらの世界の良いところも「いいとこ取り」ができることを示すケースだ。こうした、どちらかだけに縛られない、間の選択肢がもっと知られ、選べるようになることを願っている。自然分娩、医療サポートを受けた自然分娩、助産師のサポートを受けた病院での出産、帝王切開、という様々な選択肢を知った上で、より多くの人がそれぞれ固有の要請や希望、状況によって選べるようになってほしい。

この体験は、私たちの、完璧ではない旅路の記録だ。リスクと慎重さ、統計と直観、恐れと愛、疑いと信じること、一般的な医療行為としての出産と助産師のケアの下での出産。これらの間の道を探って歩く旅路だった。私たちにとっての答えは、どちらかを拒絶することではなく、そのどちらをも統合させることにあった。私と私の伴侶であるラームは、このどちらの世界にもお世話になったことに本当に感謝しているし、私たちの旅路を支え助けてくれたすべての人々に大きな恩を感じている。



■1ー3ヶ月

たくさんの人が私を勇敢だと言ってくれたけれども、本当のところ、私は子どもを産むことを選ぶ勇気が無かった。🙂 それはあまりにも恐ろしいことのように思われた。この妊娠は私にとっても伴侶にとっても青天の霹靂だったし、だからこそ逆に、この宇宙からの贈り物の流れに身を明け渡すことが容易でもあったのだ。

最初のエコー検査で、力強く鼓動を打つ小さな豆粒を目にはしたものの、その時点では全然現実感が無かった。最初に見つかったリスクは高血圧で、投薬が始まると同時に、私の高齢出産は自動的にハイ・リスク・カテゴリーに分類されると言われた。 私の産婦人科医はベテランで人柄が好く、思慮深いと同時に現実的だった。彼女に任せることにも安心を感じていたけれど、私たちは間違いようが無く「自然出産的なもの」に惹かれていて、その可能性を探ってみたかった。それで見つけたのがバース・ホームだった。

バース・ホームでの最初の会合は、ふつうの医者との診察とはだいぶ違った。誰かの家のような気安さがあったというだけではなくて、経験豊富な助産師であるオーギュスティン・コールブルックと見習い助産師のメーガナーはほとんど2時間近く、私たちと話をしてくれた。会話はゆっくりと始まり、自然と浮かぶ疑問には都度答えられた。私が自然分娩に耐えうるかどうかはまだいくつかの要素を考慮しなければならなかったけれど、大事なことは、彼女たちがこのプロセスを手に手を取って共に歩もうとしてくれたことで、私が選択肢について学び、決めるための手助けをしてくれたことだ。

妊娠2ヶ月目に始まり、3ヶ月目に最高潮を迎えたのは……吐き気、吐き気に次ぐ、吐き気! あの最悪の気持ち悪さが、朝起きたその瞬間から夜眠るまで続く。私の身体はもう明らかに忙しく働いていて、私にペースを落として、たくさん休み、眠るようにと伝えていた。多くの友人が「ひとつの挑戦が過ぎ去ったと思ったら、今度は次のがやって来る」……と忠告してくれたものだけど、全くその通りだった。吐き気が治まったと思ったら、坐骨神経痛。それから骨盤のぐらつきがひどくなり、指の感覚が麻痺し、寝返りを打つことが難しくなり……ただ受け入れて、身を任せるしかない日々が始まったのだった。

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