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🟡 8月26日9月23日10月21日 (月)
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スムルティの妊娠出産手記⑤

 
 
 
 
 
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それで、私たちがくだした判決は? 公認助産師のケアの下、自宅に近い環境で自然分娩を行うことのリスクは、その価値を上回るものとなったのか? 自分の決断によって左右されるものが、これまで9ヶ月に渡り自分の内側で育ててきた赤子の命と健康であるとき、その決断の重さは計り知れない。

論理的で、合理的な脳みそは、答えはシンプルだ、と言っていた。病院での出産イコール、リスクの軽減。一方でまた別の声が、いや、私は強い。赤ちゃんも強い、と言った。私は静かに、でもとても強く、自宅に近い環境で自然分娩をこころみる方が、より安らいでいられるだろうと感じていた。助産師がしてくれるシンプルでナチュラルなサポート(身体の動きや位置の調節、運動、指圧、マッサージ、ホメオパシー、ハイドロセラピーなど)に深い信頼を感じていた。隣に伴侶がいてくれることが信じられないほどの力をくれるだろうことに確信を持っていたし、彼は私に必要なものをいちばん分かってくれると知っていた。

私と赤ちゃんに関する決断を託すのに、助産師を医師と同じぐらいに信頼できるかどうか? もちろん! オーギュスティン(@artofbirthing) はいくつもの安全策を考えてくれていて、実際プランA、B、C、D、Eまで作っていた。ラームも私も、私たちの選択肢は別に、現代医療と未開時代の出産方法、という極端な二択ではないということを知っていた。私たちの助産師は非常に経験豊富なプロフェッショナルで、身体の智慧と、歴史にその信頼性が証明されている技術と、そして現代科学とを組み合わせたアプローチで仕事に取り組んでいる。私たちは彼女の腕の中で安心していられた。

では、恐怖を全く感じなかったのか? まさか! そんなことはまったく無かった。私の肉体が、そして赤ちゃんが、この出産に耐えられるという確信があったのか? 血圧は跳ね上がらないか、血糖値が危険な値まで落ちないか、自信があったのか? そんなことは無かった。確信が無いことなんてたくさんあった。それでも、間違う余地の無い答えなんてどこにも無かったのだ。もしもその時、つまり医療科学的な介入を必要とする瞬間が来たら、オーギュスティンがその判断を適切にくだしてくれるということを、私たちは信頼した。そういう訳で、オーギュスティンがまだ自然分娩が可能だと判断したから、私たちはギリギリまでがんばってみることに決めたのだ。

このことを考えている間、私たちは常に、自然分娩というロマンへの執着があるかどうかを自問自答しなければならなかった(多少あったことは間違いない)。でも答えは、否、だった。これはけして、簡単にくだした決断では無かった。自然分娩というものが母子にもたらす良い影響は、真実、賭ける価値のあるものだと感じていたし、もっと根本的に、これが私のとるべき道だという確信があった(安全策を用意したうえで)。

そうは言っても、私は常に、知る限りのあらゆるやり方で、不安を和らげていた。深呼吸、グラウンディング、ただ静かに休むこと。怖れるに値するものはいくらでもあったけれど、同じぐらい、ありがたいものもたくさんあった。怖れを感謝に替えていくことは有効だった。このようなケアに縁があったこと、こんなにもサポートしてくれる伴侶がいること、私たちの選択や決断を信頼してくれる家族の存在、このパンデミック下、ロックダウンの間でも少し歩き回れる芝生の空間があること。そのひとつひとつへの感謝。自分の身体が、赤ちゃんを育てていくのを知ることができる、この体験への感謝!

情報や事実が導いてくれる範囲というのは、結局のところ、限界がある。そのあとは自分自身の内なる智慧に耳を澄ませ、より深いところに進んで行かなければならない。だから私たちは、ただ信頼によって、飛び込んだのだ。

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